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「迷い犬」 (1)




爽やかに晴れた、ベルンの朝である。
日はすでに完全に姿を現し、早春の澄んだ淡い青を、古の竜が住まうという高き峰々が取り囲む。山裾から見上げれば、青紫の山影が空の一部を鋭く切り取っている。

ベルンの王城は、竜騎士の守る難攻不落の空の要塞である。高所に置かれた城を守るように、無数の峰々が連なる。その裾野に開ける平地には、ベルンの都が賑やかに広がっている。
王都からフェレ領側に徒歩で半日ほど離れたあたり、山の裾野近く樹影の濃い森の中に、別荘らしき古びた館がぽつんと一つ建っている。

館は、とうの昔に家を取り潰された貴族の持ち物であった。正当な持ち主のいない屋敷の外観はひどく寂れ、長いこと見捨てられていた様子が見て取れる。人里離れたこの場所に、「黒い牙」と呼ばれる一団が、密かに巣を作っていた。

黒い牙は、近頃ベルン王国内でその名を知られつつある、ならず者の集団である。頭領ブレンダン=リーダスのもと、食い詰めた連中が集まって、いつの間にか数十人を数えるほどになっていた。金をもらって、傭兵、ボディガードまがいの仕事をするのが生業である。

金によっては、もっと怪しげな仕事―――諜報や暗殺も請け負うという噂である。ただし、裏仕事の対象として命を狙うのは、貴族や大商人など、それなりの金と力を持つ者たちだ。街にたむろすならず者たちとは違って、弱い者を脅して、少しばかりの稼ぎの上前を掠めるようなまねはしない。それゆえ、ベルンの庶民たちの間では、自分たちの日々の働きを吸い上げ、肥え太るばかりの貴族連中を懲らしめてくれる義賊だとされ、密かに人気がある。

牙のアジトとなっている屋敷の庭で、朝っぱらから剣を打ち合う音がする。見上げんばかりに、でかい男が二人、その体格に相応しい大剣を振りかぶっていた。

その一人は、ブレンダン=リーダス。黒い牙の頭領であるブレンダンは、傭兵上がりの大男である。大抵の人間より、優に頭一つ抜きん出て背が高く、がっしりと骨太な体躯をしている。いかつい顔に、幾筋もの目立つ向かい傷がある。太い眉の下のぎょろりとした目。少し曲がった鼻と大きな口。一見むっつりと恐ろしげに見えるのだが、その表情は思いのほかくるくると変わる。大口を開けて豪快に笑うと、人の良さげな愛嬌が、その黒い目に浮かぶ。

ブレンダンは、両手持ちのバスタードソードを、片手で軽々と構えている。戦いの姿勢を取ってはいても、そのいかつい顔に、殺気はない。大きな口もとに、楽しげな笑みを浮かべている。

「おらおら、どうした、ライナス。そんなへっぴり腰でやっとうを振り回したところで、ちっとも当たりゃしねえぜ」

ブレンダンと対峙しているのは、まだ少年と言って良い若い男である。短く刈った褐色の髪。つり気味の眉の下の目は鋭い。獰猛と言っていいぐらいの、若い獣めいた光を宿している。ブレンダンよりは頭半分ほど背が低いものの、年にしては十分に大柄で逞しい。剣を握る手も、しっかりと地を踏みしめる足も、いまだ身体に不釣合いなほどに大きく見える。やがては父親に負けぬ巨躯を誇ることになるのであろう。少年は、つい先月に十六になったばかり。ブレンダンの次男坊、ライナスである。

「親父だって、足元ふらついてんじゃねェかよ。畜生、見ていやがれ」

ライナスが吼える。低く響く声だが、まだ、わずかに少年めいた隙と甘さを含んでいる。

「よっしゃ。わんわん吼えてばっかりいねえで、さっさとかかってきやがれってんだ」

父親の声はがらがらと渋く割れていて、叫ぶと広間に響く銅鑼のようだ。
ライナスが力任せに振った大剣が空を切る。ぶん、と二つに裂かれた空気が震えた。鋼と鋼が噛みあって、ちりちりと音をたてる。顔を合わせた父親と息子は、大きな口に、よく似た笑いを浮かべた。陽性の、太い、心から楽しげな笑みである。
鋼が鳴る。

ロイドは屋敷の正面玄関の扉をのろのろと押した。起き抜けで力が入らず、木に鋼の枠どりをした頑丈な扉は重かった。扉に寄りかかるようにしてどうにか外に出る。雲間から射す太陽の光が直接目に飛び込んできた。

ロイドはブレンダンの長子であり、今年二十歳になった。すでに黒い牙の主要な一員として「仕事」をこなしている。大男であるブレンダンやライナスとは違い、人並みの体格をしている。感情をあからさまに面に出すことが無いせいもあって、父と弟には、あまり似て見えない。古い仲間には、バランス良く整った容姿を「色男」とからかわれることもある。

