ああでもない。
こうでもない。
太乙とふたり机の上一杯に資料を広げながら、進んでは行き詰まりまた始めから、と検討を繰り返している。
癒えない傷のメカニズムに、いったい幾つの仮説を立てたのだったかねぇ。
思考が行き詰まったとき特有の埒もない思いが、頭の中を通り過ぎて行ったから。
「太乙」
いったん全ての考えを放棄して、しかめっつらで数式を立ててはぐしゃぐしゃと潰している彼を呼んでみる。
「なに?」
どうやら消したばかりのその仮定にはまだ未練があったらしくて、
返された声は微妙にご機嫌うるわしくなかった。
「別に」
他意があったわけじゃない。
単にただ呼んだだけだったから、ホントにそれ以上言うことがなかっただけ。
太乙はむっとしたようにこっちを見た。まあ当然のことで。
あ。
不意に。その予想した通りの表情から、気づきたくないことについ気づいてしまった。
わたしたちはいままで、解けない問いに不満を抱くことはなかったのに。
いま向けられた顔には不平の刻印。
たぶん私の上にも色濃く影を落としているだろうそれ。
解けないことは解き続けられるよろこびのはずだけど、道士ひとりの生死はそうもいかない。
誰でもいい誰かひとりならまだともかく、彼はそういう誰かではない。
道徳。
こんな弱い子をよく置いていけたねぇと、毒づいてみたくもなる。
裏を返せば置いていかれた彼は弱くはない、のか。
わからない。
わたしは自分が弟子より先に命を落とすと考えたこともないし、そのつもりもないから。
君はあの子の中に何を見たんだい?
ためらいなく封神されてくれちゃって、ねぇ。
この子の中にあるものを教えてくれないかな。わたしと太乙じゃあ、たぶん、解けない。
首を振る。
私の脈絡のない動きを、太乙は眺めて。
「雲中子?」
内にある不平をとりあえず脇に置き、心を気遣いに振り向けてくれるらしい。
どうしたの、と問いかけてくる調子はわたしの考えを知って解きたいという前向きさをまだ備えていた。
その声に、問いが解けないことはやっぱり悔しいねぇと、解きたいのだねと、そういう心情が自分にも残っていることをどうにか確認する。
そう思ったから口を開いたんだけど。
「道徳だったらさ」
言って、後が続かなかった。道徳だったら。
傷の構造は解けないだろう。でも彼は、きっと別の解法を持っている。
治る、と思うこと。根拠もないのにね。
笑いかけてやること。いや、笑い飛ばしてやること。
それから、マラソンに引っ張り出したり真剣勝負をしかけたりなんかして、わたしたちがきっと呆れて止めるのだ。
まったく、君はいつでも無茶ばかり。
けれど間違っていないところが、腹立たしいんだよ。
「道徳だったらさ」
そう、わたしが太乙に言いたいことはそんな解法の可能性。
癒えない傷のメカニズムを解いているわけじゃないけれど。
いまたどり着いている、唯一の処方。
プラシーボ。あの子と一緒に笑ってやること、喜んでやること、治ると信じてやること。
緊張の緩和と自己治癒の強いイメージ。
安定した情緒。肯定的な思考。適度な運動。
あの子をその気にさせること。治るのだと。そして治すのだと。
そういう治療法があることを、私は知ってはいるけれど。
「道徳だったらさ」
彼は知らない。けれど、彼は処方できるだろう。
「傷のことは雲中子や太乙が何とかしてくれるさ」くらいのことは言うかもしれない。
(ほんとうはそんなお医者任せの態度ではいけないのだけど)
でも。
とにかく、彼はからだというものを自分のものだと知っていて。
それが存分に動くと知っていて、動かすことを喜んで。
いやそんなことも意識しないで笑って動いて喜んで。
そして、彼はその弟子と、そんな時間を過ごしていたはずだ。
それは科学的にも無視はできない治療の手段。
でもそんな処方は私にはできない。
道徳が持つような医師への信頼を私は持てない。
だって私が謎を解けていないのだから。
道徳が持つような自己への信頼も私は持てない。
随意に動かせるはずの筋肉だって私は現に動かせるかどうか知れないのに。
まあ、そんな状況でも、私は私の弟子ならきっと治せるけれど。
雷震子にならどんな嘘でも笑ってつける。
どんなに望みのない病状だろうと、単純な私の弟子を治る気にさせることくらいできるはず。
だけどねぇ、君のあの子には。
君に似て、あの子は自分の体をよくわかってる。
私の信じていない「治る」を、私が口にしてあの子が信じるわけがないね。
そう、あの子は嘘にも聡い。
そして、嘘に腹を立てはしないだろうけど、嘘を笑い飛ばせるほどには君には似てない。
だから君のいないいま、君につけない嘘を彼につくことも私はできない。
君なら処方できただろうに。
それは嘘ではなく、あの子の中にある何かが君には見えるんだろうねぇ。
私にはいまそれが見えない。太乙にも見えない。
「道徳だったらさ」
それ以上言葉が続かないのも我ながらもっともだねえ。
私にはその処方ができないのだから。
このメカニズムが解けない以上。
道徳。
こんな弱い子をよく置いていけたねぇ。
そうじゃないというのなら、この子の中にあるものを教えておくれよ。
この子の中に、何を見たのさ。
「雲中子?」
太乙の、優しい声がもいちど降った。
何時の間にか内だけを見ていた視線をちゃんと太乙に合わせると、
一瞬の安堵の次にはやっぱりむっとした表情があった。
「話しかけといて何ぼうっとしてるのさ。
解かなきゃいけない問題は山積みなんだよ?」
その言葉に私は笑った。
太乙がますますむっとするのはわかっているけど止まらない。
解く気、なんだねぇ。そうだね。私もだよ。
「道徳だったらさ」
その一言を、発せず口の中で溶かす。
無いものをねだってはいけない。
彼はいまここにはいない。それは彼が選んだことだ。
その弟子がひとり寄る辺無く残されることを承知の上で、彼が選んだ。
そして残されているのはわたし。太乙。それから。
そう、寄る辺無くではなかった。
誰が残るのか道徳は知っていた。
そして、あの子の中に何があるのか彼は知っていた。
師父の手を離れて、ひとりでやっていけるだけのものを道徳はあの子の中に認めたはずだ。
そしてその「ひとり」の周りには私たち。
道徳ではない私。太乙。太公望。それから。
私が道徳と同じことを言おうとするなら、それは嘘でしかない。
そうじゃない。
道徳をねだるべきではない。
道徳ではない私たちは、この難問を解きたくて。解くつもりで。
思わず笑う。
うん、解こうったって君には解けないよね、道徳。
私は私の望むまま、私の手の届くことを。
解けない問いと思えば不満が募る。道士ひとりの命は重い。まして、彼は道徳の弟子だから。
けれど解きたくて。解くつもりで。解く。解ける。
安定した情緒。肯定的な思考。それは私にこそ処方すべき薬。
そしてあの子には。
道徳のような処方はできない。また、しない。
わたしがするのはさっさとこの難問を解いて、生物学的な処方箋を書くこと。
そうでしょ?
偽薬だってね、医師がその効果を信じていないことには逆効果でしかないのだから。
あの子には、道徳の紛いものはいらない。
手を離れて、ひとりで歩いていけるのだろう。
ほんとうは私にはそれはまだわからないけど。
道徳、師父たる君がそうだと言うのだから。
私はまだ私の弟子の手を放したくはない。
けれど、いつかはそんな日が来るのだろうか。
私のいない、けれど人々のつながりの中で、私の弟子だった子が
そのつながりのひとつとしてひとりで生きていく日が。
そのとき。
やっぱり不意に気づきたくないことについ気づいてしまった。
そこで生きていけない可能性があっても、ひとりで歩いてほしいと願うのだ、きっと。
ほんとうにひとりでやっていけるかに、十全の確信はなくても願うのだ。
転ぼうと、止まろうと、手をつないだまま歩く以上の価値を見るのだ。
転ばない強さがあるかどうかはわからないけど。
転んでもあの子はきっと立ちあがるのだろう。
だって、君の弟子なんだからねぇ。
手を引いてやるのではなく。道徳を望むのではなく。
私はあくまで私としてあの子に関わること。
君はそう望んでいると思っていい?
後はあの子の中の強さ。
不確実にせよ、いや不確実だからこそ望むのだと理解はしても。
それならいっそうあの子の可能性をその眼で見たかっただろうねぇ、と。
それは絶対にどの師匠にも叶わないことと承知しながら私は彼の封神を悼んだ。
そして。
さっさとこの難問を解いてしまうのだ。
placebo とは、「偽薬」の外国語だろうと思っていたのですが、
偽薬効果も含め心理的な治療効果全般を意味するようです。
「喜ぶ」「喜ばせる」というラテン語に由来します。
さて、そのつもりはなかったのに前回の更新に引きずられているようです。
玉柱洞師弟も子離れしている気がしません。
とにもかくにも次回からはもっと短く仕上げたいと思います。