軍議を終えて官房へと戻る途中の回廊で、背後に従っていたがなんとはなしにぽつりと呟いた。
「戦争が近いのか?」
 陸遜は前を向いたままそれに答える。
「さあ、判りません。私のような弱将にはまだ何も」
「戦雲が読める」
「そうですか」
 陸遜とて軍師の端くれである、平静に応じながらも彼女の言には少々驚いていた。なぜなら、まだ謀略を巡らせている段に過ぎず、表だって将兵を動かすには至っていないからだった。行き交う文武の官もいつもと変わらない様子で戦争前の慌ただしさは微塵もない。それなのにはまるで匂いを嗅ぎ分ける犬のように気運を察した。
「回避はできないのだろうね」
 それからしばらくして、彼女の言ったとおり交戦は避けられそうもなくなり、陸遜は一軍の将として戦闘に加わることが決まった。


 戦場独特の刺々しさを帯びた風が通り抜ける。前線では戦闘が始まったようだった。後方に布陣していた陸遜軍も動き始めるべく、部下に指示をする。このような場でさえ超然とした態度のままのを馬上から見下ろして、陸遜は不安を感じずにはいられなかった。彼女に課せられた任務を思い出させるために、また、自分に暗示をかけるかのようにに声を掛ける。
「護衛としての働き、期待していますよ」
「了解した」
 見えもしない前方の戦場を遙かに望んだまま、彼女は答えた。それきり口を開きもしなければ、陸遜を見ることもない。不安は増しただけだった。

 だが、時も敵も待ってはくれないのだ。呉軍優勢、との報告があったすぐ後に伝令は陸遜軍の前方に陣を布いていた軍の苦戦を告げた。陸遜は先鋒を向かわせてから、動かない事にじれて首を振るばかりだった馬の手綱を握り直して声を上げた。
「私たちは救援に向かいます! 進軍に遅れないでください!」
 彼の号令に兵馬は応令の声を響かせて歩き始める。それを受けて陸遜もゆっくりと馬の脚を進める。馬に遅れないようにしているものの、とろとろと歩いてくるが視界の隅に入る。戦地に向かおうとしているにもかかわらず全く警戒しているように見えない。先ほど言ったことが理解できていないのだろうか、といらいらしながら陸遜はもう一度彼女を呼んだ。

 はい、と顔を上げて馬の傍に走ってくる。見上げてくる彼女の顔が何の表情も浮かべておらず、余裕を持っているのか恐れをなしているのかもわからない。
 ――私がこんなところで死ぬのを甘受するわけがないと、させてはいけないと思っているのではなかったのか?
「私の命必ず守り抜くとの言葉、忘れたわけではないでしょうね。護衛もできないのなら貴方の任を今すぐに解かせます」
「護衛を信頼しない主を守り通せると思われますか。信頼をくれればかすり傷も負わせずに守り切ります」
 何も考えていないわけではなかった、と少しは安堵する。しかし、この言い方はまるで陸遜が紅雪を信頼していないと決めつけているようだった。確かに、心の内ではまだ完全に彼女に命を預けるということを受け入れていない部分もある。周瑜が紅雪の護衛としての腕を知っていても、陸遜はそれを知らない。

 これから剣戟を交えるのにかすり傷一つ負わずに済むわけがない、と溜息を落としてから、紅雪に硬い笑みを見せた。
「いいでしょう。貴方が命を賭して私を守るというなら、私は貴方に命を預けておきます。きっと返してみせなさい」
「ありがとう。その言葉が聞きたかった」
 微かに口角を上げては肯いた。直後、陸遜軍戦闘開始と伝令兵が走ってきて、――二人は前方へと視線を転じた。


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2008/05/25
よしわたり



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