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「なれし故郷を放たれて」 (1)




竜は飛ぶ。
地に戦の音、満ちるとき。

竜は飛ぶ。
鬨をつくる叫び、空に響くとき。

竜騎士は飛ばねばならぬ。
王の声、高く呼ばわるとき。

            (ベルンの古歌)





ごっ、と翼の音がした。

空を切る波動のような、耳を打つ重い音である。
陣中、天幕の傍で、馬車で運び込まれてきた武具の手配を手伝っていたラガルトは、手をかざし、眩しそうに空を仰いだ。

オスティア近くに陣を張ってから数日が経つ。穏やかな気候の続くリキアの、濃く澄んだ青の中、地上近くまで舞い降りてきた巨大な影が、再び上昇の弧を描こうとしていた。
拡げた翼が数度空を切る。その背に跨る人影が、こちらを振り返ったような気がした。ラガルトは薄く微笑みを浮かべて、腰に手をやり、背を伸ばした。

飄々と笑う男である。年のころは二十台の後半といったところだ。かつてはベルンの暗殺者集団、黒い牙にあって「疾風」の二つ名で呼ばれていた。
すっと背が高く、痩せぎすに見える。長い腕のむき出しになった、盗賊らしい身軽な形をし、腰に二本のダガーを差している。紫がかった銀の髪を後ろに流し、額のあたりに布を巻きつけて留めている。

切れ長の目に、薄い唇。
陽光に晒された顔は、冷たく見えるくらいに整っている。額から、頬のあたりに、左顔面を斜めに横切る、二条の目立つ傷がある。普通ならむごたらしいはずの顔の傷が、冷たく整った顔に、くだけた色気のある、不思議な魅力を付け加えていた。

ここ数ヶ月、エレブ全体を揺るがすような、激しい戦が続いていた。
数年前から、その暗い予兆はあった。ラガルトの居た黒い牙は、その動乱の中心、暗い闇の最中へと巻き込まれ、抗いようも無く崩れ落ちていった。黒い牙から抜け出して、フェレ公子エリウッドの軍に入り込んだラガルトは、一度は故郷とも思った黒い牙の崩壊を、その目で見た。そして、すべての決着を自分の目で見届けたいと願い、ここに留まっている。

馬車から下ろした武器の荷分けを手早く終え、ラガルトは、陣の中心にある大きな天幕の中に入っていった。天幕の中は、オスティアの街で仕入れた物資で一杯になっていた。戦には、物と人が要る。略奪をせずに戦おうとするなら、携帯食だけでも相当な量になる。あるいは、先に戦地へと人を差し向け、食料を買い付けるか。

武器や矢の補充も必要だ。それらの物資を運ぶ人間も必要となる。リキアの小国フェレには、とうていベルンへと乗り込んで戦をする国力は無い。この戦いには、表に裏に、リキアの要石であるオスティアの庇護があった。フェレ公子エリウッドと、この戦に同行したオスティア候弟ヘクトルの友誼のためであり、ヘクトルの兄、オスティア候ウーゼルが、病床にありながらも、この戦いの意味を正確に掴んでいたためでもある。
最後の戦を控えた今、エリウッド率いる一行は、ベルンから一度、オスティアへと退き、戦支度の最中であった。

「あっ、ラガルトおじさん」

机に腰をかけ、書き物をしていたらしい少女が顔をあげた。軽く跳ねる緑の髪、空色の瞳はきらきらと明るい。

ニノという名の少女もまた、黒い牙に身を置いたことのある一人である。母親であるソーニャが、黒い牙の首領ブレンダンの後妻に入り、ブレンダンの娘となった。どこにいても、澄んだ明るさを失わない少女は、ブレンダンと、その息子たちに可愛がられた。義父と義兄たちを戦の中で失い、母だと信じていたソーニャが、実は親の敵であったと知り、対立することを余儀なくされた。

その細い身体で、つらい運命を抜けてきた。それでも、ニノの空色の瞳は、明るい。
強い子だ、とラガルトは思う。緑の葉のような、歪まぬ、しなやかな強さ。押しつぶされても、日を受ければ立ち上がる。
ブレンダン、ロイド、ライナス―――逝ってしまった者たちも、今のニノの姿を見たら、喜んで笑うだろう。

