携帯電話の振動で目が覚めた。
休日だからもう少し寝たい気もするが、そうもいかない。
なぜなら。我が家にはあの、島左近様がいらっしゃったのだ――あの戦国無双の世界から。
灯かりに苦労する昔なら、と聞きかじったことを軽い気持ちで尋ねた昨晩。まさか本当に日の出で起きて夜も更ける頃には寝るような生活をしているとは衝撃だった。現代ならお年寄りレベルだ。時差があったからよかったが。
着替えをしてから、そろり、そろりとハシゴを降りると、左近さんはまだ眠っていた。昨夜の出来事は夢ではない。
姿が消えていたほうが本来正常に戻っているはずなのに、私は左近さんがいることに安心していた。
その彼を横目に通り過ぎ、朝食の準備を開始する。
献立はダイコンとネギの味噌汁、納豆にキュウリの漬物。これぞジャパニーズスタンダード。魚があれば完璧だったけど、あいにく切らしていたので卵焼きをツナ入りにでもしてボリュームを出すとしよう。
朝から味噌汁を作るのは久しぶりだった。手間の問題もあって朝は洋食派なのだが、あの大きなお兄さんには、少しでも馴染みがありそうなものがいいだろうと思った。そうでなくとも、慣れないものごとばかりだろう。
手を動かしながら今日の予定を立てる。左近さんはいつ帰れるかもわからない。一通りの物は揃えて不自由のないようにしておきたいし、教えておかないと困ることもたくさんある。
「……あの子、起きていたのか」
「あ、おはようございます左近さん。もっと寝ててもいいですよ」
「おはよう。いや、よく寝たよ。それは朝餉か」
大きな影に、背が高いなあと実感する。左近さんはまだ起きぬけのようだ。薄い着物一枚。しかも肌蹴ている姿に、ちょっとドキッとしてしまった。たぶん現代基準でいう<おじさん>に入るくらいの年齢かと思うが、この色気はなんなんだろう。そのうえお強いんだから、お姉さま方にモテモテなのも頷ける。
あと私の後ろから鍋を覗き込むとき、さりげなく胸板が背中に触れたのは確信犯(※誤用)だと思った。不埒。
「そうですよ。お味噌汁はそちらにもありますよね」
「ま、同じようなもんだな。手伝うことはあるか?」
「もうすぐできるんで、着替えて待っててもらえればいいです」
さっくりと追い返して、私は仕上げにかかった。
「――ということで、伝統的和食にしてみました」
二人で朝ごはんを食べるのも久し振りだ。この部屋に来てからは初めてかもしれない。湧き立つたくさんの湯気に陽の光が当たって、きらきらしていた。
「へえ、あの子が作ったんですか。で、毒は」
「左近さんは食べなくていいです。いただきまーす」
「いやあ嘘ウソ!いただきますよ」
左近さんも十分ひねくれてる人だと思う。私が手を動かしたのを見て、あわてて左近さんも食べ始めた。
……人にご飯を作ったとき、相手が食べる一口目はちょっと緊張する。
「あの、どうですか?」
「ま、不味くはないんじゃないですかね」
「わあ。ひねた言い方」
「拗ねるなよ、あの子。……味噌汁がこっちにもあって、ほっとしてる」
言い方はアレだけど、食べた時の表情を見ればわかる。私まで嬉しくなった。
やっぱり味噌汁は日本人の心だ!と盛り上がる私をよそに、左近さんは意外にも(というのは失礼だろうか)黙々と、品好くお召し上がりになっていた。
納豆も漬物も問題なし。ただ、白米に驚かれるとは思わなかった(雑穀とのブレンドや玄米が主流だとか)。
「で、あの子さん。この淡黄色のは何だ?」
「え?ツナの卵焼きですよ。……わかりやすく言うと、鶏の卵とマグロの油漬けを混ぜて焼いたものです」
「鶏の卵!」
「今日はお魚がなかったんで、代わりです。鶏卵は一般的な食材なんで、食べやすいと思いますけど――」
卵も食べないものだったか……。400年の差は大きい。
そんなこんなしながらも、けっこう好評だったようで左近さんはきれいに平らげてくれた。
「さてと。これからどうするか、ってことなんですけど」
食後にお茶を一服しながら、私は今日の予定を切り出した。
「とにかく、服をどうにかしないことには始まらないんです」
「これじゃマズいのか?」
「悪目立ちします!それに見る人が見たらヤバいんです」
昨日の私みたいにコスプレと思う輩も居ないとも限らない。
もうすぐ、近くの店が開店する。取り急ぎ服だけは私が調達してから、一緒に必要なものを買いに行ったほうがいいだろう。外の案内も兼ねられる。
それまで小一時間ほど一人でここに居てもらわないといけないので、暇をしのげるように適当な本を渡し、テレビの見かたを教えた。案の定、テレビを最初に見たときはお約束の反応を見せてくれた。
「驚いた。こりゃ、あやかし?幻術の類とも違うのか」
「からくりはちゃんとありますよ。でも説明しづらいんで。割愛しますね」
「ここに出てくる文字も、本と同じようなやつか」
「読みにくいですか?もちろん日本語ですけど、そうか、楷書体だから――」
「……ま、じきに慣れるでしょうよ」
画を見ているだけでも面白いしな――だそうなので、とりあえずは大丈夫そうだ。
「――左近さん。少しの間ですけど、外に出たりしないでくださいね」
「へいへい、わかっていますよ」
「すぐ帰ってきますから。じゃ、いってきます」
「ああ。いってらっしゃい、あの子さん」
ニヤ、という(左近さん的に)いい笑顔に見送られ、私は自宅を出た。
半刻の暇つぶしには困らないと言われはしたが、なるべく早く帰るつもりで……。