04 - 束の間の花園


「ん……くぅ!」
 腰から落下した少年は、声を抑えて苦悶した。地面に叩きつけられた振動が、体内に響く。
 何とか身を起こしたとき、そばに、途中で引きちぎれたロープが落ちていた。
 屋敷の向こう側から、かすかに話し声に様なものが流れてきたような気がして、シャンルは慌てて立ち上がった。
 そのまま、草木の生い茂る庭に逃げ込む。
 庭に入ってすぐに、幅のある川が流れている。流れの急な川を見渡して、シャンルは橋を探した。泳いだ経験はなくても知識はある。だが、彼にはこの急流を泳ぎきる自信は無かった。
 川に沿って早足で歩く彼の背後のほうから、かすかなざわめきが聞こえた。シャンルは直感的に、捜されていると確信する。ロープの切れ端もすでに見つかっているだろう。
 とにかく屋敷から離れようと、彼は走った。息を切らせながら、全力で、無心に走る。
 しばらくするとさすがに疲労と痛みに負け、足を止める。膝に手を当て、荒い息をついた。
「どうした、坊や? 寒そうな格好してるな」
 突然の声に、シャンルは驚いて顔を上げた。
 川の、向こう側だった。そこに、黒いジャケットとジーンズの、二〇歳前後の青年がいた。銀髪に碧眼で、整った顔立ちをしている。
 初めて見る、ジェイク以外の人間。
「あ、あの……っ!」
 シャンルは、なんと言っていいかわからなかった。結局口をついて出たのは、シンプルな一言である。
「助けてください!」
 相手は、キョトンとした顔をする。
 だが、少年の格好と真剣なまなざしから、深刻さを読み取ったらしい。その表情が、一気に凛としたものになった。
「大丈夫か? 今、そっちに行くからな」
 青年は言うと、一旦その場を離れた。見捨てられたのかと、シャンルは一瞬絶望を感じるが、乗り物を取りに戻ったのだと思い直す。
 それより、初めて優しいことばをかけられたことに、少年はなぜか涙がこみ上げてくるのを感じた。
 初めて、人間らしい人間に出会った。そして、初めて人間らしい扱いを受けた。例え自分が人間でないとしても。
 束の間忘れていた期待と不安で胸が一杯になり、街のほうへと視線を動かす彼の視界に、あの青年が映った。黒いエアバイクに乗り、宙をかける。一人乗りだが、小柄なシャンルなら何とか乗れそうだった。
 青年は、そのまま川の上を越えようとする。
 その、刹那。
「ぐっ!?」
 あと少し、というところで青白い火花が散った。
 まるで見えない壁に弾かれたかのように、青年はバイクごと吹き飛ばされる。目を丸くして叫びかけたシャンルの前で、青年はクラッチを離さず、何とか体勢を立て直して向こう岸に着陸した。
「一体どうなってるんだ……?」
 青年は言い、腰に吊るした黒いホルスターから、銃器を抜いた。シャンルは、それについての知識も持っていた。青年が右手にかまえたものは、レーザーガンだ。
 彼はそれを、シャンルから離れた、川の向こうの何もない空間に向かって発射する。
 再び、火花が散った。
「故人の屋敷にこれほど強力なバリアが装備されているだと……」
「ねずみが多いものでね」
 別の者の声が、闇の中から響いた。
 シャンルは、背筋が凍りつくのを感じる。聞き覚えのある、それどころか機能まで唯一彼が知っていた声だ。
 しかし、現われた姿は、見覚えのある冷たい貴公子風の男だけではなかった。そのとなりに、筋肉質、とまではいかないが、やや体格のいい、黒髪の男が立っていた。
 その黒髪の男が、立ちすくむシャンルの腕を素早くつかんだ。恐怖で声も上げられない少年の首筋に、手刀をくらわせる。シャンルの体から力が抜けた。
「その子をどうするつもりだ!」
 唇を噛み、対岸から叫ぶしかない青年が声を荒げる。
 少年を担ぎ上げた黒髪の男とともに立ち去ろうとしていた貴公子は、足を止め、一度振り返った。闇の中に、ぞっとするように美しく、そして残酷な笑みを浮かべた顔が浮かび上がる。
「どうしようといいだろう? 私が造った道具なのだから」
 それだけ言うと、闇にその姿を隠す。
 それを青年は、悔しさと決意の混じる表情で見送るしかなかった。

 少年は、最初に目覚めた時と同じ部屋でまた目覚めた。
 あの黒髪の男が、シャンルが横たわるベッドを挟んだジェイクの向かいに立っている。ジェイクの背後には、様々な器具やビンが並ぶ、移動式の棚が置かれていた。
 頭がはっきりすると、少年は蒼白になる。
「まったく、悪い子だ。たっぷりお仕置きをしないといけないな、シャンル」
 ジェイクの表情は穏やかだった。
 それがさらに、シャンルの恐怖を煽った。



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