CHAPTER1
視界が天井を認識して、覚醒する。朝……だが、いつもより早い。目覚めは最悪だった。
昨日のショックが抜けていない。
この学園の外で何が起きているのか、そもそもあの映像は本物なのか。確かめる術はない。……ただひとつ、“人を殺す”という選択肢を除いては。
だからと言って、周りの人間を殺して彼らの生死を確かめに行くなんて私にはできない。人を殺す覚悟なんて私にはない。
でも、このまま何も起こらずにずっと学園内に居続けたら、同じ気持ちでいられるだろうか。もしかしたら――いや、だめだ。また悪い方向に考えてしまう。
「……厨房、行こ」
料理をしていれば、その間は無心になれる。食堂の施錠解除までが待ち遠しかった。
*
「むっ、灯滝くんか。おはようございますッ!」
「あ、石丸くん。おはよう、早いね」
「それは僕の方が言いたいぞ! くっ、一番乗りだと思ったのに……ッ」
「まあ……ほら、皆が揃う前にご飯作っておかないと、待たせちゃ悪いと思って」
一番乗りに懸けていたらしい石丸くんには悪いけれど、何せ校内放送のチャイムが聞こえた瞬間にドアを開けて食堂まで一直線に来たのだから、勝てる人はきっといない。
「確かに、君には食事作りという役割がある以上、早く来る必要がある……ふむ。特例除外対象……ならば僕が一番乗りと言っても過言ではないな!」
「あーそれでいいと思うよ」
「そうかそうか! では僕は皆の到着を待つとしよう。君は存分に食事の準備をしたまえ!」
「あっ、待って、石丸くん」
私はご満悦顔で食堂へ戻ろうとした石丸くんを呼び止めた。手伝いでも必要なのかと聞き返されたが、そういうわけではなかった。
厨房に、一つの違和感があったのだ。
「あのさ、包丁が1本足りないんだけど……心当りとか、ないよね?」
「包丁? 君のほうがよく使っているだろう?」
予想はしていたけれど、石丸くんには心当りがなく、食堂に来る他の人にも尋ねてみると言って厨房から出ていった。それまでの和やかな雰囲気はすっかり霧散して、不安と私一人がそこに残る。
昨日の出来事があっただけに、過剰に反応しているだけか。……そうあってほしい。
今は心配するよりも、目の前の仕事を片付けることに意識を向けることにした。こんな時だからこそ、栄養バランスよく、彩りよく、何よりおいしいご飯を用意するのだ。
*
食事の用意も終わり、食堂に戻ると多少ルーズな人たちも集まっているところだった。数人に包丁の話を聞いてみても、揃って首を横に振られる。
更にマイペースな人たちが集まっても尚、1人の姿が見えなかった。みんなが顔を見合わせる中、突然苗木くんが血相を変えて食堂から飛び出していった。
そしてその苗木くんも、待てども戻ってこない。2人を探しに別のメンバーが出て、数分後。聞いたことのない校内放送が、食堂で待っていた私たちを震撼させた。
『死体が発見されました――』
「え……!?」
「は、……死体?」
「……そんな、まさか」
混乱する私たちに、間もなく探しに出ていたメンバーの1人が戻ってきて、告げた。
――舞園さやかが死んでいた。
――苗木誠はそこで気を失っていた。
冗談を言っているとは思えない表情で伝えられれば、否定の言葉は安易に出せなかった。
全員でそこへ向かう。個室の奥……シャワールームへ。
「…………」
言葉なんて出てこなかった。
一目見て、わかってしまった。生きているそれではないのだと。
舞園さんは、死んでいる。
「おい、起きろ苗木。どうなっている、何があった! 言えッ!」
「わ、私は絶対に見ないわよ……。例え、本当に……そうだとしても……」
十神くんが気絶している苗木くんを乱暴に揺する。みんな一度は彼女の姿を確認する中で、腐川さんだけは入り口から奥へは進まず、頭を抱えて唸っていた。
荒れた部屋、倒れた二人――ここで一体、何が。たった一つの揺るぎない事実が、私を、私たちを、奈落の底へ突き落とす。
……殺人は起こってしまった。
*
間もなくモノクマは私たちを体育館に呼び集め、“学級裁判”のルールを説明した。
