「神、光あれと言給ひければ」 (1)
リキア同盟の小国アラフェンは、東の大国ベルンと国境を接している。
ベルンから、オスティア、エトルリアへと通じる街道の道筋にあり、その宿場町には、旅人や、それを目当ての商人、人のいる場所ならどこにでも集まってくる胡散臭い輩も行きかっている。
黄昏時である。
西の雲は赤と金とに彩られ、太陽はすでにその顔を隠していた。
アラフェンの町、街道からは一本外れた裏街で、傭兵とエリミーヌの僧侶と見える二人連れが、荒くれた輩に取り囲まれていた。
軽く顎を上げ、ならず者を無表情に睥睨する男は、燃えるような赤い髪をしている。深い青色の上着は、剣を振るいやすいよう、裾をおおざっぱに切ってあり、片方の肩当をつけただけの軽装は、流しの傭兵には相応しい身軽さである。目つき鋭く、対峙する十数人ばかりの荒くれどもの動きを制するように見渡し、睨みつけていた。
その背中越し、町屋の壁近くに立つ、空色の修道服に身を包んだ、すらりと華奢な後ろ姿がある。金糸のような髪が、肩のあたりまで流れ落ちている。俯きがちに手を組んで、静かな祈りの形をとっていた。赤い髪の傭兵は長剣を無造作に構えて、修道士の身を庇うように立っている。
「貴様ら、引いておけ」
ゆっくりと剣先を上げながら、言葉は静かに、態度は尊大に言い放ったのは、赤髪の傭兵である。強い眼差しがあたりを取り囲んだ柄の悪い連中をじろりとねめつける。
「おお、引くぜえ。そのカワイ子ちゃんを、こっちに渡してくれたらよ」
「渡すわけにはいかん。怪我をしたくなくば、失せろ」
「阿呆か、てめえ。二人ぽっちで何が出来るってんだよ」
一人がニヤニヤと笑いながら、間合いへと踏み込んでくる。
赤髪の傭兵が一歩を踏み出すと同時、剣風が飛んだ。胴を横ざまに払われた男が、大きく吹っ飛び、どう、と倒れ伏す。傭兵のほうは、軽く一歩を踏み出しただけ、戦い慣れした無駄の無い動きであるが、剣捌きに型の崩れはなく、鮮やかである。
後ろに立つ僧侶のほうは、祈りの形で静かに佇んだままに、何かを呟いている。ぴたりと背合わせに立ちながらも、互いの気配は完全に読んでいるらしく、剣を振る動きの邪魔にはなっていない。
「んだァ、こらあ」
荒くれどもが、色めき立って声を荒げながら、打ちかかってこようと得物を構える。
「――――天にまします神よ。不明の人の身に在りても、我なお願いたり。光あれ、と。光は汝が現身、盲いたる我が導き――――」
傭兵は背中伝いに響き始めた低い詠唱を聞いていた。耳慣れた、澄んで美しい声が唱える、光の言葉である。それは言葉自体が力を持っていて、声というより波動として身体に伝わってくる。
詠唱が止る。赤い髪の青年は、光の波動が膨れあがってくる、ちりちりと鈴を鳴らすような振動を、背中で感じた。
「――――願わくば、光なる御名、崇めさせ給え」
「ルセア」
詠唱が終わると同時、背に庇う者の名を呼ぶ。
「レイヴァンさま、お下がりください」
二人は、背合わせのまま、すっと向きを入れ替える。
ルセアと呼ばれた青年は、荒くれどものほうへと向き直った、その顔は、深い山に沸き出でる泉のような、清々しい美しさを湛えて微笑んでいる。何かを包むように閉じていた掌を開くと、ほの白く輝く光球が現れ、整った白い面とさらさらと流れる金色の髪とを煌々と照らし出した。
ルセアが光を持つ両手差し伸べると、光球は一瞬強く輝いて膨れ上がり、夕闇せまる辺りを真昼の灼光で照らし出す。飛びかかってこようとしていた男たちは光に目を焼かれて、うっ、と呻いて立ちすくむ。次の瞬間、丸い光は幾筋もの白光する軌跡を描く矢となって散り、切り裂くような螺旋を描いて飛んだ。それは正確に対峙する者たちの胸の辺りを貫く。男たちは声も上げずに動きを止めた。
光の矢は、人を傷つけることはない。熱を持たぬ、穢れ無きエリミーヌの聖女の光。肌を焼かず、ただ、その心の暗闇のみを焼き払う、浄罪の真白い炎である。
ルセアと背合わせに立っていたレイヴァンは、通りのほうへゆっくりと向き直る。十数人の屈強な男たちが、身じろぎも出来ぬまま、糸の切れた操り人形のようにばたばたと倒れ伏すのが目に入ってきた。
ルセアは後ろに立つレイヴァンを確かめるように振り返った。空色の瞳が、レイヴァンの様子を素早く検めてから、微笑む。
「ご無事ですね」
「あたりまえだ。それは俺の台詞だろう。」
「私も無事です。レイヴァンさまが守ってくださったおかげです。」
にこにこと微笑みながら、ルセアが言う。
レイヴァンは腕組みをして、倒れ伏す男たちを見渡した。
―――そうとも、思えんのだが―――
金の髪の青年、ルセアは、エリミーヌ教の修道士である。その細く美しい身体に見合わぬ―――あるいは見合っているのか―――強力な光魔法を容易く操る。それは、風にしなう若木のような、決して折れることの無い、しなやかな心の強さの証である。
「ごあいさつが遅れました。おかえりなさいませ、レイヴァンさま」
「うん。元気だったか」
「はい。レイヴァンさまも、ご無事で何よりです」
レイヴァンは傭兵として一仕事を終え、ルセアの居るアラフェンへと帰ってきたところだった。帰り道、土産でも買っていくか、と立ち寄ったアラフェンの街で、偶然、男たちに取り囲まれたルセアを見つけたのだ。
レイヴァンは、今は傭兵稼業に就いているが、もともとはリキアの貴族の出身である。ルセアはレイヴァンの家に引き取られて育てられた孤児で、ほんの幼いころからのお互いを知っている。十代の少年となったルセアは、エリミーヌの修道士となるため寺院に入った。だが、生家を取り潰されたレイヴァンが、それを為したオスティア公への復讐を誓って流浪の身となると、ルセアは寺院を抜け出して、レイヴァンを追ってきた。それから色々なことがあって、二人はエレブの動乱に関わり、功績を残すこととなった。
戦乱が終わってからも、しばらくは二人で気楽な旅を続けた。数年の後、たまたま一夜の宿を請うたアラフェンのはずれにある修道院で、二人は戦争で孤児となった子供たちと出会った。ルセアは修道院の司祭に請われ、アラフェンに留まることを決意した。今は修道院付きの孤児院の世話にかかりきりでいる。レイヴァンのほうは、傭兵稼業を続け、孤児院を維持するためにいくばくかの金を稼ぎだしては、アラフェンへと戻ってくるのだ。
「行くか」
「はい。少しだけ、お待ち下さいますか」
ルセアは優しげな微笑みを湛えたまま、道を塞ぐように倒れている男たちに向き直った。
「エリミーヌ様のお導きです。悔い改め、有り金全部置いていきなさい」
澄んだ声が、倒れ伏して動けない男たちに、そう告げた。
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