一人きりになってからは、ひたすら料理に明け暮れた。あれから午前中は、先に言っていたとおりに葉隠くんがやや遅めの朝食を取りに来た以外には誰も食堂を訪れなかった。
 昼を過ぎると、ぽつりぽつりと人が顔を出すも、ご飯は部屋に持ち帰っていく人が目立った。私と交わす言葉も事務的な二言三言で、朝の雰囲気を引きずっているようだった。


「なあ、灯滝っち。後で時間できたらよ……俺の部屋に来てくれん?」
「……え?」
 そんな昼時に、食器を返しに来た葉隠くんから声を掛けられた私は、驚いて彼を見た。
 もうずいぶんと調理に集中していたので、私はさっきのような話をしたい気分は霧散していた。とにかく、昼休みまでに明朝分までの食事を用意をする作業に徹していた。
 葉隠くんは私が聞き返したのを不審からだと思ったらしく、途切れ途切れに言葉を繋いで理由を話し始めた。

「その、オメーと少しばかり話をしたくてだな……。例え今ここに誰も来そうにないっつっても、他のヤツに聞かれるのはマズいんだべ。…………いや別に、連れ込んでどうのこうのってワケじゃねーぞ?」
「そこまで考えてなかったけど……」
 他人に聞かれたくない話がしたいから、部屋に呼ぶ。邪心からではない。主張はわかるが、そこまで言う様子が逆に不審に思えてくる。

「まあ……無理にとは言わねーべ……」
 でも、葉隠くんからこんな風に「話したい」と呼ばれたことはなかった気がする。私からは何度か相談に乗ってもらっているし、こう改まって言われては理由を付けて断る気にならなかった。
「……どんな話か知らないけど、取りあえず聞きに行くよ」
 体調も今は落ち着いている。すぐに休むこともないと思い、昼休みになったら部屋を訪ねると葉隠くんに返した。
 待ってるべ! と意気揚々と居なくなった葉隠くんは、……やっぱり不審だった。





 部屋の前で呼び鈴を鳴らすと、葉隠くんはすぐに私を迎え入れた。
 思えば、人の部屋に入ったのは舞園さんの事件で苗木くんの部屋に立ち入って以来だ。普通の用事で、となると初めてのことだった。
 葉隠くんの部屋は占い関係の道具が置かれ、手相やよくわからない図、御札が貼られていて、彼らしくも雑多な印象だった。
 葉隠くんは、私が部屋にいる間は鍵を掛けないでおく、ドア側に居てくれて構わないから安心してくれと、どこまでも低姿勢だった。……それだけ必死になるほどの話なんだろうか。

「……別に危害を加えるつもりじゃないって思ってるし、そんな気を使わなくっていいよ。でも……いったい何の話?」
「なあ……灯滝っち。俺の占いによると、もう人殺しは起きんって出てるし……近々外に出られそうだよな……?」
「そうだったらいいけど……まだ謎だらけな気が」
「そこで、だ……。オメーを見込んで、一つ頼みがある」
 あまり同意とはいえない私の話を遮って、いつになく真剣な目つきの葉隠くんは、一度言葉を切ってから意を決したように口を開いた。


「こっから出たらよ……オメーの内臓、転売させてくれねーか……?」
「…………は?」
「親切な灯滝っちなら、俺の願い……叶えてくれるだろ……?」
「なに……言ってるの?」
 ナイゾウ、テンバイ。……繋がらない語句が飛び出し意味不明だった私は、葉隠くんに補足をお願いした。
 葉隠くんがお金絡みで法的機関に行くほどのトラブルを抱えているというのは、この前知った話ではあった。でもそれは、“自分の手元に来たお金は他人に渡したくない”からそうなっている、という内容だったはずだ。
 その補填するお金を、私の内臓から出せないか――。彼の頼みとは、そういうことらしい。

 ……なんて突拍子のないことを思いつくんだろう。直接「お金をくれ」と言わないのが、彼なりの良心なのか……。
 でも、いくらお願いされても、さすがに無理だ。現実的じゃない要求だった。
「あのね、葉隠くん……料理人は体が資本なんだ。内臓を失ったら、仕事の動きに影響が出るかもしれない。万が一でも、料理ができなくなったら……私はどう生きていったらいいか、わからないから……それはむつかしい」
 料理人である自分が料理を作れなくなったら、なんて考えたくもなかった。料理を抜いた自分なんて、魂がない抜け殻だ。もはや私ではなくなってしまう。

「そこを、何とか!」
「……私がもう美味しいご飯を作れなくなるとしても?」
「飯……いや、……そうか……」
 食い下がる葉隠くんに、ご飯について言及すると、彼は歯切れが悪くも納得せざるを得ないという顔をした。


「じゃあ国籍ならどうだべ? 紙切れ一つだし売っても困らんべ?」
「でも、それじゃパスポート作れないよね? 海外修行に行けなくなるのは困る」
「むうう……。かくなる上は……戸籍っ。戸籍はどうだ?」
 内臓が無理だと見ると、葉隠くんは他をあたり出した。
 とにかく私の持つ何かで金銭を生み出したいらしい。……それにしても、どうして要求するものがこういう類ばかりなのか……。

