CHAPTER3
「これって覗きのチャンスじゃん!! そんな大チャンスを逃そうっての!?」
女子が大浴場へと消えた脱衣場前で、モノクマは男子3人の欲望を刺激していた。
最初にその提案に傾いたのは山田。鼻息荒く煩悩に突き動かされた。
葉隠は山田のキャラに突っ込んでいるものの、何とも判断していない。
苗木は悩んだ。一人、心の中で静かに会議をしていた。本能と理性がせめぎ合い……そして。
「よし……行こう!!」
多数決により、彼らは決行した。
――男のロマン。一つ、それは女の風呂覗きである。
*
脱衣場に侵入した勇敢なる兵士たち。山田は既に盛り上がりきって、今か今かとその時を待ち構えている。
葉隠は明確に賛同はしなかったが帰るわけでもなく付いて来ていた。ミッション失敗時を思い描き深妙な顔だ。
大浴場の扉を開く役目は、苗木に託された。彼は意を決し、緊張の面持ちでドアを掴み、わずかに力を込めた。
ゆっくりと、しかし確実にドアは開いた。
ロマンをその目に映す。シャワー台の手前から大神、朝日奈、霧切。浴槽に灯滝とセレス。奥の方に腐川も居るような幻を見る者もいた。時折湯けむりが悪戯をするのも、またロマンだった。
湯を弾く肌のなだらかな曲線は女性特有のそれだ。見えなかったものが見え、それでもなお秘密の領域が存在することにますます思いは膨らむ。石鹸以上の芳しさを感じるその空気に、彼らは酔っていた。逞しい肉体美も……そういうジャンルで美しいとされるだろうと感じるくらいには。
普段の髪型とは違う姿も新鮮だった。特に結い上げている朝日奈やウィッグを付けているセレスは別人のようだ。
クラスメイトの女の入浴姿を内緒で垣間見る、そんな機会はもう無いかもしれない。世界にうっとりと夢中になる者、この瞬間を永遠に記憶しようと誓う者、見えるならと何となく見続ける者。トーテムポールのように隙間に群がる男子は、三者三様だった。
時間にして数分ほどか、彼らはひたすらそうしていた。
シャワーの音が響くので女子の話し声は聞き取れなかったが、その分こちらの物音にも気づかれにくい。しかし洗い終わった彼女たちは次々に湯船に入っていく。名残惜しいが潮時か、と離れようとした矢先、シャワーが止まった大浴場に大声が響いた。
「な、何を……!?」
男子たちの体が固まる。バレた、終わりだ、死んだ――諦観が彼らの脳に渦巻く。
叫んだのは灯滝だった。湯船のお湯が波立つほどに動揺しているが、彼女の視線は自分たちではなく隣のセレスに向いていた。彼らは静かに胸を撫で下ろす。
「ですから、灯滝さんは葉隠くんと仲がよろしいですね、と。」
あらためて立ち去ろうと思いかけた最中の爆撃に、今度は名前の挙がった葉隠だけがビクリと体を震わせた。身長的な要素で下にいた山田と苗木は葉隠を見上げようとするも、体勢的に無理だった。
「そんなことは、ないと、思うよ」
「ええ。相対的に見て言っただけですわ。ですが、あながち間違っていなかった……というところでしょうか」
「そうね……。灯滝さんは葉隠君を気に掛けているように見えるわ。そして葉隠君は灯滝さんによく話し掛けている。二人とも、誰とも平均的に交流しているようだけど、若干そういう傾向が見て取れるわね」
湯船に浸かり始めた霧切が、セレスの言葉に追い打ちを掛ける。
「だからといって、別に何もない……よ?」
「セレスさんと同じく、客観的にそう見えたという話よ。特別な感情があるかなんて突き詰めるつもりはないから、安心して」
「えっ私は気になるよ!」
「しかし、朝日奈よ……安易に結論付けるようなものでもないだろう」
興味津々といった表情の朝日奈を、大神は静かに諌めていた。
葉隠はそっとドアの隙間から目を離し、脱衣場を後にした。
