前回は最遊記第48回 Lose の「感想」を書きましたので。
今回はその前提、無一物について調べたことを少々。
(ついでに次回は逢仏殺仏についてです。)
とはいえ相手は禅語。
調べたことを並べ立てたところで、
その教えについて何が分かったと言えるものではありませんが。
「悟りは言葉で伝えられず、師の心から弟子の心へ直接伝えられるもの」と、とりわけ明言するのが禅宗。
けれどまた、数々の法語を重視するのも禅宗。
調べてわかることが全てではないと思いながらでもどうしても調べたくなる、
亭主の興味がおもむくままの雑文としてお読みくださいませ。
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では。
「無一物」って何だろう。
まずは言葉の意味。「何一つ持っていないこと」。
ただのひとつの物もない、ということですかね。
「無一物」という言葉だけで検索をかけると、まあホントいろいろなものが出てきます。
西田哲学に出くわしたのには吃驚。(驚くのは浅学の故)
貧しい、というほどの意味で使われることもあるし、無一物、という名の焼酎もあるみたいです。
これ飲んだら何もかも忘れて無我の境地に至れそうです。
冗談はさておき、仏教の言葉としての「無一物」は、中国禅宗の六祖である慧能(えのう)大師の言葉。
慧能さんは638〜713のひと、中国は唐の時代ですね。
六祖というのは禅宗を開いた達磨さんから数えて6代目の、禅の教えの後継者ということ。
出典は『六祖壇経』という書物だそう。見るからに、六祖慧能の教えを集めた書物のようでございます。
「無一物」がほんとうにここで初出なのかはいまいち確証が持てないのですが。
でもネットでも辞典でも次のお話ばかりが出てくるんだよね。ということで、お話。
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五祖弘忍は、後継者を決めようと思いました。
そこで、門下の僧たちにおのおのの悟りの境地を表した漢詩(偈。げ、と言います)をつくらせました。
高僧の神秀はこのような偈をつくりました。
身是菩提樹 身は是れ菩提樹
心如明鏡台 心は明鏡台の如し
時時勤払拭 時々に勤めて払拭して
莫使惹塵埃 塵埃をして惹かしむることなかれ
体は菩提樹、心は澄み切った鏡。ときおりきれいに払い清めて、塵も埃も寄せつけない。
亭主の適当な訳ですが。
菩提樹は釈迦がその下で悟ったという木ですね。鏡と共に、清らかなもののイメージです。
(菩提は悟りそのものでもあります・・でもそう考え始めるとだんだんこんぐらかってくる・・。)
人はもともとはきれいなものだけれど、放っておくと欲や迷いにまみれて汚れてしまうから、
常に修行して煩悩を拭い去って、自らを清らかに保たなければいけない。
きっと神秀さんは理想が高くて誠実で、自分にも他人にも厳しい生真面目な方ですね。
さて、僧たちはこの偈に賞賛を惜しみませんでした。
けれど五祖弘忍は、これでは神秀を後継に足るとは認めなかったのです。
五祖は沈黙したとも、次のように評したとも言われます。
「門の前まで来ているが、まだ中には入れない。
この偈によって修行すれば堕落はしない。けれど悟ることはまだできない。」
そこで慧能はこんな偈を作りました。
慧能はこのとき僧ですらない寺の米つき男であり、自らは文字が書けなかったため近くの童子の手を借りたと伝えられます。
菩提本無樹 菩提、本(もと)樹(じゅ)なし
明鏡亦非台 明鏡もまた台にあらず
本来無一物 本来無一物
何処惹塵埃 何れの処にか塵埃を惹かん
菩提樹はもとより樹ではない。鏡もまた鏡でない。本来、無一物。どこに塵がつくだろうか。
・・・適当な訳もしづらいです。
樹もない。鏡もない。「清らかなもの」があるわけではない。煩悩があるわけでもない。
本来この世には何もない。私も何もない。
何もないものに塵がつくはずもなく、塵を払おうとする必要もない。
神秀さんはまだしもわかるのですが、慧能さんはわかりません。
善悪の対立、正邪の対立、そういったものを人は、悟りは、禅は超越している、ということのようなのですが。
神秀さんは人はもともと善だといっている。
一切衆生悉有仏性。生けるものは全て仏の本性を持っている。
これにまとわりつく塵や埃は悪いもの。あってはならないもの。だから払い落とす。自らを善く保つ。
けれど慧能さんの言うのには、悟りってのはそういうことじゃない。
毎日毎日自分をきれいにするために心を配ることじゃなくて。
きれいにしなくちゃいけないのは汚れるから。
汚れるのはきれいなものがそこにあるから。
善、があるから、善、があると考えるから、悪、がくっついてくる。
そういう循環を超えたものが悟りだと、禅だと、多分慧能さんは言っている。
善とか悪とか、清いものとか汚れたものとか、鏡とか塵とか、
自分をきれいにしとかなきゃいけないっていう強迫観念とか。
対立の概念をつくるとき、人はそれに囚われている。
対立する片方を排除しようと考えるとき、その対立に人は囚われている。
毎日毎日自分をきれいにするために心を配り続けるのって、やっぱり自由な人の在りようとは違うよねえ。
何もなければ何かがくっついてくるはずもないのに。
一切の囚われを超越する。囚われないからこそ塵がつくはずもない。
そもそも囚われるとか、囚われないとか、そういうことじゃなくてそこにはほんとうに何もない。
何もないんですよ。
何かがありそうだと見ている私たちは既に囚われている。
なにもないんですよ。
善の幻想を勝手に見ている私たちが、悪の幻想に怯えさせられる。
そんな必要はない。なにもない。
全ての幻想を、全ての囚われを捨てて何一つ持たなくなってこそ、
何にも怯えなくてすむ。塵も埃もよってこない。完全に自由となる。
書いていると分かりそうな気もするのに。
でもやっぱりわかんないや。
さて、五祖弘忍はこの偈によって慧能を後継者、すなわち六祖と認めました。
おそらく納得しないであろう他の僧に慧能が害されないよう、
夜中密かに法を授け、袈裟を与えて、南の方へと逃がしたのです。
よって以後、南宗禅と呼ばれる慧能の禅が正統とされました。
南があるのは北があるからで、神秀は北宗禅の祖となりました。
ただし。臨済宗や曹洞宗など現代まで伝わる禅のほとんどは南宗禅に由来しています。
つまり現代に残る「南宗禅が正統である」という伝承は南宗禅側の主張であるということです。
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つまり無一物とは。もともとなにもない、そういうこと。
何ものにも囚われない悟りの境地。
悟りそのもの。禅そのもの。
なにもない。なにもないということは、なんでもあるということでもある。
有るとか無いとかの対立もないから。
自分と他者の対立もないから。
世界は私。私は世界。
無一物中無尽蔵 花有り月有り楼台有り
『東坡詩集』蘇軾(蘇東坡)1036‐1101
三蔵法師は禅宗かって?
・・・いいえ。唯識派、と呼ぶのかな。
あ、ちなみに玄奘さんは602〜664のひと。
慧能さんと出会ったことは、やっぱりないかな?
多分研究熱心な玄奘三蔵は、禅宗の教えもあらかたは知っていたであろうと。
そして研究熱心な玄奘三蔵は、きっと神秀さんのタイプであったろうと。
そんなイメージを持っていますが。
これはあの世界の玄奘三蔵とはまた別のお話。
あれ、ところで玄奘さんが持ちかえってきた『大般若波羅蜜多経』って、
禅宗の経典だったかしら?
参考リンク
洋彰庵寺子屋 > 禅の言葉 >
本来無一物 適量。読み易し。
曹洞宗 長泉禅寺 >
不立文字 >
公案 本来無一物
充実。が、文字が多い。
やすいゆたかのHomepage > 西田哲学入門講座 >
禅と絶対自由意思−慧能について 個人的に、好き。
その他検索サイトで手当たり次第。
世界大百科辞典 株式会社日立システムアンドサービス ・・この表示これでいいのか?
あと私は直接読んではいないのですが書物の情報。今回はネットのほうが使いやすかったのでした。
『六祖壇経』 中川 孝著 タチバナ教養文庫(たちばな出版)
『蘇東坡詩集』小川環樹ほか訳 岩波文庫