「戸籍がなくなるとどうなるのか、よくわからないんだけど」
「とりあえず保険の類が全滅だから、怪我や病気には気をつけろな。使う方としては……女じゃさすがに俺はなりすましできねーから、灯滝っち名義で金を借りまくるか……額によっては手っ取り早くブローカーに売っ払うべ」
「申し訳ないけど未成年だし親に迷惑掛かりそうなのは――」
「あっ……灯滝っちはまだ大人じゃなかったかー、そうかーっ!」
「高校生で成人してるほうが少数だよね……?」
 対策と用途……葉隠くんの説明はやけに饒舌に聞こえる。以前のセミナーの件と同じように、既に何人かに持ちかけているのかもしれない。……相手が受け入れるビジョンは全く見えないけれど。
 

 私の戸籍を諦めた葉隠くんは、手を顎にやり片目を閉じて思案していた。……ここまでの流れからして、碌な要求ではない気がした。
「これはもうアレするしかねーな……アレなら未成年でも連帯保証人になれるし……」
 小さく呟いてから私に向き直った葉隠くんは、きっぱりと言い放った。
灯滝っち! ここ出たら、俺と偽装結婚するべっ!」
「…………」
 葉隠くんが言い終わっても、しばらく言葉が出て来なかった。
 まさかこんなところで、こんな状況で、結婚の申し出をされるとは思ってもみなかった。……しかも偽装の。

「……いちおう聞くけど……なんで私なの?」
「いや……灯滝っちならきっと首を縦に振ってくれると思ってだな……」
「すごい信頼されてる気はするけど、物凄く間違ってる……!」
 おそらく……葉隠くんは婚姻関係だけを結んで、私を借金の連帯保証人にしてから行方を眩ませたり、私に生命保険をガッツリ掛けて保険金の受け取り手にでもなる気なんだと思う。
 そんな葉隠くんの“世間の枠にとらわれない自由な考え方”に、ついていくことは出来なかった。
「葉隠くんだからって……何でも“いい”とは言わないよ。偽装じゃなくて普通に好きな人と結婚をしたいし、借金の肩代わりのアテにされるのもイヤだ」
 はっきりと、葉隠くんの期待には沿えないと言った。
 すると葉隠くんは、心底意外だという顔をした。私の返事が信じられない、と言うようだった。

「あと、葉隠くんは普通に好きな人と結婚する気はないの?」
「……今はそれより金を揃えるほうが死活問題なんだべ」
「貯金、崩そう?」
「それはイヤだべ」
 葉隠くんは即答した。ここに来ても強情だった。
「じゃあ、協力はできない」
 私も即答した。……意固地になった。


 私の即断に、葉隠くんは説得を続けることなく諦めたようで、眉を下げて私を見つめた。
「……灯滝っちとは打ち解けられたと思ったのに。悲しいべ」
「私も、ちょっとショックだ……」
 私だって、葉隠くんと少しは親しくなった気がしていた。だけどそれは、私にくっついている利が欲しかっただけなのか……。そう思うと、築いてきたものがガラガラと崩れるような心地だった。

「私は……葉隠くんの占いとか推理とか全然アテにしてなかったけど、葉隠くんのこと嫌いじゃないって思ってた」
「俺は……飯が美味くて親切な灯滝っちが好きだべ。でも……俺の一世一代の頼みを断る灯滝っちは…………」
 それきり、葉隠くんは口をつぐんだ。

「…………帰るね」
 喋ることをやめた葉隠くんに背を向けて、私は部屋を出た。
 葉隠くんは、何も言わないままだった。



 自室に戻ってドアを閉じると、ずるずるとへたり込んだ。
 私はまた、葉隠くんに裏切られたような気持ちでいた。以前は誤解だったが今は違う。目の前で、本人の口から話されたことだ。
 葉隠くんは……掴めない人だけど、誠実に関われば同じように返してくれるような人だと思っていた。
 でも、彼は彼なりの考え方で生きていて、それにそぐわない相手とは打ち解けられないのだ。
 私は……葉隠くんに都合のいい期待をしていたんだと思う。
 自分の見方と違っただけだ。それを勝手に“裏切られた”なんて捉えては、相手は迷惑だ。
 それでも……信じていたものが崩れた虚しさは、心身を穿った。


 体調不良がぶり返してきた私は、いよいよ部屋で休む用意を整えることにした。
 食堂に置き手紙をし、保健室に行って鎮痛薬を持ち出した。
 頭痛、よりも下腹部痛が酷かった。薄々、感付きながらもトイレに入って……それを確かめた。
 ……3日前の葉隠くんの占いは、当たった。
「……こんなこと当てて、どうすんの……」
 誰に言うでもない独り言が、狭い空間に響いて消えた。
 私が見ることになった“自分の血”は、経血だった。異常な学園生活の中では周期も大いに狂っていたので、最近はもはや忘れていたくらいだった。
 報告も躊躇うような占い結果の内容に、溜め息しか出なかった。

 処置を終えて鎮痛薬を飲んだ私は、部屋のベッドに潜り込んだ。
 治まらない鈍痛に、先に仕事も用事も済ませておいてよかったと思う。
 時計を見ると、まだ夕方前だった。しばらく横になり、痛みが落ち着いた頃にシャワーに当たっておこうと考えて、明かりを消し目を閉じた。
 体のだるさも手伝って、今日はもう部屋の外に出たくなかった。
 誰とも話す気にも、会う気にもなれない。朝の出来事が、昼の葉隠くんの言葉が、私をベッドの奥底にまでも沈めるようだった。

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