ブレンダンの長男は、母親似だと言われる優しげな顔立ちとも相まって、一見ごく穏やかに見える。だが、ひとたびその手に剣を握ったなら、見るものをぞっとさせるような、冷ややかな冴えを見せる。黒い牙の中では、白狼の二つ名で呼ばれるが、その二つ名は、恐怖と憧れを伴って、市井の人々の口の端に上ることも多くなってきている。
前日の夕暮れ時にひと仕事を終えたロイドは、そのまま仕事仲間と共に酒場へと繰り出した。牙のアジトに戻ってきたのは、日が替わり、すでに空の白み始める刻限であった。一旦は眠りについたものの、喉が渇いて目が覚め、前庭の井戸で冷たい水を飲もうと思ったところなのである。

ロイドは、目の覚めきらぬ顔のまま、開いた扉の前に立った。はしばみ色の目を数度瞬かせる。朝の光が沁みて、目じりに涙が滲んだ。普段から、少し眠たげな感じのある目が、今は半分ほどしか開いていない。少しくすんだ金の髪は、寝癖のついたまま額に落ちかかって、半ば瞳を隠している。
夜着の上にいいかげんに羽織ったガウンが肩からずり落ちているのを、面倒くさそうに引き上げる。頭を軽く振って顔を上げると、太陽の光が二日酔い気味の頭を揺らした。目を閉じて伸びをし、ついでに大きなあくびをする。

ロイドは目を閉じたまま、庭へと歩き出そうとした。
一歩踏み出した瞬間、身体に思い切りぶち当たってくる衝撃があった。
全く用心していなかったので、驚く暇も無い。
思い切り良く吹き飛ばされる。

「――――――っ」

気がつくと扉の中まで戻され、仰向けにひっくり返っていた。一瞬何が起きたのか分からず、呆然と天上を見上げる。

「うわ、ごめんよ、兄貴」

思い切りうろたえた声が聞こえた。目の前にぬっと、見慣れた弟の顔が現れる。
その顔が、視界を覆いそうなぐらい近くに、寄せられてくる。

「だ、大丈夫かよ、兄貴。どっか打ったのか。兄貴、兄貴ッ」

――――うるさい。そんなに近くで叫ぶな。頭が割れる。

ロイドが返事をしないのは、単に二日酔いで不機嫌なのと、弟の体当たりに木っ端のごとく吹き飛ばされたことに、思い切りムカついているからである。

「どうしよう、頭でも打ったんじゃ―――しっかりしてくれよ、兄貴」

何時もは勢いよくつりあがっている弟の眉が、への字に垂れ下がる。その目がうるうると潤み、じわりと涙が浮かんだ。
泣きベソをかくライナスの顔が面白いので、このまま心配させておくことにする。ロイドは何の反応も見せず、無表情に目を開けて、ひっくり返ったままである。

「おう、どうした」

親父の髭面が、心配そうに覗き込んでくる。
父親の顔を見ても、ロイドは一切、表情を変えなかった。ロイドの様子を見たブレンダンは、太い眉をしかめ、慌てて立ち上った。

「こいつは、いけねェ。打ち所が悪かったのかもしれねえな。俺はベルガドを呼んでくるからよ。ライナス、おめえ、兄ちゃんを部屋まで運んでいけ」

「う、うん」

ライナスの目から、ぼろぼろと涙がこぼれはじめている。弟はすでに兄の背丈を追い抜き、身体だけは一人前を通り越して、でかい。それでも今だに、ロイドがちょっと邪険にしただけで、簡単に泣くのだ。

弟をからかうのは楽しかったが、真剣に心配をしているのを見て、流石に可哀想になってくる。半分はライナスが可哀想だから、残りの半分はこのままひっくり返っているのが馬鹿馬鹿しくなってきたから、という理由で、ロイドはいい加減とぼけるのをやめ、口を開こうとした。その瞬間、両腕で勢い良く抱え上げられ、舌を噛みかける。

「ばっ―――」

馬鹿野郎、下ろせ。
そう言いたかったのだが、頭に血の上りきった弟の耳には届かなかった。軽々と持ち上げられ、廊下を大股で運ばれる。すれ違った数人が驚いたように、あるいはにやにやと笑いながら、ライナスに横抱きにされて運ばれるロイドを見ていた。

ロイドは心の中でため息をついた。この状況を改善するのは無理だと判断して、舌を噛まないように口をつぐむ。酔いの残る頭を揺らされて、胃がひっくり返りそうにむかついてくる。状況判断をするのも面倒になって、ぐるぐると回る目を閉じた。



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