「扉」 (1)牙のアジトはベルンの周辺に散っている。たいていは人の近寄らない辺鄙な場所に。いくつかは街中に、目立たぬように。 ベルン王都からフェレ領側、山際の森に囲まれて、牙の本部といっていい古いが広大な屋敷がある。本はベルンの下級貴族の持ち物だったのを、適当に増築したり、区切ったりして、ブレンダンに近いものたちが住んでいる。屋敷の中は、敵が侵入した場合に備えての仕掛けのためでもあり、あるいは長年増築、改築が行なわれた結果でもあるのだが、そこに住んでいるものたち以外には、迷路の様相を呈していた。 アジトにつながる主だった道は1本しかなく、回りは暗い森である。番犬を放ち、歩哨を貼り付けてあるから、牙以外の人間がアジトを目にすることはなかった。 大きな仕事の際は、必ずここに集まって首領の指示を仰ぎ、仔細をつめる。 そこは、ロイドとライナスが育った場所でもあった。二人にとってはここがホーム…故郷である。その家に異物が入り込んできていた。じわじわと、蔦が壁に根を張るように。 「おかえり、あんた」 扉を通りすぎるなり、媚を含んだ女の声にひきとめられる。ロイドは無表情に振り返った。 女はソーニャという。肉感的な身体を黒いドレスに包み、長い黒髪を下ろしている。高慢そうな眉の下には、金色の目。たいがいの男なら、骨抜きになるだろう、白い白い肌。 どこぞの酒場から、ブレンダンが連れてきた女だった。そう珍しくもないことで、最初はロイドも特に気にするでもなかった。だが、このごろでは、ブレンダンの連れ合い気取りで、牙の仕事に口をはさんでくる。 それだけではない。なにやらきな臭い気配が漂いはじめていた。古参の牙たち、おやじに忠実に仕えてきた者たちが、一人、二人と姿を消している。裏切り者かと、粛清者たちが向けられたが、消えた者たちの行方が皆目わからない。闇に通じた牙の追っ手が、獲物の匂いさえかぎつけられないのだ。文字通り消えてしまった者たちに代わって、ソーニャの息のかかった連中が入りこんできた。幾人かは、ソーニャと同じ、気味の悪い金色の目をしていた。 ロイドは今のところ、その薄気味の悪い思いを誰かに告げてはいない。いずれ、尻尾を掴んでたたきだしてやるつもりで、密かに数人の手勢を割いている。 「つれないねえ、あんた。いい男っぷりだけど、親父には似てないねえ」 ロイドは、答えない。黙って行き過ぎようとしたところ、白い腕が絡みついてきた。 「シゴト、終わったんだろ。ちょっと付き合わないかい」 ロイドは口もとだけで笑ってみせる。 「親父はどうした」 「酔っ払って寝ちまったよ。こちとら、あんたの親父の面倒みてやってるんだ、そうつんけんせずに、感謝の言葉の一つも捧げて欲しいね」 女のとがった爪がロイドの顎をなぞった。 ロイドは嫌な顔をするでもなく、まともに取り合うわけでもない。 「うらやましいねえ、色男」 暢気な声がしたほうに振り向くと、ラガルトが立っていた。組んでいた腕をほどきながら近寄ってくる。 牙での二つ名は疾風。その名に違わず、掴み所のない飄々とした男だ。細身だが背は高い。美しいといっていい顔には、左の額から頬に走る大きな傷がある。普通なら無残ともいえるその傷が、不思議と似合う。 「悪いな、姐さん。その男前との今夜の約束は、俺のほうが先だぜ」 ロイドの肩に肘をかけて、寄りかかってくる。 「フン」 馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、離れていく。 「さすが、もてるねえ、白狼。あの女狐、あんたにまで粉かけてくるとはなあ」 「で?」 ―――その女に関する報告はどうした? 自室に向かうロイドの後にラガルトが続く。ラガルトは部屋の扉に鍵をかけると、足を投げ出して椅子に腰掛けているロイドに向き直った。 「お頭があの女を拾ってきた店から前は、さっぱりだ。木の股から生まれたってわけでもあるまいに。あるいは、あの黒髪だから、サカあたりの出身かと思ったが…」 「サカの人間の目は黒い」 「っていうか、あんな薄気味悪い目は見たことがねえ…いや、無かった。ソーニャの周りをうろついてる連中には、同じようなのがちらほら混じってるからな。やつらはソーニャよりも不気味だよ。少なくともあの女は、女としちゃあ、まともな反応をするからなあ」 「どう思う?」 「わからん。魔道の気配がするのは確かだが…やっかいだなあ、俺たちは闇に通じちゃいるが、あくまで人間相手だ」 「おやじも、面倒なものを拾ってきやがる」 「はは、俺もその一員だがね」 ラガルトがにやりと笑う。 そういえば、そうだった。ラガルトもまた、おやじが気まぐれに拾ってきた人間の一人だ。ロイドが初めてて見たラガルトは、自分より年上にもかかわらず、鼠のように痩せて小さかった。おやじ―――ブレンダンに連れられてきた少年は、ぎらぎらと右瞳だけを輝かせてロイドを見た。左の顔全体に、血のにじんだボロ布が巻かれていた。 「困ったもんだ…」 そういいながら、たいして困った顔をしていないロイドである。黒い牙の首領、ブレンダンは豪放磊落、ひときわ大きな身体を持った、いい男だ。それがなぜ、あの女にあれほど入れ込んだものか。 そんな思いが顔に出たらしい。ラガルトが近づいてきて顔を寄せた。 「そりゃ、よっぽどアッチがいいんだろうよ、あの女。ためしてみろよ、ロイド。お頭から寝取って、追い出してやればいい」 「いやなこった」 「あんたは、へんなところが律儀だなあ。弟とは平然と寝るくせに」 「うるさい」 本気で蹴り飛ばしてやろうと思ったが、その前に椅子の後ろに回り込まれた。 「おお、怖っ」 後ろから腕を回され、顎を捕まえられた。顔を上向かされ、そのまま口付けられる。するりと舌が入り込んでくる。歯列をゆっくりと舌でたどられ、受け入れることを即される。口をあけると、奥へと入ってきて、上あごのあたりを嬲ってくる。くすぐったいような、きもちが良いような、泣きたいような、不思議な感じがする。
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