第5話

時刻は18時を示していた。管理本部の業務が終了し、1日の終わりを告げる時間だ。

基本的に管理本部のメンバーは定時上がりだが、圭吾は時々残業するようで、今日も残業していくようだ。

他のメンバーが『お先しま〜す。』と言って上がっていく中、由依は帰る支度こそ整えたものの、不安になって、未だ自分の席に座ってパソコンと向き合っている圭吾に声をかけた。

「圭吾君。私も残業しなくて大丈夫?」

「おうよ!毎度言ってるだろ?おまえは、俺が『残業頼む』って言った時以外は残業しなくていいって。」

「うん。でも圭吾君、ここ最近毎日残業してるような気がするから・・・」

「残業って言ったってたかだか1時間位だぜ〜?おまえが気にすることないって。明日また、よろしく頼むぜ?」

そう言って、圭吾は由依を見ると、ビッと親指を立ててウインクしてみせた。それに答えるように、由依は笑顔を浮かべる。

「・・ありがとう、圭吾君。それじゃあ、お先するね。」

「おう!お疲れ!」

「うん、お疲れ様〜!」

こうして由依は、今日も平穏無事に事が終わり、真っ直ぐ帰宅する筈だった。しかし、管理本部の入り口前、即ちエレベーター前で由依を待っていた人物がいたのだ。それは・・・・

「やぁ、由依ちゃん。お疲れ様。」

「あっ!か、柏木さん!?お、お疲れ様です!」

そう、そこにいたのは営業本部所属で、社内一のプレイボーイと言われる柏木巧斗だった。今朝初めて由依は巧斗と出会い、昼食を共にしたのだが、なぜその巧斗がここにいるのだろうか?

「会えて良かったよ、由依ちゃん。君に、用があったんだ。」

「えっ?私に、ですか?」

「うん。君の携帯電話番号とメールアドレスが知りたくてね。」

「ええぇっ!?わ、私の、ですか!?」

わざわざその為に、巧斗はここで自分のことを待っていたのだろうか?何だかとっても申し訳ない気がしたが、巧斗は由依のその問いに軽く頷いて答えた。

「そう、君の。言っただろう?俺はもっと、由依ちゃんとフレンドリーな関係になりたいから。」

「か、柏木さん・・・その。ありがとう、ございます・・・・」

社内一のプレイボーイと言われる巧斗にそう言ってもらえるのは、とても嬉しいことだ。

恐らく、巧斗はこのようなセリフをどの女性社員にも言っているのかもしれない。それでも、自分のことを気に留めてくれてた事が嬉しかった。

「フフッ・・可愛い、由依ちゃん。恥ずかしそうに顔を赤くする君から、目が離せないよ・・・・」

「柏木さん・・・あ、あの、そんなに見つめられたら、私・・・」

「由依ちゃん・・・・」

低く、甘く自分の名前を囁く巧斗の声。それは、由依の心を掴んで離さなかった。

巧斗はルックスはもちろん、声も低くてとても格好良い。そんな巧斗に見つめられると、視線を逸らすことが出来なかった。

「あ・・柏木、さん・・・」

「・・ずっとこうして、君と見つめ合っていたいね・・・・フフッ。でも、今日の所はやめておくよ。このままいたら、俺は由依ちゃんを離したくなくなってしまうから・・・」

「柏木さん・・・・」

巧斗にそんな風に言われると、ついその気になってしまう。『このまま離さないで』などと言いたい所だったが、そうしたら巧斗の思うツボになるような気もする。

何せ社内一のプレイボーイと言われる巧斗のことだ、きっとこれも口説き文句の1つなのだろう。本気でとらえたくてもそれが出来ないことが悲しかったが、由依はその悲しみを心の中に閉じ込めて、笑顔を見せた。

