第10話

会社から歩くこと10分。外観がいかにも洋風といった、非常に洒落たバーに巧斗と由依は来ていた。

店内は薄暗く、洋風作りの店内には男性客・女性客を問わずに楽しそうな喋り声が多く聞こえてきている。せっかくの大人っぽい雰囲気が騒ぎ声で台無しのような気もするが、こればかりは仕方ないのだろう。

しかし、店の雰囲気そのものは悪くない。由依はさすが巧斗だなぁ、と惹かれずにはいられなかった。

「柏木さんは、よくこちらに来られるんですか?」

「そうだね。ここのマスターには、いつもお世話になってるから。」

「そうなんですか〜。柏木さんって、お酒好きなんですか?」

「うん、嫌いじゃないよ。どうせだから、お酒に酔った由依ちゃんを見たかったし。」

「えっ!?」

まさか、巧斗が由依をここに連れて来た理由はそれなのだろうか?

異性の前で、しかも恋という気持ちを抱いてしまった巧斗の前で酔う姿など、見せられなくて恥ずかしいのだが、由依のそんな気持ちなど巧斗はお構いなしのようだ。

「フフッ、なんてね。冗談だよ、由依ちゃん。今は騒がしいけど、多分打ち上げか何かで来てるからなんだろうね。普段はもっと静かで落ち着ける所なんだよ。料理も及第点をクリアしてるから、由依ちゃんと寛ぐには最適の所なんだ。」

「は、はい・・・ありがとうございます、柏木さん・・・」

「こちらこそ、ありがとう。由依ちゃんの貴重な夜を俺に預けてくれて嬉しいよ。」

「えっ?あの、柏木さん。それって・・・」

と、由依が喋った所に飲み物が到着した。頼んでいたのは由依がカシスオレンジで、巧斗がマティーニである。

2人で乾杯をして一口いただく。それから、由依と巧斗は一緒に微笑んだ。

「美味しいですね、柏木さん!」

「そうだね。仕事の後の一杯は本当に美味しいよね。」

「はい!そういえば・・・柏木さん、出張お疲れ様でした!遠い所から大変じゃなかったですか?」

「いや、そんな事ないよ。今日早く終わったおかげで、帰りの新幹線で沢山眠れたからね。由依ちゃんこそ、疲れてない?大丈夫?」

「はい!私は圭吾君のサポートなので、圭吾君の方が毎日大変そうです。今日も残業してたみたいですし・・・」

「そうか・・・圭吾の場合、要領が悪いからって気もするけどね。まぁ、そればかりは圭吾の裁量に委ねるしかないかな。」

巧斗はそう言って、再びマティーニを一口飲んだ。由依もつられる感じで、少しだけカシスオレンジを飲む。

こうして巧斗と向かい合ってカクテルを飲むなんて、今でも少し信じられない。出張の疲れを微塵も感じさせず、巧斗はそれまで通り格好良かった。

思わず今日聞いてしまったバイトの女性たちの会話を思い出してしまい、巧斗の手を見てしまう。テーブルに置かれたその手の指は本当に長くて奇麗で、確かに爪も美しい。

顔も眼鏡がよく似合う文句なしの美形、その声も低く甘くて、正に女性を惑わす要素ばかりだ。由依が巧斗を見つめながらもう一口カシスオレンジを飲むと、巧斗はスッと眼鏡を持ち上げて微笑んだ。

