川の向こうに
その日この雨が上がるかどうか、私はまったく気が気でなかった。
広く開いた窓の外にはさあさあと雨が降っている。
ここ数日その響きは耳を打ち続け、止むことを知らない。
王宮の中のどこよりも静かなこの部屋では、その音は世界そのものだった。
私は寝台の横に掛け、ただ黙って時を過ごす。
いま寝台の主は眠っているから。
慌ただしい執務の合間を縫って、可能な限りここにいる。
一刻でも、一瞬でも長く傍に居られるように。
彼が目覚めているときはもちろん。眠りについているときも。
許されるなら片時だって離れたくない。
殷周革命より2年が過ぎて、王朝はようやくかたちを整えつつあるが。
このひとに残された時間はあとどれだけか。
永遠などと愚かなことを願うつもりはないのだけれど。
けれど。あとどれだけか。
抗えぬなにかに押し流されて、あちらとこちらに分かたれる。
嫌だわ。それは嫌。
半身をもぎ取られるような痛みに呻く。
堪らずに私は爪を立て、その半身が休む敷布をぐっと掴んだ。
そんなことでひとは引き留められないと、もちろん百も承知だったが。
さあさあと続く雨の音。
耕すものには恵みの雨だが。
あいにく私はそうではなくて、ただひたすら止むことを祈っていた。
視線をそのひとの寝顔に釘付けたまま。
雨音が気になるのなら窓を閉じれば良いのだけれど。
いまここから私は動けない。
目を離すことなんて出来ない。
う、と病人は僅かに眉に皺を寄せ、苦しげに身じろいだ。
快活なこの人には似合わないのに。
見ていることしかできないのだ。
見ていてどうなるものでもないのに。
私はここから動けない。
すこしみだれた掛けぶとんを直してから、私はまた元の椅子にきちんと坐った。
見ていることしかできないのだ。
だから見ている。
一刻でも、一瞬でも。
それにしてもこの雨が、止むといいのに。
縦に切った瓜から流れ出た大水が、恋人たちを両岸に裂く。
七日夜、二人は逢瀬を許される。
一年に一度。
雨が上がれば天の川には、黒白艶やかなかささぎの橋が架かるのに。
相変わらずに雨音は続く。
この雨が、止むといいのに。
不意に武王は目をあけた。
定まらない視線が天井を移ろったあと、私のまえで焦点を結ぶ。
次の瞬間にはそれははっきりと私に笑いかけていた。
病んではいても強い、目。
つられて笑んだ私もでもすぐに平静を繕う。
お加減は、と囁く。
悪くねぇよ、と答えたその声は透きとおっていて、私はすぐには返事ができなかった。
慎重に、でも気づかれないように、丁寧に呼吸を整えてから「そうですか」と返す。
次に来るのは静けさ。いえ、雨の音。
「雨だな」
耳を澄ませて彼はそう言った。
寝台の中から外は見えない。
窓を閉めなくてよかったと私は思った。
「ええ、雨ですね」
そして内心の不安や不満は完璧に隠して声を出した筈なのだけれど。
その返事は武王に笑われた。
可笑しげなそして優しいまなざしが向けられる。
「どうしたんだ?邑姜。」
人の手の及ばないそれに不満を抱くなど。
おまえにしては珍しいじゃん?
音のない声が聞こえる。
こんなに聞こえてしまうなら、なにも隠してはおけないと思って。
「七夕ぐらい晴れてくれてもと思いまして」
つい正直に答えた。
武王の顔から笑みが消える。
真剣な表情で彼は寝台から腕を伸ばした。
寄り添うとこのひとは私の肩を抱き。
小さな私はすっぽりとその大きな腕のなかに包み込まれた。
「別れが辛いのはさ、そいつのことすっげえ好きだからだぜ」
なにも言えない。
貴方の言うことは正しい。
別れたくない。
一年に一度でもいいから。永遠に逢いたい。
牛飼と織姫のように、永遠に離れたくない。
でもそんなことは言えない。
何も言えない。
「あいつらより俺の方がずっとおまえを愛してるって。たとえ二度と逢えなくてもな。」
そんなことを言われてしまったら。
永遠に逢いたいなんて言えない。
何も言えない。
頷くことしかできない。
このひとは強い。
頷く私の肩を抱いて、でもそれだけでなく次を待っていた。
私が言葉を返すことを。
このひとは強い人。
人として生き、そして人として死ぬことを知っているのだ。
永遠に逢いたいなんて言わない。
さあさあと雨が降っている。
その日この雨が上がるかどうか私たちにはわからない。
でもこの雨が止むといいのにと私は願った。
逢瀬を果たした恋人たちに願いを叶えてもらうためでなく。
彼らが幸せであるように。
そして私は口にする。
「愛しています。いまも、いつまでも」
たとえ二度とは逢えずとも。川の向こうに分かたれようと。
私は貴方を愛しています。永遠に。
雨の音を聞きながら、私たちはじっと寄り添った。
・・・・・。ええと・・・。
七夕ですので。で、去年、織女牽牛はほとんど触れませんでしたので。
だから今年はそれでいこうと・・でもってだから甘々な話にしようと・・で。
亭主としては至極まじめに甘々なんです。
さて
去年の調べ物
のとおり彼らが七夕を知っているのは嘘なんですが、
私が聞いた七夕伝説とも違う!との突っ込みに備え(笑)今年の
ご報告
。
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