誰かを殺してもバレてはここから出られず“オシオキ”。しかし、殺した人間を当てないと他全員が“オシオキ”。……最低最悪のルールだ。
そして最悪な事態はこれだけに留まらなかった。
「――助けて、“グングニルの槍”!」
皆の目の前で、一瞬にして数多貫かれる身体。飛び散る、温く生臭い液体は、少し前に見た光景を思い出すような――血。
“校則違反”だと、モノクマは言った。
学園長への暴力を禁じる。踏みつけられたから召喚魔法を発動させたのだ、と。
「なんで……あたしが…………?」
身に起きたことを受け入れられないままに、彼女は鈍い音を立てて倒れた。
信じたくなかった。でも、彼女自身の姿が現実を突きつける。
江ノ島さんも、死んでしまった。
モノクマは、詰め寄る霧切さんを躱しながら、捜査のためのお膳立てをすると去っていった。
「江ノ島……さん……」
私は放心していたし、他のみんなもその場を動こうとしなかった。
あまりに呆気ない、一方的な命の奪い方だった。
死体を見て、目の前で人が死んで、思考が正常に働くわけがない。
しばらくそうしていたけれど、捜査すべきと口を開いたのは霧切さんだった。セレスさんや十神くんも思惑は違えど同調して、まわりもとにかく行動を始めようという意識へ向いてきた。
「やるしか……ないんだよな……」
苗木くんの呟きが聞こえた。見張り役以外は捜査要員になる。……だけど、みんな警察でもない素人だ。当然、私も。
「……私、捜査とか、全然わからない……出来ないよ」
気づけば、自分の口から言葉が零れていた。
弱音を言っても仕方がない。ましてや、ほとんどの人が不安でギリギリのところで平静を保っている状況だというのに。
何で、どうして、イヤだ、無理。勝手に溢れ出しそうになるそれを、手で蓋をして抑える。
「別に、捜査しなくても構わないわ。それであなたが納得できるのなら、だけど」
「私も……よくわからないけど……。でも、やるしかないんだよね……」
霧切さんの言葉に、朝日奈さんは固い表情ながら捜査する意思を固めたようだった。
「まあ……灯滝実ノ梨殿は食生活におけるキーパーソンであるからして、そちらに集中していただいても良いのでは、と。そう思うわけですな。」
「つまり、灯滝くんは闇雲な捜査を行うより食事を用意している方が有意義と?」
「収穫ゼロよか、うめーメシ出来てるほうが、そりゃいいっしょ」
山田くんの提案に、石丸くんと桑田くんが反応する。
……それでいいのだろうか。こんな異常な現状で、私だけが呑気に。
そう思っても、やはり私には自信がなかった。安易に自分のテリトリーに籠もる方へと、気持ちが流れていた。
「じゃあ……もうすぐお昼だし、食事準備優先で動く、かも。小腹が減ったら食堂に来てね。夕食分まで準備しておくよ」
「そ、その料理が、あんたの最後の置き土産になったりしてね……」
「おい……笑えねえぞ」
冗談でも堪らないと、大和田くんが腐川さんに苦々しい顔を向けていた。
私の選択は、いわば丸投げだ。他のみんなの成果次第で学級裁判に臨み、結果間違って処刑されることになっても、何も言える立場ではない。みんなに託すと決めたからには、そういう覚悟も持たなくてはいけないだろう。
そんな、この事態を乗り切ろうというムードが出てきたところでのセレスさんの一言は、一気に疑心暗鬼へと傾かせた。
『モノクマファイル』による殺害現場は“舞園さやかの個室”ではなく“苗木誠の個室”とあったのだ。
なぜ彼の部屋で殺されていたのか――疑惑の目は苗木くんに集中する。まさか、でも……そんな思いで彼を見てしまう。
「どうしてボクが、舞園さんを殺さなきゃならないんだよっ!!」
次々に体育館から離れていく中で、苗木くんは思いつめた顔で一言吐き出すと、捜査のために移動していった。
誰が犯人なのか。今は、なんとも言えない。それを明らかにするために、みんな動いているのだ。
……私も、いつまでも留まってはいられなかった。自分にできる事を全うしなければ。