「フフッ・・全く。由依ちゃんは罪な女性だね。」

「えっ?」

「・・由依ちゃんは意識してないんだろうけど、そんな上目遣いで見つめられたら、男としては黙っていられないよ?」

「えぇっ!?そ、それは、どういうことでしょうか・・・!?」

由依としては、ただバイトの女性たちの会話を思い出していて巧斗を見つめていただけだっただけに、そのようなことを言われるとは思っておらず、ただひたすらあせっていた。

そんな由依とは対照的に、巧斗は微笑んだまま口を開く。

「・・ねぇ、由依ちゃん。ここに来る前に、君は『期待しそう』って言ってたよね?」

「!・・はい・・・」

ちゃんと巧斗が覚えていてくれてたのだと由依は驚きつつ、ドキドキしながら巧斗を見つめた。

巧斗にとって、自分はどんな存在の女性として見られているのだろうか?噂に名高いプレイボーイの巧斗のことだから、やはり遊びの対象でしかないのか?それとも・・・・・

「由依ちゃんにそう言われたら、俺も期待しちゃうよ?由依ちゃんの気持ちを・・・いいの?」

「えっ!?でも・・・・」

「・・期待したら、だめなの?」

「ウゥッ。柏木さん、こんな時に、そんな甘い囁きはなしですよ〜・・・」

まるで由依の気持ちを全て見透かしているかのように、巧斗は余裕の笑顔と甘い声音で由依の心を魅了してきた。

このまま巧斗とこうしていたら、全て巧斗の思うがままだ。ただでさえ由依はバーの薄暗い大人っぽい雰囲気に飲まれそうになっているのに、巧斗と2人きりのこの空間。

先ほどまでは酔っている客の騒ぎ声が響いていたが、今はなぜか店内に流れるジャズのBGMと店員の声しか聞こえて来ない。由依はドキドキする胸を両手で押さえて巧斗を見つめた。

「どうして?こういう時だからこそ、君だけに聞いて欲しいんだ・・・・ねぇ、由依ちゃん。隣の席に行ってもいい?」

「えっ?」

「・・許されるなら、由依ちゃんの隣にいたいな。その方が、君の事を感じられるしね。」

「柏木さん・・・!」

由依が恥ずかしくて顔を真っ赤にすると、巧斗は笑顔で由依の隣に来たかと思うと、自然と由依の背中を抱き締めた。

突然巧斗に抱き締められたことで由依は驚いたものの、抵抗することは出来なかった。仮にも恋をしてしまった人に抱き締められるこの胸のときめきは、何とも言えない嬉しさがあったから。

「・・・由依ちゃんは今、すごく戸惑ってるよね?あの日いきなり俺に声をかけられて、こうして一緒にいることを・・・」

「!柏木さん・・・・あの。そんな、ことは・・・」

「・・由依ちゃんは優しいね。俺をフォローしてくれるんだ・・・・でも、強がらなくていいよ。本当は、怖がらせちゃったんじゃないかな。違う?」

怖くなかったと言えば、それは嘘になる。あの日の朝突然痴漢に遭い、それを助けてくれたのが巧斗だったから。

もちろん、巧斗が痴漢を追い払ってくれたことには今も感謝しているが、あの時の怖さといったら計り知れない。痴漢に遭った後だったから、尚更怖さがあったのかもしれない。

本当は巧斗が良い人で優しい人だということを、由依はちゃんと分かっている。だが、そこで不安になるのが『社内一のプレイボーイ』と噂されていることだ。

女性なら誰でもいいのかもしれない。由依は今、正に巧斗に遊ばれている可能性もある。こうして女性の心を掴んでおいてその気っぽく見せかけていても、本当は巧斗が由依のことを何とも思っていなかったら?・・・そう考えただけで、由依は悲しかった。

どうして、そんな巧斗に恋心を抱いてしまったのだろう?例え巧斗にとって遊びだとしても、こんなに目鼻立ちの整った眼鏡のよく似合う美形で、いかにも自分を好いているような雰囲気を感じれば、当然期待だってしてしまうではないか。

由依が色々考えていて何も言えずにいると、巧斗はそんな由依の複雑な心の中もお見通しなのか、由依を優しく抱き締めたまま囁いた。

「・・ごめんね、由依ちゃん。君を怖がらせてしまって・・・・それでも、俺の気持ちを期待してくれて、嬉しかった。」

「柏木さん・・・すみません!それは、私が勝手に期待しちゃっただけなので・・・」

「いや、そんなことないよ。由依ちゃんには、『期待』して欲しかったから。」

「えっ?それって・・・」

由依が驚いて巧斗を見つめると、巧斗は片手で由依を抱き締めたまま、もう片方の手で由依の長い髪を一房手に取ったかと思うと、その髪にそっとキスしたのだ。

由依の見ている目の前であっさりとそんなことをしてみせた巧斗に驚きつつ、自分の髪の毛に巧斗が口付けてくれたことが信じられなくて、由依は少し口を開けて驚くことしか出来なかった。

