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「おあずけ」 (13)




目を閉じていても、ちらちらとほの白い光の瞬くのを感じる。
ああ、朝だな―――
ふわふわと意識がもどってきて、自分の横にいるはずの身体へと、手を伸ばす。さわさわした、敷布の手触りだけが返ってきて、指先が寂しい。目を開けると、俺の横はすでにからっぽだ。

なんだよー、くっついてごろごろしたかったのにな。
色々するのも好きだけど、何にもしないでくっついているのも好きだ。仕方ないので、両腕を伸ばし、寝台からはみ出しながら、大きく伸びをする。
と、腹の皮に引き攣った感じの痛みが走った。

「あ、たた」

思わず、呻く。
そういやあ、怪我したんだっけ。まあ、ちっとばっか穴開いたぐれえ、大したこたぁねえけどよ。昨日だって、やっちゃっても全然平気だったしよ。昨夜のは、ほんとまれに見るナニだったよな。俺はほんとに嬉しかったよ、兄貴。できることなら、今ここでお礼が言いたいぐらいだよ。
よし、気合入れに、兄貴の顔を見に行くか。こういうときは、ぶすっとしたまま、ろくに俺の顔見てくれないんだけどよ。

「おう、暴れてんじゃねえぞ、腕白坊主」

起き上がろうと思ってじたばたしていると、ベルガドの熊野郎が扉からのっそりと顔を出した。

「そうそう、大人しくしとくんだなァ、坊や。」

髭面をした熊の巨体の影から、ひょい、とラガルトが姿を現す。

んだ、てめえ、こら、だれが坊やだァ―――

がっと起き上がろうとした。熊に額を鷲づかみにされ、頭を枕へと叩きかえされる。

「んが、なにしやがんだよ、怪我人だぞ俺ァ。てめえそれでも医者かあ」

「おう、怪我人だから、このっくらいにしてやってんだろうがよ。お優しいお医者さまの言いつけが聞けないってんなら、腹の傷ほじくるぞ、犬」

犬かよ!―――俺のこと犬扱いしていいのは兄貴だけだぞ、熊公。

そうは思うが、ほんとにほじられて、大穴を開けられかねないヤブなので、ぐるぐると喉もとで唸るだけで終わりにしておいてやる。

「さっさとベルガドに腹ァ診てもらいな。お兄ちゃんからよ〜く見張っとけって御命令が出てるからよ。ありゃあ、よっぽどおまえさんのことが心配なんだろうよ」

そ、そっかあ、心配かけてごめんよ、兄貴。

「その兄貴は、どこに行ったんだよ」

「お仕事」

ええ〜、昨日もいなかったのに、今日もいないのか。せめて一目、顔見せてってくれりゃいいのにさあ。あの顔みねえと、なんかこう、すっきりしねえよ。
くっくっ、とラガルトが喉の奥で笑う。

「そう尻尾巻いて、しょぼくれるもんじゃねえよ。ラガルトの兄さんが一緒に居てやっからよ」

いらねえ、だれが兄さんだ、全然いらねえ、どっか行け。
熊が俺の腹を診ているので、動きがとれない。しかたなく上目に睨みつけてやる。

「この餓鬼、激しい運動はすんなって言ったろうが」

熊の吼える声。

「うっ―――何にもしてねえよ」

何でそんなことわかるんだよ、ヤブのくせに。とりあえず、ごまかしてみることにする。俺は大声で言いふらしたって構わないけど、兄貴のためにだよ。

「ふうン」

ラガルトが片眉を上げて、鼻を鳴らした。なんだなんだ、そのなにもかもお見通しって感じのニヤニヤ笑いはよ、ほんっっと、むかつくんだよ。

「うわ、イテッ、痛てえよ、んがっ」

熊に、薬を腹にぶっかけられて呻く。こんな乱暴な医者があるかあっ。

「やかましい。男ならぎゃあぎゃあ喚くんじゃねえ」

包帯をやっぱり乱暴にとり替えられ、だみ声で厳重注意を言い渡される。

「わかった、わかったからよ」

寝てる顔の上から、唾を飛ばすのはやめてくれよ。ったく、ここに長くいる連中はみんな、兄貴のことは立てるくせして、俺には全然遠慮がねえんだよなあ。

「いだっ」

俺の頭に一発拳骨を入れてから、熊はのっしのっしと出て行った。何をするでもなく、窓際に凭れていたラガルトが、椅子を引き寄せて、寝台の傍に座る。足を組んで椅子の背にもたれ、俺のほうを見るでもなく、何を話すでもない、沈黙。
なんだよ、ほんとに見張る気かよ。暇なこった。