「よォ、ニノ。働いてるなァ」

ラガルトは、ニノの座る机の上を覗き込んだ。几帳面な字で、帳簿に数字が綴られている。

「あたし、算盤使えるようになったんだよ」

少女の細い指が、傍らにある算術の道具の駒を弾く。

「そりゃ、すげェなあ。いつでも堅気なとこで、働けるじゃねェか」

「いやあ、ニノちゃんが手伝ってくれて、本当に助かるよ」

天幕の中でせかせか動き回っていたマリナスが、上がりかかった額の汗を拭い、にこにこ笑いながら近づいてきた。軍の物資を管理するのが仕事の、中年の男である。元は商人で、賊に襲われていたところを助けられ、そのまま軍に居残った。人懐こい四角い顔をし、薄くなりかかった髪を後ろで一つにまとめている。

その後ろ、天幕の奥で荷物を積み上げ直している、影のような黒衣の姿がある。立ち上がり気味の髪にバンドを巻き、そこから垂れた布が、首の辺りまでを覆っている。独特の拵えは、裏の仕事に関わってきた者であることを顕す。きつい瞳が、今は生真面目そうな色を浮かべ、ニノに言われるがまま、荷物を運んでいる。

「よォ、死神―――じゃねェやな、よォ、ジャファル」

―――もう、ニノの尻に敷かれてんのかい。

ラガルトは、唇の端をニヤリと上げる。
黒い牙にあって、死神と呼ばれた男の冷たい面差しは、そこには無かった。
ジャファルは、ラガルトのほうに向き直ることもなく、淡々と仕事を続けていた。

「いやいや、ジャファルさんにも、おまえさんにも手伝ってもらって、ほんとうに助かるよ。荷を預かるのも、これはこれで大変でねえ。そうだ、今度港町から調味料の壷が届くんだけどよ、これを手に入れるのには苦労して―――」

良い話し相手が来た、とばかりにべらべらと話し始めたマリナスを遮る。

「悪ィが急いでるんだ。槍を貰っていきたいんだけどよ」

「なんだい、おめェさんが槍投げかい。得物が違うだろ」

「竜騎士さんのだよ」

「ヒースさん、偵察から戻ってきたんだ。おじさん、また竜を見に行くの?いいなあ」

少女の空色の目が、きらきらと輝く。

「ニノも見に行くかい」

行っておいで、と言うマリナスに、ニノは笑って首を振る。

「今日はお仕事があるから、やめておくよ。でもそのうち、一度竜に乗せてって、頼もうかなあ」

「そう、言っとくよ」

ベルンに生まれ育った人間は、みんな竜が好きだ。子供のころから、小さい影となって、あるいは、天を覆うほどの大きさとなって空を渡る竜と騎士を、見上げて育つ。竜の歌を謳い、竜に乗った英雄の話を聞いて、心に憧れを抱く。竜騎士に追われる身分となった人間でさえ、物陰に身をひそめながら、空を舞う強き翼をうっとりと見上げるのだ。

ラガルトは天幕を出て、武器を積んだ馬車から、細身で使い勝手の良い槍と、投てき用の手槍の束を取って担いだ。陣を張った平地を外れ、少し小高くなった丘の上に、翼をたたんだ竜の姿を見つける。その横に、竜に話しかけるように向き合う、竜騎士の姿がある。

若い竜騎士の名は、ヒースと言った。すでに鎧を脱ぎ、上着の袖を捲り上げている。腰の辺りが細く締まっていて、鍛えられている体は、鎧を脱ぐといっそ華奢なほどにすらりと見える。緑の髪が丘をわたる風に舞い、いくらか混ざり込んだ銀の髪房が、緑の中にちらちらと光っている。

ヒースは、槍を担いで丘を登ってくるラガルトを見つけ、生真面目そうに引き結ばれた口元を、柔らかい微笑みの形に緩めた。天空を映す青の瞳が、こちらを見つめてくる。



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