「扉」 (2)
重い足音。
かつ、かつ、かつと大またに近づいてきて、部屋の前で止まる。がちゃがちゃがちゃ、乱暴に扉の取っ手をがちゃつかせる音がしてから、でかい声―――
「なんだこりゃ、鍵かかってんじゃねえか、兄貴、いるんだろ」
ロイドは、自分の上にのしかかっているラガルトの身体を押し返した。
思い切り横を向くと唇が離れた。
「いいかげん―――」
扉の向こう側に、聞こえないよう、声を殺す。
言い終わるのを待たず、合わせを変えて、唇にしゃぶりつかれる。食いつくように。さっきまでの甘さはなく、容赦なく犯してくる。唾液があふれて、口元からそらされた喉へと落ちる。
痺れるほどに舌を吸い上げられ、舌の半ばを噛まれて口付けが解けぬようにされた。繋がっている、粘膜で、繋ぎとめられて。頭の芯が痺れる。
喉もとをゆるゆるとなでていたはずの指が、いきなり下肢にのばされ、服の上から、確かめるように、撫でられた。
ロイドは目をとじたまま、眉をしかめる。服の上からするりと触られて、そこに意識が集中してくるのが、奇妙にいらだたしい。椅子の上で腰をずらすようにするが、ラガルトの手が追いかけてくる。外せない。
ズボンの留め金を外され、下着のなかに、手を差し込まれる。反応しかかっているそれをじかに握られて、手早くこすりたてらて―――。
がつん、がつん。
ノックにしては、荒すぎる音。
「んん」
鼻から息が抜けた。涙腺のあたりが痛い。押しかえそうとしていた手から力が抜けて、身体の脇にだらりと落ちる。
ロイドが自分の身体の支配を完全に譲り渡すと、ラガルトはようやく口付けを解いた。
はあっ、はあっ、と自分の荒い呼吸の音が耳に飛び込む。目を開けたが、焦点があわず、数度瞬かせる。目の前にラガルトの鎖骨のあたりが見えた。むかつくから、尖った骨のあたりに噛み付いてやる。
「うわっ…と、っ」
隙をつかれてラガルトが声を上げた。
ドカン、とドアが鳴った。ぎしぎしと軋む。
「ラガルト?なんでラガルトがいるんだよ。畜生、開けやがれ」
「よお、ライナス、早かったなあ、お疲れさん」
「てめえ、兄貴の部屋でなにをしてやがる」
唸り声。
「悪いな、仕事の相談だ。ちょっとロイドを借りてるぜ」
「うわって何だ!?うわって」
「ちっと、茶ァこぼしちまってな、おっと…と」
ラガルトがいつも通りの、のんびりした声で答える。動きを止めてはいるが、その手はロイドを握りこんだままだ。
ドン、ドン
扉が、蹴りつけられる。怒りのままに蹴破る気らしい。仕事を終えたライナスは、まさに狂犬、走り出したら止められない気性のままに、興奮と怒りを辺りに撒き散らしている。
「やめろ、ライナス」
息の荒れを押さえ込んで、ロイドがひときわ静かな声で言う。いじられてはいないのだが、ラガルトの手の感触がじわじわと意識を犯してくるから、ひどく顔を顰めている。押さえ込んだ呼吸のために、腹のあたりがひくひくと動いた。その動きが伝わったらしく、ラガルトが薄く笑う。
「仕事の話だと言ったろう。邪魔をするな」
「なんだよ、俺が聞いちゃいけねえ事なのか」
すねたような声。
「そうだ」
ロイドの声はにべもない。
「まあ、ちょっと、イイコにしてな」
がん、と床を踏みつけた音。
ちぇー、とか、くそーとか、そういう感じの音を騒々しく呟く声が聞こえ、どさっ、と扉に重いものを投げ出したような音がした。番犬よろしく、扉のまえに座り込んで待つ気らしい。気が治まらないらしく、かかとで床を蹴っているらしい、かつ、かつ、という不規則な音がする。部屋の中の様子を伺うため、というよりは、仕事が済んだから、兄貴に褒めてもらいたかったのを邪魔されて、単にふてくされているのだ。
くっ、くっ、と押さえた笑いにラガルトの喉が上下するのを見る。顔をあげると、切れの長い目がじっと見つめてきた。
「はなせ」
睨み付ける…が、この格好では、ずいぶんと間抜けなざまだな…とロイドは心のなかで、自分を笑う。
紫の目が微笑に、細められる。
ロイドの足の間にラガルトが完全に割り込んできているから、こっちは動けないが、むこうは、好きにし放題だ。明け渡した下肢に絡みついた手は、そのまま止まっているが…上着は脱いでいるから、黒い上衣一枚、その裾から、と、と、と、と指先を交互に動かしながら、手が入り込んでくる。指の一本が胸の微かに尖った場所にトン、と置かれる。トン、トン、トンと叩かれた。
顔を顰める。声を出さないように。
軽い刺激の合間に、指と指の間に挟まれ、絞られる。
「はなさない。今すぐライナスをここに入れておまえさんの顔を見せたら、俺はやっこさんに殺されちまうぜ」
潜めた声を耳にふきこまれる。
俺がどんな顔をしているというんだ。
どうやら、最後まで続ける気らしい。なんで、俺に選択権がないんだ、と心のなかでぶつぶつ文句を言う。ラガルトとは、時折こういう状況になるころがある。意思を折られる、というより、やんわりと包み込まれて、はぐらかされて、気がつくといいように丸め込まれている。
正面からこられれば、切って捨てることもできるが、こうなると、蜘蛛の糸に絡め取られたように、自分の思い通りに動けなくなる。頭も、身体もだ。ロイドはため息をついて、この状況について考えることを放棄する。
「へんなとこ、かわらしいんだよなあ、おまえさん」
言ってろ、と思う。言葉にはしない。口を開けたって、荒い息を吐くだけになるのはわかっている。胸の片方を舌で、片方を指で嬲られている。さらさらした指の感じがかわって、ぬるぬるとまつわりついてくるから、快感も強い。ぎゅっ、と押しつぶされ、埋め込むようにこねられると、痛いような刺激があって、それから、腰のあたりに温く響いてくる。片手で握られたまま、放置されている下肢のあたりに、熱があつまってくる。
歯をたてられて、のけぞり、自分の口を手で塞いだ。目を瞑る。強く瞑る。腰が動いてしまい、ラガルトの手に自分をこするつけることとなった。指を噛む。
意識をドアの外に逃がす。
ライナスの音の外れた鼻歌らしい声と、かつ、かつ、と床を蹴る音。自分のなかで意識が分離して眩暈がする。自分を待つ弟と、自分を抱く男と。
「他の男を思いながら抱かれんのは、娼婦のやるこった」
押し付けた下肢をくすぐるように掌に包まれる。
両手で自分の口を塞ぐ。
「ま、しかたないけどな、あんたらは、二人で一人みたいなもんだ」
ラガルトが囁くが、その言葉はロイドにむけられたものではないらしい。目を合わせると、紫の目の中にも、浮かされたような熱が浮かんでいる。
指が絡んでくる。じらすように、ゆっくりと動き始める。快楽のなかに追い込んでくる、器用な手。
二本の指が、立ち上がったものをはさんで上下する。もう一本が裏側に回りこんできた。
「俺はあんたが好きだよ。あんたらが…かな」
両手で塞いだ唇に、ラガルトの口元が近づいてきた。自分から、むさぼりつく、と、さっきとは違った甘い刺激が与えられる。抵抗を塞ぐのではない、意思をとろかされる、甘い舌。
微かにあげてしまった声を吸い取られる。それでも、その甘さに溺れこむことはできない。
表情は快感にとろけ始めてはいても、ロイドは扉の向こうに、弟に、意識を向けたままでいる。
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