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「白い霧に潜むもの」 (1)




辺りは濃い霧に覆われていた。
フェレ公子エリウッドの一行は、港町バドンを後にし、「魔の島」と呼ばれるヴァラール島にいた。この島のどこかに竜の門と呼ばれる場所があり、エリウッドの父フェレ公爵エルバートがいるのだという情報があったのである。

リキアの南の大海に浮かぶヴァラール島では、年中霧の晴れることは無い。
霧の白は濃密で、薄いレースのように緑を透かして地にたゆたうリキアの朝もやとは全く違う。冷たい白い幕は、手を伸ばせば届くほどの距離にいる者の姿さえ隠してしまう。自分の足元さえうっすらと煙って見える。ねっとりと流れる乳のような霧が、島の大部分を覆う樹海に絡みついて覆い、行く手を遮っている。ヴァラール島は、深い霧と樹海とにより、踏み込めば二度と戻れぬと恐れられている。一行が踏み込んだのは、まさに魔の島であった。

常には人気の無いこの島に、つい先ほどまで激しい剣戟の音が響いていた。黒い牙と呼ばれる連中に、霧の中での待ち伏せをくらうこととなり、一行は同士打ちを避けるため各々に距離をとって敵と対峙した。敵と味方の区別もろくにつかぬ霧の中での乱戦は終わり、流れた少なからぬ血は湿った土へと吸い込まれ、白い霧に包みこまれて消えていく。

一旦は剣を振るうために散った一行は、互いを呼び合って無事を確認した。もう一度敵を呼び寄せてしまう危険もあったのだが、視界が全くきかないので、声を張る意外にどうしようもない。草地でたいまつを燃やし、霧をはらっていくらかは視界の利くようになった場所に集まりつつあった。

「リンディスさま、ご無事で。フロリーナちゃんも、怪我はないかい」

寄り添って霧の中を歩む少女たちを見つけて、緑がかった髪の騎士が駆け寄ってくる。味方を蹴散らすことの無いよう、馬から下りて手綱を引いていた。

「わたしたちは、大丈夫よ」

きりりとした表情の少女が言う。緑の長い髪を一まとめに括り、サカ風の身軽い服をすらりとした身体にまとっている。キアランの公女リンは、右手に太刀を握ったまま、鮮やかな緑色の瞳で霧の奥を警戒していた。

「セイン、ケントを見なかった」

リンが問いかけてくる。

「いいえ。リンディスさまをお守りするのに、ご一緒しているものと思っていましたが」

「切り合いをしているうちに、はぐれたのよ。あまり近くにいては、この霧の中、お互い邪魔になってしまうから―――」

「あ、あの―――」

リンの影に隠れるようにしていた天馬の騎士が、おずおずと口を開いた。

「ケントさんは、女の方を送っていかれました。戦にまきこまれて立ち往生していたところをお助けしたのだとおっしゃっていました。わたし、リンを探している途中ですれ違ったのです」

「女―――ですか。堅物の騎士隊長さまも、なかなかやるものだ」

セインはくだけた口調でそう言う。

「笑い事ではないでしょう。こんなところに普通の人間が住んでいるとは思えない。ケントが送っていったという女が、姿通りの者であったかどうか分かったものではない」

リンが眉をしかめた。

「探しに行ったほうが良いと思う」

「公女に御仕えする騎士としては、リンディスさまのおそばを離れぬのが俺の務めでしょう」

「わたしなら、自分の身ぐらいは自分で守れる。フロリーナも一緒だしね」

「はい。わたしはリンディスさまをお守りします」

ふわふわした紫色の髪の少女が、精一杯に強気な顔をするのを見て、セインは微笑む。

「ケントも、自分の身ぐらいは自分で守れると思うんですが―――エリウッドさまたちと合流できたら、少しの間軍を離れることをお許しいただければ」

「許す。うちの騎士隊長の腕を信用していないわけではないんだけどね」

三人は霧の中で声を上げながら、本隊の居る場所を探った。

「おーい、こっちだ」

幾つかの声が返ってくる。聞き知った声のはずなのに、霧ににじんだかのように曖昧で、誰の声なのか判別がつかない。離れぬように声の方向へと向かうと、ぼんやりとした灯りがみえてきた。その灯に向かって進むと、突然視界が開けた。

樹海に包まれるように開けたわずかな平地の真ん中で、盗賊のなりをした青年が、松明を掲げていた。霧の白さが薄れていて、どうにか視界が利く。霧の中に散っていた人々が、灯りを目指して集まってきていた。
フェレ公子の目立つ赤い髪を見つけ、リンが駆け寄る。

「リン、無事でよかった」

エリウッドが優しげな微笑を見せる。

「ありがとう。あなたたちも無事なようでよかったわ。誰かケントを見かけなかったかしら」

「はぐれたのかい」

「フロリーナが一度会っているんだけど。女の人を家まで送っていったというのよ」

「おーい、誰かキアランの騎士隊長を見かけたか」

大声で叫んだのは、エリウッドの傍にいたオスティアの候弟ヘクトルである。よく通る低い声に対し、幾つかの返事が返ってくる。

「誰も見てねえようだな。探しに行かせるか」

ヘクトルがエリウッドのほうを振り向いてたずねる。

「いや―――この霧だと、探しに行った者まで迷ってしまう。もう少しここで―――」

エリウッドの声を遮って、口笛が鳴った。
数度、短く、空を切るような鋭い音で。
セインが霧の中を覗き込むようにしながら、軽く指を咥えていた。

「セイン」

リンがセインの傍に寄ってくる。

「馬のひづめの音がしたんです」

もう一度高く響く口笛。答えて、短いいななきが返った。

「ケント」

セインとリンが声を合わせて呼ぶと、蹄の音が近づいてきた。白い霧の中から浮かびあがるように鹿毛の馬が姿を現す。

「ミシル、おいで」

セインが低く声をかけると、馬は鼻面を寄せてきた。落ち着かせるのに、首のあたりを撫でてやる。

「空馬か―――」

リンは緑の瞳を曇らせた。

「セイン、行って」

騎士と主君は目を合わせる。
セインは、戻ってきたばかりの鹿毛に跨った。

「ありがとうございます。俺の馬をお預けします、リンさま」

「わたしたちは、島の奥へと向かうけれど、セインはケントを見つけたら一緒に船へ引き返してちょうだい」

セインは手綱を返す。たいまつを掲げていたマシューが駆け寄ってきた。

「ちょっと待ちな。これを持って行くといい。少しなら視界がきくようになるから」

数本のたいまつを手渡してくる。

「相方が見つかるといいな」

親しい者を亡くしたばかりの青年は、はいつもと変わらぬ、ひとなつこい微笑みを見せた。
セインはマシューの心遣いに軽く礼を返し、白い霧の中へと踏み込んだ。



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