驚いている由依とは対照的に、巧斗はそのまま由依の頭をそっと撫でて微笑んだ。

「・・・本当に長かったよ。由依ちゃんとこうして出会うまでが・・・」

「は、はい。私が今の会社に入ったのは、3ヶ月ほど前でしたので・・・」

「そうだったね。圭吾の紹介だったんだろう?まさか、その圭吾のサポートの仕事をするとはね・・・・それを知った時は、本気で圭吾をつぶそうかと思ったよ。」

「えぇっ!?柏木さん、いくら何でもそれは・・・!」

「フフッ・・ごめんね、由依ちゃん。圭吾のことが、ひどく羨ましかったんだ・・・中学から、圭吾と一緒だったんだろう?」

「はい、そうです。」

由依がそう返事をすると、巧斗は由依を抱き締める手に力を込めた。そのことで、由依の胸がドキンと高鳴る。

なぜ返事をしただけで、巧斗がこんなに強く由依を抱き締めてくるのだろうか?意味がよく分からなかったものの、更に巧斗との距離が縮んだことで、由依はただドキドキすることしか出来なかった。

「・・もっと早く、由依ちゃんと出会いたかった。そうすれば、圭吾に邪魔されずに済んだだろうから・・・・」

「柏木さん・・・!」

由依は巧斗に何も言うことが出来なかった。巧斗に強く抱き締められた上に、巧斗の言葉に返す良い言葉が思いつかなかったからだ。

しかし、ただ巧斗の胸の中でじっとすることも出来なくて、由依は巧斗の背中に手を回すことでその思いを伝えるしかなかった。もちろん、驚いたのは巧斗の方である。

「由依ちゃん・・・?」

「あ・・すみません!いきなり、こんなこと・・・」

「いや、いいんだ。そのままいて・・・こうして由依ちゃんと一緒にいられることが、とても嬉しいから・・・」

「柏木さん・・・・あの。私も、嬉しいです・・・」

巧斗の腰は見た目も細いが、実際こうして由依が手を回すと本当に細いなぁ、と感じる。思わず羨ましくなってしまった由依だったが、巧斗にかなわない対抗心を燃やしても仕方ない。

こうして巧斗の温もりを直に感じられるなんて、今でも信じられない。それに、巧斗のそれまでの物言いから察するに、本当に『期待』しても良いのだろう。巧斗の気持ちを・・・・

大人の雰囲気満載のバーの個室で、抱き合う由依と巧斗。誰にも見られていないものの、こんな風に熱く抱き締められると、さすがにドキドキの高鳴りがおさまりそうにない。

こんな風にくっついていたら、恐らく巧斗に聞こえているのではないだろうか?由依のこの胸の高鳴りが・・・・今にも破裂しそうな勢いで、由依の鼓動は未だにドキドキとしているのだから。

