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「愛しい主のしつけ方」 (14)




城との連絡を取ったり、明けてからの手はずをつけているうちに、夜は更けていた。
マシューは、人気の無くなった酒場の椅子に座り、テーブルに頬杖をついた。目の前のテーブルにグラスが差し出されてくる。顔を上げると、マリオの親父が片方の眉を思い切り上げていた。マシューが片手を上げて礼を表わすと、もう一方の眉も上がり、目を向いた操り人形のような顔になった。親父のぎょろ目にじろりとねめつけられ、マシューはにやりと笑いながら、片眉を上げて応えた。

「なんだい、親父さん、その面ァ」

「この面ァ、生まれつきだ。放っときやがれ」

ぎょろぎょろ、と落ち着きなく親父の目玉が動く。

「いい男だぜ、親父さんは」

そう言って、くすくすと笑う。

「マシューおめえ、その調子で、あれだ、その―――」

「その調子で、若さま、たらし込みやがったんじゃねえのか、って言うのか」

見上げる禿げ面が、赤みを増す。

「ゆでダコみてえだぜ」

「うるせぇよ。いや、その、そんなけしからんことを、本気で疑ってる訳じゃあねえんだがよ―――若さまは威勢が良くていらっしゃるし、別け隔ての無い方だ。育ちがよくて真っ直ぐな分、いくらかは世間知らずで無鉄砲なとこもおありだ。それで、おめェは、そんなんだろ。その気になりゃ、誰の気でも簡単に惹いちまうからよ。いや、こんな勘ぐりはしたか無ェ。無ェんだが……何て言うかよ―――」

「手ェ出した」

「へっ?」

親父のぎょろ目がひん剥かれ、さらに真ん丸くなる。赤かった顔が今度はすっと白くなった。

「赤くなったり青くなったり、忙しいなあ、親父さん。手ェ出したって言ってるんだよ」

「おまえそんな、その辺の娘っ子の話してるんじゃねェんだからよ。若さまだぞ、オスティアの」

「うん、若さまだな」

「おまえ、それで、大丈夫なのか」

「俺も若さまも、ぴんぴんしてるぜ」

親父の顔が、今度は、真っ赤っかに染まる。赤いのを通り越して紫がかった顔を見て、マシューは苦笑した。

「馬鹿野郎、誰もそんなこたァ、聞いてねェよ」

「わかってる、心配させて悪いな。親父さんだから、言っとく。こんなこと、言いふらして歩く訳じゃないから、安心しなよ」

「まいった………」

親父は、椅子にどっかりと腰をかけると、気抜けした顔で宙を仰いだ。

「おめェなら、嫌と言えたはずだろうが。いくら若さまのお相手だっつってもよ」

「嫌じゃなかったもんで」

「おいおい―――」

マリオの親父は、掌で額に浮き出た汗を拭い、テーブルに出したグラスを自分で開けた。
マシューは微笑みを口元に含んだまま、席を立った。

「おめェ、そういうことなら、今の仕事は退いて、奥向きに入るのかい」

「馬鹿言うなよ。それこそ娘っ子じゃあ、無いんだからよ」

自分がヘクトルのために為せることがあるとすれば、それは、オスティアの目として、オスティア候ウーゼルのもと、幾許かの働きをすることだ。愛人として、寝所に侍ることでは無い。
親父の盛大な溜息を聞きながら、蝋燭を持って階段を登る。階段口で夜番を張る仲間が、目だけで挨拶をよこした。

建てつけの悪い扉を、なるべく音を立てないように開ける。
ヘクトルは、上掛けを巻きつけ、少し丸くなって眠っていた。いつもはすっきりと上げた前髪が、額を覆って落ちかかっている。ゆらゆらと淡い蝋燭の光に浮かぶ顔は、いっそ頼りないくらいに若く見えた。

マシューはテーブルに蝋燭を置き、椅子に座る。夜明けにはまだ間があったが、このまま夜番をして明かすつもりだった。
暗い夜のなか、揺らめく灯を見つめていると、心まで揺らいでくる気がする。ヘクトルと抱き合った感触を思い出すと、ざわざわと背骨に伝わるような震えを感じた。
吐き出す息が、わずかに熱い。
思い切り悪く、名残をひく身体に苦笑する。

「なあ」

声を掛けられて、思わずびくりと反応する。

「―――すいません、起こしましたか」

声を掛けられ、思わず驚いたのは、声音には出ない。

「ん―――何で、そんなとこ居るんだ。こっち来いよ」

半ば寝ぼけたような声である。
マシューは微笑みながら席を立ち、寝台へと腰を掛けた。長い腕が腰のあたりを囲い込むように回されてくる。

「まだ夜明けには間がありますから、休んでてくださいよ」

「うん」

大きな掌が、脚のあたりを撫でてくる。

「何か飲みますか」

寝台から立ち上がろうとするが、抱きとめられて自由が利かない。

「行儀が悪いですよ、若さま」

「ん」

絡みつく腕から力が抜けた。マシューは立ち上がり、酒場から持ってきて置いたワインをグラスに満たす。寝台の上に半身を起こしたヘクトルにグラスを差し出す。ヘクトルはそれを一気にあおった。
空いたグラスを受け取ろうと、片手を伸ばす。

「うわ」

その手を捕られ、ぐい、と勢い良く引き寄せられた。何を、と思ううちに、寝台に仰向けに倒されている。紺青の目が楽しそうに覗きこんできた。鼻筋が触れあい目を閉じると、唇が探るように触れてくる。口を開いてやると、噛み合うように唇が合わされ、少し温んだ液体が流しこまれてきた。少し甘く感じるそれを啜りあい、濡れた粘膜を舐り合う。
唇が離れていったので、目を開けると、強い光を宿す青が、じっと見下ろしている。ぞくぞくと背を伝わる震え。

「若さま」

身体の奥にくすぶる埋火に逆らい、行為を止めるべく、声を上げる。

「何もしねえよ。今は。行儀が良いだろ、俺は」

大きな口が微笑みの形を造る。圧し掛かっていた重みが外れ、寝台に横たわる。腕を縫いとめるように掴んでいた手は外されることが無くて、そのまま横抱きに引き寄せられた。

「一緒に寝たいだけだ」

マシューは触れ合う肌から伝わる温みに、息を吐く。

「こんな狭いとこで、男二人で寝たら、転がり落ちますよ」

半ば笑いながら言う。

「んじゃ、もっとくっつけよ」

引き寄せられるまま、腕と腕を絡ませ、脚と脚を絡ませる。

(結構な甘ったれだな、あんた)

心の中で、そう思う。

(俺も―――かな)

マシューは、ヘクトルの胸元に潜り込むようにして、動きを止める。
すやすやと、気持の良さそうな寝息が聞こえてくるから、目を閉じたまま微笑む。眠るつもりは無かった。ヘクトルの胸の辺り、一度だけ軽く口付けし、目を閉じる。

そうやって、夜明けまでしばらくの間を、愛しい主と、抱き合って過ごすことにする。



END



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