そういや、俺、こいつに謝ろうとか思ってたんだっけ―――
そう思って、ラガルトの顔をちらちらと見る。
いやでもなあ、謝るっていってもよ。言い出しにくいんだよ。兄貴に赦して貰うためだったら、百万回でもぺこぺこ頭下げる俺だけどよ。
ラガルトが静かになっちまったので、余計に声をかけにくい。かといってべらべらしゃべられても、口を挟むスキがなくなるんだけどな。

むむむ。

「揚羽は、サカの国境へ向かったぜ」

心の中で唸っていると、淡々とした声が掛かった。

「そっか」

おばちゃんは、サカの広い草原へ行くのか。それとも、さらに北、白き冬の国イリアへ向かうのか。どちらにしろ、人気の少ないほうが良い。二度と会えない場所に行ったほうが―――生き延びるためには。

「元気でやっていけるといいな」

ラガルトに言ったわけじゃない。独り言だ。

「強えェ女だからな。上手くやるさ」

ラガルトも、独り言を言うように答える。開いた窓の方を向いたその横顔を見ても、俺にはこいつが何考えてんだか、さっぱりわかんねえけどよ。

俺には、兄貴がいる。親父もいる。それでも、おばちゃんのことは、親戚のおばちゃん…つうか、母親代わりみたいに思っていた。おばちゃんだけじゃない、牙の連中は家族のようなもんだ。ラガルトも―――そう思ってたってことなんだろう。

「なに、ロイドがいなくて寂しいってんなら、俺が相手してやろうか」

ぼけっと、ラガルトの顔を見てたら、例のニヤニヤ笑いでこっちを見返してきた。

「けっ」

ざけんじゃねえよ、くそ気味の悪ィ。

「イヤーな顔するねえ。冗談に決まってんだろ。相手すんなら、別嬪の兄さんのほうがいいに決まってらあね」

「んっだと―――てめえ…っ」

てめえ、兄貴に何かしやがったら、ただじゃおかねえぞ。っていうか、何かしたのか。したことあるのかあっ?
俺は本気でラガルトに掴みかかろうとした。

「暴れんじゃねえよー、だ」

起き上がりかけた俺の額のど真ん中を、ラガルトの指がばっちん、と弾いた。痛点にクリティカルヒットして、目の前に星が飛ぶ。

「うがあ、てめえ、絶対ぶっ殺す」

「―――言っちゃおうかなあ」

寝台に仰向けにひっくり返り直した俺の顔を、紫の目が覗き込んできて、言う。てめえ、なんなんだよ、そのイヤーな微笑みはよお。

「言いつけを守らないで、暴れていやがりましたーって、お兄ちゃんに言っちゃおうかなあ」

うっ?

「心配してたもんなあ、おまえさんのこと。あんな弟思いのお兄ちゃんを泣かせるなんて、悪い坊やだねえ」

ううっ…泣かせた覚えは…た、たまにはあるけど、あれは本人は意識してないだろ―――ってそういう意味じゃあねえよな。

「ともかく、おまえさんに張り付いて、無理はさせるなって、白狼様のご命令だ。大人しくしてな。なんなら子守唄でも歌ってやろうかね」

いや、やめろ、歌うな。てめえの鼻歌なんぞ聴いた日にゃあ、腹の傷が開いちまうぜ。

―――ふんだ。

俺は抗議のために一つ鼻を鳴らして、壁のほうに向き直った。そのまま、大人しく寝転がっていることにする。早えェとこ腹の穴を塞かないと、兄貴の隣にいられないもんな。
昨夜は運良く流されてくれたけど、こっから先、ベルガドから仕事に行って良し、激しい運動でも何でも結構、というお墨付きをもらうまでは、まず間違いなくおあずけを喰らうことは決定している。俺は寂しいよ。

離れてるのは、落ち着かなくて困る。いつだって兄貴の一番傍にいるのは、俺に決まってるんだからよ。死んだ母ちゃんは、そのために、兄貴の次ぎに俺を生んでくれたんだろう、ありがたいなって思ってる。

背中に、再び口を噤んだラガルトの気配がある。その、静かに澄んだ気配は嫌いじゃない。まあ、ちっとぐらいは、兄貴と俺のいるとこに、混ぜてやってもいいって思ってるさ。言わねえけどよ、そんなこたァ。

―――悪ィ。

口の中だけで呟いて、とりあえず謝ったことにしておこう、と思う。



END



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