第2話

「実は、今日に限ってお弁当を作りすぎてしまってね。誰か食べてくれないかと思ってた所だったんだよ。」

「そうなんですか〜・・・・えっ?あの、柏木さんって、ご自分でお弁当作られるんですか?」

最初は深く考えずに相槌を打った由依だったが、よく考えてみると、社内一のプレイボーイかつ美男な巧斗が自分でお弁当を作っているとは考えにくい。

由依が驚いてそう聞くと、巧斗は余裕の微笑を浮かべてスッと眼鏡を持ち上げた。

その眼鏡を持ち上げる仕種1つだけで色香が漂うような感じがして、由依は思わず『格好良いなぁ〜』なんて思いながら巧斗を見つめる。

「まぁね。これでも料理は得意な方だよ。」

「わぁ〜っ!そうなんですか〜。私もお料理するのは好きなんですけど、朝に弱くて、早起き出来ないんです・・・・」

「なるほど。由依ちゃんがお弁当買ってるのはそれが理由か。」

「はい。なので、家も駅から歩いて2、3分のアパートにして、今ではすっかり落ち着いちゃいました。」

由依は恥ずかしそうにしながらも、巧斗に笑顔でそう語った。

気取らず、飾らない素直な由依が巧斗には新鮮だった。いつも巧斗の周りにいる女の子は、自分に好かれようと少しでも良く見せかけて、時にチグハグなことを言って墓穴を掘っていたが、由依は違う。

このような自然体で飾らない所が、由依の大きな魅力の1つなのだろう。巧斗はますます由依に興味を持って話を聞いていた。

「実家は、ここからもう少し行った所にある別の駅から歩いて15分位の所だったんですけど、何度も遅刻しそうになってしまって・・・・あっ。柏木さんは、ウチの部長をご存知でいらっしゃいますか?」

「森上部長だろう?部下に優しいって評判だね。」

「はい!実際、森上部長はとてもお優しいんです。私が遅刻しそうになっても、笑顔で『ギリギリ間に合ったね』って励まして下さって・・・未だに部長に怒られたことはないです。」

「フフッ・・それは、由依ちゃんがその分しっかり仕事してるからさ。君の勤務態度は真面目で立派だって、ウチの営業本部長も褒めてたよ。」

「そうなんですか!?伊東部長が・・・?とてもありがたいです。」

嬉しそうに笑顔で巧斗を見つめる由依の眼差しは、巧斗の心をかき乱した。もうすっかり自分は由依に魅せられていると思いながら、巧斗は改めて由依に声をかける。

「・・・由依ちゃん。」

「はい?」

「・・やっぱり、君は可愛いね。今回ばかりは、圭吾に同情するかな?」

「えぇっ!?あ、あの、それは、どのような意味で・・・?」

「・・俺がもし圭吾と同じ立場だったら、やっぱり君を離したくないから。」

「か、柏木さん・・・」

「ずっと、俺の腕の中に閉じ込めてあげるよ。姫君・・・・」

「!!・・・・」

歩きながらなのにも関わらず、しっかりと由依の耳元で巧斗は甘く囁いてくれた。普通に巧斗の声と雰囲気とルックスだけで気絶してしまいそうなのに、こんな風に甘く囁かれてしまっては本当に倒れかねない。

耳まで真っ赤にしてしまった由依を見て、巧斗は可笑しそうに微笑んだ。

「フフッ。真っ赤だね、由依ちゃん。照れて、ドキドキしてる?」

「もっ、もう!そんなこと仰るなら、私先に行きますよ!?」

「そんな寂しいこと言わないで。由依ちゃんは、俺と一緒にいるのは嫌?」

「ウッ。か、柏木さん・・・・」

「どうしたの?」

由依は顔を赤くしたまま、隣で面白そうに微笑んでいる巧斗の顔を覗き込んだ。

「・・その・・・」

「ん・・・?」

「・・その甘く優しいお声と囁きを、引っ込めていただけないでしょうか・・・?」

もうすっかり自分は巧斗に翻弄されているような気がしないでもないが、これが精一杯の由依の抵抗だった。

はっきり言えば、巧斗はきっとやめてくれると思ったのだ。反応が気になって巧斗を見つめると、巧斗は次の瞬間、大笑いをした。

「アハハハハハハハハッ!!」

「・・か、柏木さん・・・・?」

巧斗がお腹を抱えて笑い出すものだから、由依はポカンとしてしまった。そんなに自分は面白いことを言っただろうか?単に巧斗に「甘く優しい声と囁きを引っ込めて」と言っただけなのだが・・・・?

由依が色々思考を巡らせていると、大笑いしていた巧斗が説明してくれた。

「アハハハハハハッ!ごめんごめん、由依ちゃん。君は本当に可愛いね。俺に面と向かってそう言ってきたのは、由依ちゃんが初めてだよ。」

「そ、そうなんですか?でも、柏木さんのお声は本当に何と言うか。深く私の心に入ってくるような感じがして・・・」

「・・そうでもしないと、君が俺の元に来てくれないだろう?」

「!でっ、ですから柏木さん!!その甘い囁きは・・・!!」

「由依ちゃんのお願いでも、これだけはどうしようも出来ないな。君の心が俺に傾いてくれるまでは、ね・・・」

どうしてこんなに巧斗の声は由依の中に溶け込むように入ってくるのだろうか?こんな風に囁かれてしまったら、どんな女性だって巧斗に靡いてしまうに違いない。

さすが社内一のプレイボーイ。誰に対しても抜かりはないようだ。

「柏木さん・・・・」

「俺がここまで言っても承知しない女性は珍しいよ。由依ちゃんは、俺の心を燃え上がらせてくれるね。」

「そそっ、そんな!そんなつもりは・・・・!」

由依がそこまで言った時、2人は会社に到着した。そこでいつもエレベーターに乗って自分の部署まで行くのだが、そのエレベーターが来るのを先に待っていた人物の中に、2人がよく知る人物がいた。

