二日目 2010/02/03(水)
お目覚めは早かったですよ。9時にはホテルを出たような気がします。お天気がいいのもあって、もりもり歩くぞ! と意気込んでいました。二月三日、節分ということでお寺巡りをしようと前日の内からルートをあれこれ考えていました。結果的には、
石手寺→湯築城跡展望台→湯神社→伊佐爾波神社→宝厳寺→秋山好古の墓→椿の湯→松山神社→常信寺
という順序でウロウロしたのですが、しかしまあ山を登ったり下りたりとせわしない一日でした。寒かったのもあって椿の湯で長居をしてしまったのは仕方のないことだと思います……。
ホテルから徒歩で道後温泉方面へ。30分くらいで道後公園に着きます。そこから少し足を延ばして、四国霊場第五十一番札所、石手寺へ向かいます。
道中、どうしても気になるものが……。家々の破風のつくりです。緩くカーブを描いているものから、直線のもの、反っているものと色々あって、瓦の葺き方も違っている。確か、昨年末に松山へ行く途中で気がついたのかな。それからはもう気になって気になって仕方がない。何故つくりが違うのか。ひたすら屋根を撮りながら首を傾げる怪しい女がいたら、それは私です。
建築は詳しくないので、親戚の大工さんに聞いて、それでもダメなら私の必殺武器、文献と睨めっこが待っています。それもまた楽し。
道路の拡張工事を行っているせいで交通規制されてて歩きにくい道を大分歩いてもたどり着かない。不安に思って工事のお兄さんに「石手寺ってこっちで合ってますよね?」と聞いたらさわやかに「あってますよ! もうしばらく行くとあります」と返してもらいました。それからすぐに石手寺参詣道こちら、の小さい看板を見つけて歩いていくと明らかに裏道みたいなところに迷い込んでいきます。着いた先に待っていたのは、裏参道の文字……。ま、いっか。朝市みたいなのをやっていて、近所の農家さんやらおばちゃんやらが作った野菜や漬物やよくわからん乾物や、ともかくそういったものが並んでいました。このあたりから人が増え始めてます。
途中にあった句碑。「葉桜の 中の無数の 空さわぐ」篠原梵。
松山は子規さん以前から短歌俳句の盛んな土地柄だったのであちこちにこういう句碑を置いて、巡っていくと松山散歩ができるようになっているみたいです。詳しくは松山市にお問い合わせを! ってなんで宣伝?
境内は人がごった返してました。寺がごった返すって暮れと正月くらいしかないと思ってました正直……。四国に住んでおいて、節分ってこんなもんなの!? と驚くのも新しい発見です。ひとまず参ってからフラフラしました。厄除けに燃やすやつが山に積まれてて(名前失念)皆あれこれ書いてお寺の人に預けてたり、11時から近所の幼稚園の子たちが豆まきしますーとアナウンスが入ったり、お砂巡りといって、八十八ヶ所のお寺のお砂を袋に入れてお堂の回りを巡らせ、それを順に触っていくことで足が悪い人でも手軽にお遍路さんができるのがやってあったり。
なんにせよ人が多い。ここは早々に立ち去るが吉、と表から出て行きます。その際に仁王門を振り返って撮影。カメラを構える間に人に流される。出店もたくさん出ていて、表参道の賑やかさは裏参道の比ではありませんでした。
出店から漂ってくる美味しそうな匂いに、早朝から何も食べていなかったことを思い出して急に空腹に。門前のお茶屋さんに入っていい匂いをさせていたお餅を二つ頼んでストーブにあたりながら待ちます。
ペタンと平たいお餅。でも中には餡子が入っている。ふしぎ。草餅のよい風味がして、焼きたての温かさは幸せです。まとめて買っていく人もいたからこのあたりはこれが普通なのかな。
道後公園に戻ってきました。湯築城跡の頂上部には展望台があるので、登ります。といっても松山城の時ほど過酷ではない……はず……。
簡単に登れました。展望台に上がって松山城天守を望みます。めいっぱいズーム。
松山城のある勝山を右手に、松山平野が広がっています。遠く左手にうっすらと見えるのは瀬戸内海の島々です。左下、屋根が見えているのが武家屋敷、その外を囲っているのが外堀土塁と外堀。
そして忘れていました。山の上は風が強いということを……。吹きっ晒しの中、かじかむ手に赤くなる鼻。垂れそうになる鼻水。ささーっと山を下りました。景色はすごくいいので初夏頃は最高だと思います。
昔に実際に使われていた、石造湯釜。お湯を出すところに置くものだそうです。高さ157.6cmですから、随分大きい。文が刻まれているのですが、読めるわけがない。河野氏にもゆかりの深い品だそうです。
さて。なにか恐ろしいものが見えてますね。これからこの道を登って行きたいと思います。さっき山登れたんだから大丈夫、金毘羅さんだって一昨年登ったんだから大丈夫と言い聞かせててっぺんにある伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)からそっと視線を外しつつ、まずは湯神社へ。
湯神社! なんて書いてあると面白いですね。湯ではなくて、道後温泉の祭神をお祀りしています。
隣には製菓の上達を願う中嶋神社というのもありました。
いよいよ登り口まできてしまいました……。一念発起、がんばるぞ!
伊佐爾波神社!
登りきったそこにベンチがなければ私は倒れていたでしょう。ゼエゼエと切れた息ににじむ汗。体力の衰えを痛感しました。社務所から「大丈夫かあの人……」みたいな視線が刺さったような気がするけど気のせいだと思いたい。呼吸を整えるために休んでいたのを含め、20分はかかりました。軽い登山です。
だけど、やっぱり城郭と寺社建築は惚れ惚れするほど美しい。見ているだけで登ってきた甲斐があったというものです。もちろん、お参りして見学もします。朱塗りの社に施された彩色がきれい。
こちらには算額が二十二面、奉納されています。松山市の案内板から引用しますと、「算額とは、和算の問題・図・解答、それを導く最終計算式等を記した額である。この神社の算額は、関孝和(せきたかかず)(?〜一七〇八)が考案した関流数学で、享和三(一八〇三)年を最古に江戸後期から明治時代のものが多い。」とのこと。
ようするに、高等数学の様々な問題・解答を書いている板のこと。寺社に奉納するのは、神仏のおかげで解けましたありがとうございます、という意味のものと、加えて、和算をやっている者同士で問題を出し、解答し、また問題を出す、という交流があったためだそうです。
回廊に飾られていたそれらを一面一面見ていったのですが、高等すぎてわからなかった……。和算、侮りがたし。
他にも回廊には大きな絵馬が置いてありました。物語の見せ場や武者を描いたものの迫力は、絵具が剥げ落ちてもなかなかのものです。
さて、下りますよ。
次に向かったのは宝厳寺(ほうごんじ)。一遍上人生誕の地だそうです。一遍上人は鎌倉時代に念仏踊りで一世を風靡した(?)時宗の開祖で、河野一族の出身です。だからお寺の瓦の紋は河野氏の家紋が。
宝厳寺は正岡子規と夏目漱石が道後温泉に行った際に立ち寄ったとか。山門に腰かけて文学のことについて語り合ったそうです。その時の句。「色里や 十歩はなれて 秋の風」。
境内にあるもう一つの句碑は「子規忌過ぎ 一遍忌過ぎ 月は秋」酒井黙禅。日差しは暖かいのに空気は冷えているので、境内の石榻に座ってあれこれとメモを取っていたのですが寒さに耐えきれず十分ほどで下山。
下りの道すがら道後温泉本館の振鷺閣が見えました。思いっきりズーム! こうして見ると風情ないね……。