*
ほどなく山田と苗木も脱衣場から出て、3人は食堂で女子たちが出てくるのを待った。
席に着くなり、山田は三次元も悪くないと満更でもない顔で語り、苗木は少しの罪悪感を持ちながらもやり切った男の顔をしていた。葉隠はというと、大神が女だったと今更の事を言って驚いていた。
「いやいやいやいや、葉隠康比呂殿ォ……貴方のトピックスはそれだけでは無いでしょうに〜」
「葉隠クンて灯滝さんとよく話してるの?」
ほくほくと桃源郷の感動と興奮を分かち合うと、山田も苗木も終盤に聞こえてきた話題にロックした。葉隠は思い返すような仕草をしてから、話すっちゃあ話すかもしれん、と曖昧な返事をした。
「つーか、こんな生活続けてっと楽しみなんて飯くらいだべ? 毎日食ってんだから、飯作るヤツと話して普通だべ」
「それは確かにあるけど……」
「本当にそれだけですかな?」
葉隠の交流は万遍ないようで、そうでもなかった。複数が集まる時には印象が良い相手でもその逆でも、誰ともよく言葉を交わす。よく喋る相手にも、無駄口などしない相手にも、それなりの距離で接する男だった。だがそこから一旦離れ、少数あるいは一対一で話す場合は人により差が生じてくる。
葉隠がよく会話をするタイプの一つは、相手から自分に交流をしてくる者。もう一つは、自分の生活に必要な物を提供する者。学園生活の中では、前者には苗木が当てはまり、後者には灯滝が当てはまった。
葉隠は、たとえ個人の事情をどれだけ聞いていたとしても、自らが特定の誰かに深入りすることはない。それは占い師として適した性質でもある。
灯滝は料理の提供者だから、自然と交流が増える。単純な答えだと、葉隠自身も納得していた。
ただ、倉庫でハシゴから落ちた時に一瞬感じた感覚は、その理屈では説明できなかった。
箱を頭にぶつけて、おかしくなったのかもしれない。自分の制御を超えたインスピレーション占いか、あるいは既視感、……信じたくないが超常現象の類か。普通じゃない違和感で少しの間浮かされたと、葉隠は思う。
それがわからないまま、そのまま過ごしているだけだった。
「そ……それだけだべ」
「あれっ、今、どもりましたよね? ねえ? ああっ女神さまっ! なんということでしょう、葉隠康比呂殿もリア充側の人間だったとは……ァァァァ爆発しろッ!!」
「はああああっ!? 恨まれる筋合いなんざ微塵もねーぞ!」
「落ち着いて、山田クン葉隠クン落ち着いて」
「あ、いえ、僕は灯滝実ノ梨殿とか三次元はどうでもよいのですがね。先ほどまさに素晴らしい二次元に巡り会えたことですしね。ただ……叫ばずにはいられなかっただけでッ!」
「山田っちはまず自分のキャラを固めるべきだべ!」
「ね、お茶でも飲もうよ、ほら、灯滝さんが用意してたやつが……」
あ、と口を抑えた苗木だったが、少しばかり遅かった。
複雑な表情のまま無言でお茶を飲んでいた彼らだったが、次第にそれも和らいでいった。
何かを口にすると意固地になっていた気持ちが不思議と解けるのは、飲食という一次欲求が満たされるからなのかもしれないと、苗木は二人を見て思う。
「…………恋愛とかそうじゃねーとか、結局なんなんだろうな」
ぽつり、と葉隠がこぼした。
「え……それは、年上の葉隠クンのほうが詳しいんじゃ……?」
「占いを頼みに来る奴とか、親切だけど面倒くさい奴とかが言うそれが恋愛ってんなら、俺も灯滝っちも違うべ」
「基準のそれが理解できないので結局わからないんですが……」
「うーむ……」
葉隠はそれきり、唸る以外に言葉を発さず長考に入ってしまった。
「葉隠康比呂殿が……哲学的命題に向き合っておりますぞ……」
その議論を発展させるには、苗木も山田も経験不足だった。