「・・参ったな。君のその可愛さには勝てそうにないよ、由依ちゃん・・・」

「えぇっ!?そんなことないですよ〜、柏木さん!私、さっきから柏木さんがあまりにも格好良くて、ドキドキしてばかりで・・・柏木さんに、聞こえてませんか?」

恥ずかしながらも由依が巧斗にそう尋ねると、巧斗は困ったように微笑んだ。

由依はその巧斗の微笑を見て迷惑をかけたのかとあせったが、実際は・・・・

「由依ちゃん・・・君って子は本当に、どこまでも・・・・」

「えっ・・・?」

「・・こんなに予定を覆された女性は、由依ちゃんが初めてだよ。だからこそ、由依ちゃんから目が離せないんだ・・・」

「柏木さん・・・・」

どうやら迷惑ではなかったようで、由依はホッとした。そんな由依を見て、巧斗は優しく微笑む。

「・・由依ちゃん。日曜日のデートは、思いっきり楽しもうね。」

「はい、柏木さん!」

「フフッ・・可愛い、由依ちゃん。」

「えっ!?」

「君のその笑顔が、俺を癒してくれるんだ・・・・もっと由依ちゃんのその可愛い笑顔を、俺に見せてくれないかな。」

「ウッ。柏木さん・・・何だか、恥ずかしいです〜・・・」

好きな人に見つめられれば、誰しも恥ずかしくなってしまうものだ。それが眼鏡のよく似合う美形な巧斗なのだから、その気持ちは余計に膨れ上がる。

由依が恥ずかしそうに顔を赤くして巧斗を見つめると、巧斗は由依とは対照的に、余裕の微笑を浮かべていた。

どうして巧斗は、こんなに余裕があるのだろうか?由依はこんなにもドキドキして胸が張り裂けそうな位なのに、巧斗からはそんな雰囲気が微塵も感じられない。

ついつい巧斗の気持ちを期待してしまう由依だったが、このように余裕あふれる所を見ると、やはり自分は遊ばれているのだろうか?と思ってしまう。

「・・由依ちゃん。その表情は反則だよ?」

「えっ?どうして、ですか?」

「・・俺の気持ちが抑えられなくなってもいいの?それとも、由依ちゃんは俺の理性を飛ばしたかった?」

「えぇっ!?ダ、ダメです〜、柏木さん!理性は必要ですから、ね?」

由依が必死にそう言う姿が面白いのか、巧斗は面白そうに笑った。

「アハハハハッ・・・大丈夫だよ。由依ちゃんの貞操を汚す気は、今の所ないから。」

「『今の所』、ですか!?」

「うん。もしも由依ちゃんにその気があるなら、その時は遠慮しないってこと。」

「えっ!?柏木さん。それって・・・」

「あぁ・・こんなことを言ったら、体目的みたいかな?そうじゃないんだけど・・・由依ちゃんの心がない限りは、絶対に手を出さないから安心してね。」

「あ。は、はい・・・・」

なぜ巧斗とこんな恥ずかしい話をしているのだろうか?別にエッチな話は嫌いではないが、いざ巧斗と話すとなると恥ずかしくて仕方がない。

そして、思わず変な想像をしてしまう。巧斗は上手いのだろうか?とか、そういう時は眼鏡を外すのだろうか?とか・・・・

「・・由依ちゃん、どうしたの?顔を真っ赤にして・・・ひょっとして、俺と過ごす一夜を考えてくれてた?」

「!す、すみません、柏木さん!!私、つい邪なことを・・・!」

「由依ちゃんなら大歓迎だよ。どんな体位がいいの?」

「キャアッ!!か、柏木さん!そんなことを耳元で囁くのは禁止です〜!!」

「フフッ・・残念。でも、由依ちゃんがそう言うなら従うよ・・・・それより、すっかり話し込んじゃったね。このまま由依ちゃんといるのも良いけれど、さすがに少しお腹が空いたかな。何か食べようか。由依ちゃんの希望はある?」

ようやく巧斗が由依を解放したことで、由依のドキドキが少しだけおさまった。しかし巧斗はまだ由依の隣にいるし、あんな風に耳元で囁かれた後だからか、まだ心の中は落ち着かない。

「そうですね・・・あの。サラダのような、野菜が沢山ある物を食べたいなぁ、って・・・」

「了解。じゃあ、このタラバガニの入ったサラダを頼もうか。後はどうしようか?希望があれば、何でも言ってくれていいよ。」

「はい、ありがとうございます!じゃあ、このチーズポテトと、うぅ〜ん・・・このクリームリゾットも美味しそうですよね!柏木さんは、何でも平気ですか?」

「うん。俺は好き嫌いないから、気にせず由依ちゃんの好きな物を頼んでいいよ。」

「ありがとうございます!じゃあ、後はこのナッツで・・・・あ。柏木さんの好きな物も頼んで下さいね?」

由依が巧斗を見つめてそう言うと、巧斗は面白そうに微笑んでみせた。

「俺は、もう十分だよ。由依ちゃんがこうしていてくれるから。」

「柏木さん!?そんな、冗談ばっかり仰らずに・・・!」

「アハハハハッ。でも、俺が食べたいと思ってたナッツとサラダを由依ちゃんが頼んでくれたし、こうして君の隣にいられれば、俺は本当に十分なんだ・・・・ありがとう、由依ちゃん。」

「いえ、そんな・・・私の方こそ、ありがとうございます。柏木さんとこうしてご一緒出来て、嬉しいです。」

由依がそう言って笑顔を見せると、巧斗もスッと眼鏡を持ち上げてから笑顔を見せた。

こうして、巧斗とずっと一緒にいられたらいいな・・・・そんなことを思いながら、由依は幸せな気持ちをかみ締めるのだった。


  

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル