0 前置き(漢字の話)
封神演義は中国のお話です。中国の「三大怪奇小説」なるものであるかどうかはともかくも(笑)
注。
ということは、当然中国語で書かれ、語られ、読まれ、聞かれているわけです。
これまた北京語とか広東語とか明代のそれらの古語とか、とにかく何が「中国語」かはともかくとしてです。
で、中国語ですから、漢字で表現されています。
「太公望」とか「黄天化」とか、私達が目にしているのと同じ文字で表現された文学であると。
くどいようですが繁体字とか簡体字とかはたまたもっと古い形とか、そういう違いもともかくとしてのことです(苦笑)。
それでそれで、先程「太公望」とか「黄天化」とか私達が目にしているのと同じ文字、と申しましたが。
中国語を日本語に翻訳する場合、固有名詞はそのまま同じ漢字を使うのが普通です。
あちらでもこちらでも「太公望」は「太公望」。
もっとも、音は日本語読みにすることが多いですね。
「太公望」を tai gong wang と読む日本人はそうたくさんはおいででないでしょう。
スープーシャンやスース(これは固有名詞じゃないって・・・)の例もありますけどね。
どう読むにせよ、中国でも日本でも読みはともかく字は同じ。
そんなこと改めて亭主が申し上げるまでもなく、わざわざ意識せずとも多くの場合ごく自然に了解されている事柄かとは思うのですが。
わざわざ書き連ねましたのは、そこから半歩踏みこんで、そこに嘘を織り交ぜているから。
長い前置きでした。さてもここから嘘報告。
こちらでもあちらでも、「黄天化」が「黄天化」であるように、「清虚道徳真君」が「清虚道徳真君」であるように、
「青峯山紫陽洞」は「青峯山紫陽洞」。
これは嘘ではありません。
けれども「紫陽洞」の「紫陽」の表記に「紫陽花」のイメージを重ねる、と。
多分それはできない相談、嘘なのでした。
1 アジサイ2種
さてまずは、アジサイとは何か、から参りましょう。
「アジサイ」は、日本原産の花です。
ゆきのした科アジサイ属の中でもいま「アジサイ」と呼ばれる小花が手毬状に丸く固まって咲く花は、
日本の太平洋沿岸、伊豆地方あたりを原産とする花です。
とはいっても、ここで亭主が「原産」としたのは、
いまの「アジサイ」の元となる花がこの辺りに自生していたということだけを意味しようとしたのであって、
もともとむかしむかしにこの地方に咲いていたのがいま一般に「アジサイ」「ホンアジサイ」「セイヨウアジサイ」と呼ばれる
小花が手毬状に丸くかたまって咲く花だというのではありません。
そのころそこに咲いていたのは、小花が額のように、縁取りをするように咲く「ガクアジサイ」。
この「ガクアジサイ」が「アジサイ」(ホンアジサイ)の原種と言われます。
ガクアジサイの変り種といいますか、品種改良といいますかによって生まれたのがホンアジサイ。
ガクアジサイの類には時々小花の多いものが出たりするようです。逆に小花が全くないものも出るようですが。
そういう小花の多いものを選んで育てて作ったのか、どうしたのか。
品種改良の具体的な手段ってよくわからないのですけれど、ホンアジサイは基本的に園芸種のようです。
ここで「小花」と亭主が呼んでいるもの、正式には装飾花といいます。
普通3〜5枚の花びらがあるように見えますが、これは花びらではなくて蕚(がく)です。
その真ん中に、ぽちっと小さいかたまりがあります。これが花です。
ここに小さなおしべとめしべがありますが、退化しており、アジサイの装飾花は子を成しません。
そしてさらに、ガクアジサイのこの装飾花は、たくさんのぽちっとした固まりを縁取っていますね。
この縁取りの中にある一つ一つも花です。開花し、おしべとめしべがあります。
この花は実を結ぶことができるみたいです。
ホンアジサイに実を結ぶことのできる花が皆無だというわけではなく、小花の奥のほうにあることはあるのですがごく僅かで。
生物としてあるべき姿なのはガクアジサイのほうなので、こちらが原種と判断できるのでしょうか。
ともかく、ガクアジサイの小花を増やしたものがホンアジサイです。
2 ひらがなのあじさい
上記のとおり現在アジサイには手毬型のものと額縁型のものがあるわけですが、まとめて「アジサイ」と呼ぶことがありますね。
かと思えば「アジサイ」が手毬型のものだけを指していることもありますね。
「アジサイ」が初めて出てくる文献は万葉集ですが、さてそこでのアジサイはどちらだったやら。
万葉集には「あぢさゐ」が2首出てきます。
「味狭藍」、「安治佐為」と書かれています。
安治佐為の 八重咲く如く 弥(や)つ代にを いませわが背子 見つつ思はぬ (橘諸兄)
事問わぬ 木すら味狭藍 諸弟(もろと)らが練の村戸にあざむかえけり (大伴家持)
つまり「紫陽花」という漢字より、「あじさい」という音が先にある。
もちろんそれらより先に実際の花がある。
そんなの当たり前?まあ、そのとおりです(苦笑)。
この「あじさい」というやまとことばの花の名の由来は、「集(あづ) 真(さ) 藍(あい)」集まって咲く藍の花とか、
「あぢ 小(さ) 藍(あい)」(あぢ=称賛の意)きれいな藍の花とか、されています。
他にも説がありますが(後述の「厚咲き」)、「集まって咲く藍の花」が一応通説のようです。
基本的にアジサイは酸性土壌では青、アルカリ性の土壌では赤色に発色します。
日本は酸性土壌のところが多いので、藍色の花とされていたということですね。
この段階でアジサイの色が「紫」だという認識はないようです。万葉集で紫といえば紫草。
もっとも、色に関わりなく花がたくさん八重に咲くことから「厚咲き」、音が変化して「あつさい」という説もあるようです。
でもガクアジサイを「八重」はともかく「厚い」と言うかなあ?
いやしかし、ホンアジサイのような厚く咲く変異種を見ていたのかもしれないし。
でもそうするとガクアジサイには何か別の名前が入り用な気がするし。
少なくとも1で書いた経緯からしてこの言葉が生まれた当時には、
アジサイ(ホンアジサイ)よりもガクアジサイの方が一般的だった、そこらの山にたくさん咲いていた、と思うのですが。
どちらをも指して、いやガクアジサイをこそ指して「集真藍」と呼んでいたのだと思いたい。
だってガクアジサイこそ「藍」にふさわしい色だと思うので。
ホンアジサイの青も綺麗だけど、どうも「藍」のイメージでなくて。(<色名の考証も無視した亭主の趣味です(^^ゞ)
実際のところ、万葉集の「アジサイ」が、ガクアジサイなのか手毬型なのかははっきりしておりません。
ガクアジサイ型だったとしてもいまのガクアジサイと同じかどうかもわかりません。
それどころか、ホンアジサイがいつごろ生まれたのかも結局は分かっていないのです。
1でいろいろ書いたのですが、その時期はよくわからない。
江戸時代の文献(『花木真写』近衛予楽院1667-1736)に現代のホンアジサイによく似たアジサイの絵があり、
どんなに遅くても江戸時代初期にはあったみたいですけれど。
万葉集のころにはホンアジサイはなかったか。多分なかったのではないかと思いますがどうにも確証は持てないところです。
ともかく、額縁型を指しているにせよ手毬型を指しているにせよその両方を指しているにせよ。
「あじさい」ははじめから紫陽花ではなかった、というところがこの節のポイントです(<そうだったのか(^_^;))。
<ちょっと余談>
ちなみにこの「あじさい」、好き嫌いは人それぞれ、多分きっとてんでばらばら。
万葉集の2首だって、片方は褒めているようなのですが、もうひとつは愛でているとは聞こえません。
梅とか桜とか桃とか、皆が皆好ましいと評する花とは趣が違います。
安治佐為の 八重咲く如く 弥(や)つ代にを いませわが背子 見つつ思はぬ (橘諸兄)
諸兄さんはアジサイを称えてますよね。言祝ぎの歌です。
「あじさいが八重に咲くように、八千代に長生きしてください。あじさいの花を見るたびに、貴方を偲びます。」
事問わぬ 木すら味狭藍 諸弟(もろと)らが練の村戸にあざむかえけり (大伴家持)
家持さんはどうでしょうね。
「物を言わない木でさえ、紫陽花のように色鮮やかに(七重八重に?色移りして?)咲く。諸弟にすっかりだまされてしまった」
紫陽花がどうした、というところははっきり示されていないので、好意的な解釈の余地もないことはないでしょう。「色鮮やかに」は、いちばんアジサイに好意的なサイトさまの解釈を引かせていただいたのです。こうだといいのですが。
でも歌の主題が「だまされた・・!」ですからやっぱり「色移りして」が妥当なのではないかと思います(涙)。
花の色があれこれと移り変わりそして散らずに色褪せ枯れていくこの花。
万葉集の後、王朝文学にはほとんど姿を見せず、俳句や文様に活躍するのはずっと下って江戸時代。
もっとも江戸時代にも、心変わりの象徴とされたとか、潔さを美徳とする武士たちに忌まれ蔑まれたとか。
ついこの間、戦後になるまで、日陰に植える陰の花という印象があったとか(確かに日陰でよく育つそうですが)。
あじさい、なかなか苦労人です。
これを嫌う人は確実に相当数いたのです。
でも園芸種として育てられたわけですから、愛でる人もたくさんいたはずですけれどもね。
枯れて散らずにただ佇む。健気というも軽々しいような、大きな花。
3 中国のアジサイ、ついでにヨーロッパのアジサイ
かくの如く日本では奈良時代から知られていたアジサイですが、先に申しましたようにこれは日本原産の花です。
少なくとも、ホンアジサイは日本原産のガクアジサイから生まれた花である様子です。
ガクアジサイの自生分布地は伊豆地方と房総半島、和歌山県の一部、高知県の一部。
ガクアジサイのような小花のつけ方をするアジサイにはガクアジサイのほかにヤマアジサイ、エゾアジサイがありまして、
ここまで話を広げると、これらは日本と朝鮮半島南部に分布します。
いずれにせよ、中国にはもともとガクアジサイの類もホンアジサイの類もないわけです。
現在、中国中南部ではガクアジサイが自生しているそうですが、これは日本のガクアジサイが園芸種として伝わり、
これが野生化したものだと考えられているようです。
(もっとも、アジサイ属の花が日本にしかないわけではありません。
「アジサイの仲間」は他にもあり、東アジア、南北アメリカに分布します。
中国でもアジサイの仲間が漢方に使われていたりします。念のため。)
手毬型のアジサイも日本から中国へ伝わりました。
こちらはさらにその後ヨーロッパへと伝播します。
これまた中国へ伝わった時期はよくわからない、というのが正直なところではあるのですが。
ガクアジサイが日本で園芸化されたのは鎌倉時代という説がありますが、それに従えばそれよりは後。
さらに、手毬型が中国を経由してイギリスへ伝わったのは1789年とされています。
ということは中国に伝わったのはそれよりは前。
中国に伝わったアジサイは瑪理花、天麻理花、洋繍球、洋綉球などと呼ばれました。
また、八仙花とも呼びますね。
(「アジサイの中国名は八仙花」というのがいちばん普通の説だと思うんですが、
植物学者の牧野博士は
アジサイと八仙花は別物だと仰っておいでです。
しかしどこが違うんだか分からないのでお手上げです・・・。)
ちなみに、ヨーロッパでは東洋の薔薇と持て囃されさらにさらに品種改良が重ねられ。
花の色、花の形、さまざまに多くの園芸品種が作られました。
あちらでの名前はハイドランジア、即ち水の器。
これは手毬型ですね。額縁型は伝わらなかったのでしょうか見向きもされなかったのでしょうか。
中国を経由せず、日本から直接シーボルトがヨーロッパに持ち帰り紹介したのも手毬型ですね。
愛人のお滝さんの名がついているのは、いわゆるアジサイ(ホンアジサイ)。
これら西洋で作られた多種多様な園芸種は、明治以後日本に逆輸入されました。
これをセイヨウアジサイと呼んでいます。
とにもかくにもアジサイは中国では八仙花などと呼ばれ、紫陽花ではないのでした。
4 で、紫陽花。
さてさてようやく本題です。
「アジサイ」(というあの花)は、日本では「あじさい」だけど、はじめ「紫陽花」ではなかった。
「アジサイ」(というあの花)は、中国ではいまも「紫陽花」ではない。
さてでは何故いま日本で「あじさい」は「紫陽花」か。
典拠は中国古典にございます。
じゃあ、中国でも紫陽花でいいじゃん、と主張したくもなりますが、残念ながらそうはいかない。
紫陽花の典拠、唐の詩人、白楽天(772‐846)の「紫陽花詩」。前書きつき。
招賢寺有山花一樹、無人知名。 招賢寺に山花一樹あり、名を知る人無し。
色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物。 色紫にして気香しく、芳麗にして愛すべく、頗る仙物に類す。
因以紫陽花名之。 よって紫陽花を以ってこれに名づく。
何年植向仙壇上 何れの年にか植えて仙壇の上(ほとり)に向う
早晩移栽到梵家 早晩移栽して梵家に到る
雖在人間人不識 人間に在りといえども人識らず
与君名作紫陽花 君がために名づけて紫陽花となす
仙境に植えたのはいつの年であったか、いつか植え移してこの寺まで来た
人々の間にあっても人は知らず、あなたのために紫陽花と名づける
訳の間違いにお気づきでしたら是非に亭主までお教えください。 m(_ _)m さっぱり自信なし・・・
ともかく花が仙界のもののように素晴らしいので、紫陽花と名づけるということです。
この花、色は紫。そして、一本の樹、と認識される立ち姿、芳しい香り。
色はともかく香りからして、そして中国へのアジサイの伝播経緯からして、
これは「あじさい」ではない、と現代では結論付けられているのですが。
時は935年、平安時代。わが国で2番目に古い漢和辞典兼百科辞典である『和名類聚抄』を作った
源順(みなもとのしたごう)さんは、これをあじさいと解釈し、あじさいを「紫陽花」と表記したのです。
後年、牧野博士などには激しく批判されるのですが、しかしこれは定着しました。
定着したってことは、人々のイメージと合致したってことでもあるでしょう。
何度も繰り返しますがホンアジサイの成立時期がわからないため、源順さんが『和名類聚抄』に書いたアジサイが
ガクアジサイかホンアジサイかどちらかよくわからないのですが。
個人的にはガクアジサイよりも手毬型のアジサイのほうにより紫陽花の文字はふさわしいと思います。
いずれにせよ素敵な文字です。
ということでそれ以来現在まで、千年を越えてアジサイは紫陽花と表記されてきました。
白楽天の漢詩の内容からいえば、誤記には違いありません。
日本の漢字表記の歴史の半分以上をこれで押し通してきた誤記、なかなか壮大です。
ここまでくれば、誤記といわれようと当て字といわれようと、もはや紫陽花はアジサイですね。
とはいえこれは『和名類聚抄』に基づくあくまで日本国内の誤記。
中国では紫陽花はあじさいではありません。
だから、紫陽洞と漢字で書いてあったとしても、それはアジサイとは関係がない。
中国語と日本語で使う漢字が同じでも、それに与える意味は必ずしも同じではないのです。
ちなみに白楽天の詩の対象は、アジサイではないにせよ不明のまま。ライラックという説もありますが不確かです。
清虚道徳真君が、何故に洞府を紫陽洞と名づけたか。
それはどういう意味なのか。
日本語の紫陽花で幾つかの設定をしつつ、それは嘘。
それでもそんな設定は止められないのですから全く、度しがたいところなのでした。
注 安能版前書きをお読みなことを前提に。
(笑)にさっぱりお心当たりがないと仰る方は、二階堂善弘先生の
正しい『封神演義』普及の会へのご訪問をお勧めいたします。
もっとも、それでも亭主はフジリュー封神の話をする限り、ナタク、ヨウゼンと呼ぶつもりですが。(<矛盾。)
参考文献
牧野富太郎 『植物一日一題』博品社
北村四郎・村田源 『原色日本植物図鑑 木本編』保育社
長崎市 >
長崎市の国際情報 >
地球市民57号 ひとまず、概要。
NetRICOH >
アンテナ図書館 >
おじさん通信 これも概要。
花物語&花言葉 in てぃんくの家 >
花物語 膨大な物語。
食べて治す医学大辞典(BGMあり)>
アジサイ とりあえず、常山アジサイについて補足
Song of Russia >
Hortensia(オルタンシア) アンティークショップ。セイヨウアジサイについて
熊本のヤマアジサイ 充実の写真、文献に見るアジサイ。
ヤマアジサイ >
基本的なこと
自然観察の部屋 > オモシロ自然観察 >
4 アジサイの開花 花の仕組みが分かりやすい
楽しい万葉集 >
アジサイ ・
紫草
万葉の花とみどり >
あぢさゐ 花の写真が好き。
色の万華鏡 一応、藍と紫の区別を。
文責は
水波にございます。
誤りなど気づかれましたら私まで掲示板やメールで教えていただければ幸いです。
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ただしご利用によりもしもあなたが損害を受けたとしても、水波は責任を負いませんし負えません。
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