今まですらすらとよく喋っていたあの子が口ごもった。視線が泳ぐ。
「なんだ?」
「あのう、私、一人暮らしをしておりまして。この部屋はいわゆる借家と言いますか間借りといいますか……要するに、寝所に使える部屋はここ一つしかないんです」
「え」
そこで、借りている部屋の案内と軽く使い方の説明もしてもらった。寝室兼居間である部屋の扉(この扉の開け方もそこで初めて知った)を開けると、廊下と小さな台所があり、風呂場に便所、洗濯場、最も先にあった扉を開ければもう屋外だという。しかもここは2階らしい。見知らぬ何人かで一つの家屋の部屋を借りあっているため外に階段がついているとのことだった。
当たり前かもしれないが、説明してもらわないと何の部屋かすらわからなかった。
「ということで、申し訳ないのですが左近様はここを使ってください。私はロフト――あ、屋根裏で寝ます。そこのところ、よろしくお願いします」
「しかし……いいのか?」
「こちらこそ、狭い部屋ですみません。一人で暮らすことしか想定してなかったので」
申し訳なさそうにする姿は妙で、滑稽にも感じる。順応の早い娘さんだ。
「さすがにこの事態は予見できないだろうよ。ま、いつもここで寝てんなら、一緒に寝たって構わないがね。あの子さんなら大歓迎ですよ?」
「……左近様って、やっぱり見境ないんですね。冶部少輔(じぶのしょう)殿も頭を痛めてそうだったし」
「やっぱりって何だ、やっぱりって!しかもなんで殿の様子まで知ってんだ」
「あなたの登場するゲーム――体感できる劇みたいなものををしてたからと言ったではないですか。だからあなたの世界のことは少し知ってるんです」
出来心でからかってみたら逆に冷たい目で溜息を吐かれた。知らないところで俺たちの姿を見ていた、というようなことか。よくはわからないが、あまり嬉しいもんではない。
「げ……どこまで俺のこと知ってるんだ?」
「さあ。昼も夜もお忙しい方とは存じておりますが、細かくは申し上げられません」
「……それは大体知ってるってことだろ?やりずらいな」
「あれ、もうそんな余裕が出てきたんですか。早く戻るんではないんですか?」
「はいはい、そうですよ。とっとと帰りますからね、長らく世話は掛けないつもりですよ。これで満足か?」
「あはは、左近さんのそういうところは好きですよ――あ」
「あ?」
しまった、という顔をするあの子。意外に表情がよく出る。
「ほら、左近様はお侍さんじゃないですか。位の高いお方だし敬称付けないと怒られそうで――ってなんですか、なんで笑うんですか」
「……っ。いや、面白い娘さんだ」
くつくつと笑う俺に今度は抗議の目だ。
「俺は別にかまわないがね。この未来には侍なんていないんだろ?なら対等にいこうじゃないですか、あの子さん?」
「でも。いいんですか?」
「左近はちゃあんと、郷に入っては郷に従うことのできる男ですよ?」
片目を閉じて答えてやる。
「うわーその丁寧語なのに敬ってるとは思えない口ぶり。まさに左近さんだ」
「……本当に俺のことをよくご存じで」
妙に悔しい気持ちになるのは、このあの子という女に対して俺は気を許しているんだろう。
未来人というのは皆こんな様子なのかもしれないが――どうも調子の狂う自身の感覚に少しばかり戸惑った。
「さてと。左近さんたちの朝って早いんですよね?日の出とともに起きたりするんですか?」
「寅の刻のうちには起きるがね。しかし……こう宵っ張りじゃあ、あの子はあまり働かないんだな?」
「いや、明日は休みだし……じゃなくて、こっちじゃあこれが普通なんです!でも時差的に見て、今寝たら丁度よさそうですね。よかった」
日が出たからって起きなくていいですからね、とずいぶん念押しされてから床に入る。布団で眠るのはこの時代も変わっていなかった。
ここへ来たのはこの身一つだけだ。一張羅なので当然寝間着も着替えもなく、脇差を置いて薄着になった。服は明日用意してくれる、とのこと。仕方がないのだが、世話をかけてしまう。
「明かり、消しますね。おやすみなさい、左近さん」
「ああ。あの子も、おやすみ」
馴染みの感触に緊張がほぐれていく。思いのほか、気を張っていて疲れていた。このぶんだと、早起きはできそうにない。
今頃、自分の居た世界はどうなっているだろう。――殿に、心配をかけているかもしれない。そう思うと気持ちが急く。それに、あまり長居をしてもあの子に迷惑がかかる。ここで出来ることなどまだ何もないのに、一刻も早く戻らねばという思いだけがつのっていく。
だがそれも眠気には抗えず……まどろみとともに遠のく意識の中に消えていった。