「あっ、あの!ケータイ番号と、メルアドですよね?今、お教えしますね!柏木さんのも、教えて下さいますか?」

「もちろんだよ。君のだけ聞き出そうなんて、そんな野暮なことはしないから。」

ということで、由依と巧斗はお互いに携帯電話を取り出し、それぞれ携帯電話番号とメールアドレスの交換をした。

「ありがとう、由依ちゃん。これで、いつでも君に連絡出来るね。」

「はい!私も、柏木さんとメールのやり取りが出来るなんて嬉しいです!」

「俺も嬉しいよ。由依ちゃんだったら、暇つぶしのメールでも大歓迎だな。」

「柏木さん・・・あの、ありがとうございます!柏木さんも暇な時は、メール下さいね?」

「了解。それと、由依ちゃん。もう1つ、お願いがあるんだけど。」

「はい、何ですか?」

由依が巧斗にそう聞くと、巧斗はかけている眼鏡をスッと持ち上げてから、由依の耳元で甘く囁いた。

「今度の日曜日に、俺とデートしない?」

「ええぇっ!?デデデ、デート、ですか!?」

驚いて、由依はつい大声を上げてしまったのだが、そんな由依とは対照的に、巧斗は面白そうに微笑んだ。

「うん、デート。由依ちゃんと、2人きりで過ごしたいんだ。」

「ふ、2人きりって・・・そ、そんな!柏木さん。私、まだそんな・・・」

「・・・由依ちゃんは、俺と一緒にいたくない?」

「キャアッ!柏木さん、私の耳元で囁くのはなしです!!」

ただでさえ巧斗の声は由依の心を揺れ動かすというのに、耳元でその気で囁かれてしまったら、本当に巧斗に従ってしまいそうだ。

プレイボーイの巧斗が、自分を遊びでデートに誘っているだろうことは目に見えているのに、このままだと自分がその気になってしまう。

「フフッ、残念。こうすれば、由依ちゃんの傍にいられるのに・・・」

「ウゥッ・・柏木さん、私で遊んでますね!?」

「ごめん、ごめん。由依ちゃんがあまりにも可愛い反応をするから、つい、ね・・・」

やはり自分は巧斗に遊ばれていたらしい。さすが、プレイボーイならではと言った所か。

ここまで優しくされると、女性としては本気にならずにはいられない。しかし、仮に本気になったとしても、巧斗がそうじゃなかったら?

まして社内一のプレイボーイと言われる巧斗が、自分を本気でデートに誘ってくれているとは到底思えない。由依としては、久しぶりの異性とのデートに心が弾むのだが・・・

「・・もう、柏木さんったら・・・」

「姫君様の心を傷付けたなら、謝るよ。ごめんね・・・これで、許してくれるかな?」

巧斗はそう言うと、その場にスッと跪き、由依の手を取って軽く口付けた。

今朝と全く同じことをしてくれた巧斗に、由依はただされるがままだった。一気に胸の鼓動がドキドキと高鳴る。

「か、かか、柏木さん・・・・」

「・・由依ちゃんの手は、とっても奇麗で繊細だね・・・指がこんなに細くて、守ってあげたくなる・・・」

「あ、あの、柏木さん!?えぇ〜っと、その!わわ、私、どうしたらいいのか・・・」

巧斗に何だかものすごいことを言われたあげく、跪かれてしまったことで、由依はあたふたとしながら巧斗にそう言った。すると巧斗はゆっくり立ち上がって、由依に尋ねてきた。

「ん・・・?あぁ、ごめん。それで?姫君様。答えは出たかな?」

「えっ!?」

「俺とのデート。もしかして、忘れてた?」

そういえば、今度の日曜日のデートの話をしていたのだと由依は今更ながらに思い出した。

巧斗が跪いてキスしてきたことがあまりにも印象強くて、そのことは由依の中ですっかり忘れ去られていたのだ。由依は顔を赤くして巧斗に謝った。

「・・すみません。忘れちゃってました・・・」

「フフッ・・由依ちゃんは素直だね。それに、とっても可愛い。」

「そっ、そんな!あの、本当にすみません!」

「いいよ。嘘をつかれるより、由依ちゃんが正直に言ってくれたことの方が嬉しいから。」

「柏木さん・・・・」

由依が巧斗を見つめると、巧斗も笑顔で由依を見つめた。スッと眼鏡を持ち上げた巧斗の瞳は、優しい輝きに満ち溢れている。

なぜ巧斗は、こんなに自分に優しくしてくれるのだろうか?プレイボーイたる所以なのだろうが、それにしたってここまでされてしまっては、女性としては本気にならずにはいられない。

「・・それで、どうだろう?俺と、デートしてくれる?」

「え、えっと、柏木さん。行き先は、どちらに・・・?」

「それは、由依ちゃんの行きたい所で構わないよ。」

「本当ですか!?そしたら、駅前通りのデパート街でショッピングしたいなぁ、なんて・・・・あぁっ、ダメです!私1人の都合で、柏木さんを・・・!」

「構わないよ。由依ちゃんの行きたい所が決まってるなら、話は早いしね。」

巧斗はそう言って笑顔を見せた。これはもう、日曜日のデートが確定したということだろうか?

しかし、ここまで話が進んだ所で断るというのも変な話だ。せっかく社内一プレイボーイかつ優れた営業マンとしても有名な柏木巧斗と一緒に出かけられるのだ。こんな機会はそうそうないと、由依はポジティブに考えることにした。


  

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