秋山好古のお墓は松山市を見下ろせる日当たりのいい墓地にこぢんまりとありました。枯れてしまった桜の木に国旗が下げられていなければ気付かなかったほど。大の酒飲みだったそうで、お供えにお酒がありました。天気は晴朗なれども風強し。手を合わせてから路地を歩いて下ります。
麓まで下ってきました。椿の湯です。本館より格段に大きくてきれい。お値段もお手頃ですよ。ちなみに時間は12時半。平日です。お客さんはお年寄りばかり。私は何をやっているんだ……。
かつて聖徳太子が訪れた際に詠んだ歌の石碑が立っていました。その頃から知られていたというのも驚き。
これは蛇足ですが、温泉地にはネオン街がつきものなんでしょうか。道後温泉界隈にもあやしげなネオン街が広がっていました。山道を下って路地裏を適当に歩いていたらネオン街ど真ん中に出てしまって、すごく肩身の狭い思いをしながら真昼間だというのに客引きのお兄さんが立っている横を足早に通り過ぎました。しかも二度も同じところを通るはめになって隠れたい気持ちでいっぱいになりました。
一時間半ほど椿の湯で温まり、ゆっくりし、ぼんやりしました。ちょうどその時伊予弁の「〜ぞな」という語尾が気になっていたので、その辺でまったりしているおばあちゃん方を捕まえて質問をぶつけてみることに! が、方言調査のイロハも知らない人間が聞き込みしたら非常に警戒されてしまい、ほとんど成果が得られず情けなさに打ちひしがれました。
気を取り直して松山神社へ向かいます。道中見つけた破れ家。たまりませんな……!
14時半になってさすがにお腹が空いてきました。俳句の道沿いに歩いていたらなんだかオシャレなお店発見。店名は忘れてしまいました……。
遅めのお昼ご飯です。雑穀ご飯にオムレツとトロロ。自家製ドレッシングのサラダに、素朴な味わいのお味噌汁とお漬物。とってもおいしかったです。
天井灯も可愛い!
お腹もいっぱいになって、松山神社に到着!
右手の生け垣に埋もれた句碑は虚子、「しろ山の 鶯来啼く 士族町」。
本殿に登って来ました。当然のように山の上にありますので。でも、ここは五分ほどしかかかりませんでした。よかったよかった。
祭神は家康公と道真公を合祀してあります。なので神紋は丸に三つ葉葵の徳川家紋です。権現造りの本殿は美しい。
天神様を祀っているからか、境内に梅の多いこと。時期もよくて梅花に随分目を楽しませてもらいました。おみくじを引くと小吉でしたが、裏面の一言に嬉しくなりました。笑う門には幸い来る。
松山城がちんまりと見える!
さて、16時近くになって日も傾きかけです。本日最後のお寺は常信寺。伊予藩主松平定行・定政の霊廟があり、松山城の鬼門にあたります。紋は梅。その天女はなんなんだ……。
このお寺は境内が広く、いろいろと面白いものがごろごろしていました。古くなった鬼瓦をまとめて捨ててあったり。ちっちゃい池に祀られた神様とか。苔生した木の長椅子とか。雨水が溜まっている石榻とか。錆ついた水汲みポンプとか。社務所? らしき大きくて立派な建物もありました。
椿がすごくきれいでした。
日が落ちてきて、霊廟も見つけられず後ろ髪をひかれる思いで常信寺を後にしました。道後温泉駅まで下りてきて、路面電車に乗ります。運よくレトロなやつに乗れたので内心ウハウハでした。床は木張りで、色褪せたシートに塗り直された内装、きしむブレーキ、やかましいブザー。たまりません。ホテルの前の駅で降りて信号を渡ったところでレトロな外観をパシャリ。
2月3日、節分です。節分豆!(どちらも100円です)
そしてこの日もくたびれてベッドに飛び込んで目が覚めたら真夜中でした。夕食? もちろん食べていませんがなにか?
その後寝付けなくなってルームシアターで映画を見ていたら朝になっていました。大変だ……!
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2010/12/07
天王屋よしわたり