引き込まれそうなの瞳から視線を逸らし、陸遜は最も疑問に思っていたことを訊ねた。
「何故、貴方は私の護衛に？ 仕官すれば商人や旅人に傭役するより俸禄がいいから、という訳ではなさそうですが」
「それもないとは言い切れないが。私の事を都督は存じていたらしい。幾つかの質問と、武技を確かめられて、それから陸将軍、君の護衛に就くよう勧められた。断る理由もなかったし、少し呉に安居するのもいいだろうと思って引き受けた」
彼女のもの言いに微かないらだちを覚えた陸遜が片眉を上げて冷笑する。
「へえ、浮客は是と答えるだけで生きられるんですね。楽なものだ」
「そうならいいな」
からりと笑うは陸遜の厭味を気にするでもなく、頷いた。
「私は武衛だ。人の命を守るために私の命を賭けてきて、生き延びていることに誇りを持っている」
「人を護衛することが強いと？ 戦功はなかったはずですね？」
「遠回しな言い方が好きだな、君は。戦場に出たことはない。私は国の争いに興味はないよ」
「それでは初めに戻ってしまいますね。何故、武将の私の護衛に？」
はあ、と呆れたような困ったような息を吐いて、は首を傾げた。全く問題はない、という顔で。
「私が護衛する君が、武将だから。そうだろう？」
意味が判らない。陸遜は眉根を寄せて頤に手を当てる。がそれを不審げに見てくるが、また訊き返したところで同じことになりそうだ、と気付かないふりをする。
――つまり、は人を護衛するが武名を欲しているのではない。偶々護衛の対象が武将だったから戦争に出ることになるかもしれないが、何よりも尊重しているのは人を守ること。……なのか？
これ以上考えても仕方がない、と陸遜は違う質問をすることに決めた。
「周都督とは何の話を？ 呂蒙殿が貴方は豪胆な女だと言っておられましたが、御前で何を口走ったのです」
「なんだか私が不敬な事を言ったようじゃないか。私とて都督の前で殺されたくはなかったからね」
極めて軽く笑って、は右手で己の首を刎ねる真似をしてみせる。そのまま指を頭の上でくるりと回し、彼女の視線はそれを追った。
「この苦しい時代に義だの法だので庶民は生きていけるか、ということだよ。そんなもの、掲げたところでその日の飯が食えなければ誰もついていかない。だからといって一時しのぎの飯や金をくれてやっても私のような貧賤はあっというまに使って失くしてしまう。次をくれ、とすぐに言うね。だから、早く国を、漢土を治めてくれないかと言っただけさ。そうしたら、都督も将軍も笑った」
「当たり前です。国を治めるという大慮を貴方は全く知らない。その日暮らしに躍起になっている民に、何が理解できるというのです」
愚かしい、と溜息をついた陸遜に、はぴしゃりと違うね、と言って真っ直ぐに彼を見る。
「君は家も姓も、名だってある。それにひきかえ私はなにもない、君の言うとおりその日生きることしか考えていない。だけど、君は考えたことはあるか？ 国が落ち着かないことを毎日眼前に突きつけられて生きている人の事を」
知らず知らず、彼女の恐ろしく深い瞳に魅入られていた。大きく開かれた感情の色がないそれに映り込む自分の、戦いた顔。
「どういう、意味です」
「目の前にだね、死が転がっているんだ。田圃が荒らされ親を取られ子を失い、食い物を奪われ衣服を剥がれ住む家さえも燃やされる。朝起きると隣に寝ていた小子が冷たくなっていた、次は自分」
これまで全くと言っていいほど本心を見せずに超俗としていたが、初めて悽艶な感情を顕わにした。ぞっと皮膚が粟立つ。
「と、いうことさ」
はいきなり気迫を弛めて、にへらと脂下がる。息をするのも忘れそうになっていた陸遜は目を瞬いて、耳許で脈が煩い、と深い呼吸をした。
――何もかもが違う。は、私とは異なった世界を見ているのか。
「君のことも聞いた。幼くして一族の長に仕立てあげられ、重い期待を背負い苦しみながらもひたすらに上を見ている青年だと」
あまり触れてほしくないことだと顔に出ていたのだろうか。すまないね、とが柔らかくも楽しげな声を出した。
「私は君に仕えてみたくなった。……呉の中枢に昇りつめるのだろう？ 家ごとに給し人ごとに足る、君がそれを実現させてくれると都督は言ったよ」
は立ち上がって陸遜を見下ろし、腰に帯びた剣の柄を指弾して硬い音を立てさせた。
「そのために私が護衛をする。単純な話じゃないか」
年少の陸遜よりも低く小さな女の体で鎧冑を着、剣を扱う。生きるために守るのか、守るために生きているのか。にとってはどちらも同じことかもしれない。
陸遜が彼女に抱いていた恐怖と疑念は、彼が細く開けた隙間から入り込んだ当人がいとも容易く払拭したのだった。
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2008/05/25
よしわたり