「おっ。由依に、巧斗・・・!?」

「あっ、圭吾君!おはよう〜!」

「やれやれ。姫君様と一緒にいられるのも、ここまでか・・・」

そこにいたのは、それまで話の中でチラッと出てきた茅場圭吾だ。彼は管理本部の中で、その実力をいかんなく発揮している有名な社員の1人である。

そんな彼に舞い込む仕事は非常に数多く、手に負えなくなった為、由依が彼のサポートをしているのだ。

最初は由依と巧斗が一緒にいて、由依が圭吾に手を振っている形だったのだが、いきなり圭吾は由依の肩を掴んで自分の方に抱き寄せ、巧斗から由依を引き離した。

突然圭吾に肩を抱き寄せられたことで由依は驚いたものの、特に抵抗することなく圭吾に従った。

「・・おい、巧斗。由依に手出ししてないだろうな?」

「したくても無理だ。姫君様は、なかなか俺に本心を見せてくれないからな。」

「か、柏木さん・・・・」

由依が少し顔を赤くすると、巧斗は眼鏡を持ち上げて微笑んで見せた。圭吾は、そんな巧斗を見てますます由依を自分の方に抱き寄せる。

「由依、巧斗には近付いちゃダメだ。コイツ、女を玩具としか思ってない所があるから。」

「えっ・・・?」

「圭吾、それは関心出来ない発言だな。俺は、由依ちゃんにそんな気持ちで接してない。」

「じゃあ、どんな気持ちだって言うんだよ?社内一のプレイボーイさん?」

「フッ・・言って欲しいのか?おまえの気持ち以上に、熱いものだぜ?」

「ケッ、相変わらず気取りやがる。」

男性2人の会話に付いていけず、由依はどうしたら良いか分からなかったが、その時エレベーターが来たことで、皆一斉に乗り込んだ。

エレベーターに乗るのは由依たちだけではない為、取り敢えず2人の会話は収まったが・・・何となく殺気立った雰囲気が感じられて、由依はそれが嫌だった。

圭吾と巧斗が大学時代の同級生だと圭吾から話を聞いて知っていたし、実際今日こうして話しているのを見聞きしたものの、同級生で仲良いなら敵意みたいなのを出さなくても良いのに、と由依は思いながら2人を見ていた。

管理本部は最上階にある為、先にエレベーターを降りるのは営業本部所属の巧斗だ。営業本部は管理本部のすぐ下の階にあり、巧斗は圭吾と由依に手を上げて挨拶してエレベーターを降りて行った。

最終的に由依は圭吾と2人きりになり、最上階に向かう。それまで圭吾がずっと由依の肩に手を置いていたことで、由依は少し気になってしまった。

「あの、圭吾君。」

「ん?どした?」

「その・・て。手が・・・」

「『手』・・・?あっ、わりぃ。おまえを巧斗から守らなきゃって思ってたから、つい・・・」

圭吾はすぐに手を離してくれたのだが、そのように言われてしまうと、少し照れてしまう。

「そっ、そんな、圭吾君。私、柏木さんには何もされてないし・・・むしろ、柏木さんは私を助けてくれたよ?」

由依がそう言った所でエレベーターが開き、通路が広がる。すぐそこに見えている自動ドアは、近くにある電話機でパスワードを入れることで開く仕組みになっており、その先が管理本部となっている。

圭吾がいつものようにパスワードを押すことで、自動ドアが開く。2人は一緒に中に入ったのだが、圭吾が少し驚いたように由依を見つめた。

「巧斗が、おまえを助けた?」

「うん・・・実は私、今日痴漢に遭っちゃって・・・・」

由依は恥ずかしくて、少し小さな声でそう言ったのだが、その次の途端、圭吾はガシッと由依の両肩を掴んだ。

そのことで由依は驚いたものの、特に抵抗することなく圭吾を見つめた。

「何だって!?おまえが、痴漢に遭っただって!?」

「け、圭吾君!声がおっきいよ〜!」

「あっ、わりぃ。つい、カッとなっちまった・・・・・で、それを助けたのが巧斗だって言うのか?」

「うん。それからは柏木さんが一緒にいてくれたから、大丈夫だったの。」

「そっか・・・まぁ、確かにあいつが傍にいたらなぁ〜。男避けにはなるだろうけど・・・・」

圭吾はそう言って由依から手を離したが、その表情は釈然としない。由依は目を丸くして圭吾を見つめた。

「圭吾君?」

「・・いや、何でもねぇ。おまえが巧斗に変なことされてなければイイんだ。ま、あんま気にせず、今日も一緒に仕事頑張ろうぜ?」

「うん。ありがとう!圭吾君。」

「それじゃ、行くぜ!」

こうして2人が一緒に管理本部の中に入ったことで、今日も1日が始まるのだった。


  

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