異常な学園生活で神経をすり減らしていたのだと思う。わたしは気付けば数時間もカジノのスロット台に座っていた。
 ALL BETでレバーを引きリールを見てタイミングを読んで目押し。ひたすらその繰り返し。わたしはこの作業サイクルに没頭して、スロットをやってるのかスロットにやらされているのか、どっちが操ってるんだか分からないくらいになっていた。
 ……まったく最高の現実逃避だった。世の中にこの手のお店がたくさんあるという事はすなわち、オトナの方々もそういう時間を求めているんじゃなかろうか。……それが才囚学園に来て初めて分かるなんて。

 そんな感じでほぼスロットの一部になっていたわたしは、ふと切り上げ時を悟って台から離れた。……空腹に気付いたのだ。
 そういえば、わたしは人間だった。碧囲(あおい)果月(かづき)という“超高校級の潜水士”だった。
 とんでもない事になっていて、わけの分からない事ばかりでも、この欲求には従って生きなくてはならない。でないと外にも出られないし、水深い場所へ潜りに行くことも叶わない。


 夜ご飯の前に交換所に寄ったわたしは、稼いだコインを幾つかのアイテムに変えたのだけれど……そこでわたしは選び間違えた。
 受取口に“愛の鍵”が出てきた時、頭の中にハテナがぽこぽこ浮かんでしまった。
 愛の鍵。それはカジノコイン1万枚と交換できる景品。特に欲しいとも思わなかったアイテム。
 ……目を酷使したツケが出たのだった。なんて馬鹿馬鹿しいミス。
 まあ……長時間居座って儲けたので、コインを1万減らしたところで懐は痛まない。
 しかしこの鍵でカジノ近くのあの建物に入れるといっても、相手がいない。こんな状況でいるわけない。だからといって、なかなか入れない領域!ワクワク! なんて一人で事前学習に行く気分にもならない。つまり無駄になる。

 ……あ! いっそ、他の人にあげてしまえばいいかも!
 と思い付いて、夜時間前に少しうろついてみたものの、こういう時に限って誰にも会わなかった。敷地が広いとはいえ10人以上いるのにミステリー。でも特定の誰かの部屋を訪ねるのは……物が物だし、やめておいた。
 まあ明日以降でもいいかなー“持っているといい事があるかもしれない”って説明があったし実用以外にお守り的な意味合いもあるのかもー、なんて気楽に構えて、わたしは部屋に戻って眠っていた、はず。が。
――「眠ってしまうとは情けない!」
 寝室に神出鬼没な白黒のシルエット。モノクマが現れて、寝ぼけ眼のわたしに愛の鍵の説明を始めたのだ。
 そこで初めて……愛の鍵の実に業の深い使用効果を知る。

 ラブアパートに招かれた人は、愛の鍵の所持者――わたしを“理想の相手”と思い込んで妄想をしてくる、らしい。
 でもこれはラブアパートを出れば忘れてしまう“夢”で、もし途中でやめてしまうと相手は目覚めて苦しい思いをする。
 そこまで説明されて、モノクマのあやしい誘いを受けて……なんとわたしは鍵を使うと決めてしまった。
 ……つまりそういうドキドキするような夜を期待してしまったのだ。みんなの知らない一面を見てみたいと思ってしまったのだ。たとえ今夜の出来事を互いに忘れてしまうとしても。……いや、だからこそ。
 夢から現実の関係に影響したら、それはもう地続きの現実(リアル)だ。寝て見る夢は夢のままでいい。



 ラブアパートの廊下を一人で歩く。その間にじわじわと、いかにもな外観をした建物の中にいるのだと自覚させられる。
 異常な状況下の気疲れにスロットの目疲れが重なってあんな決断をしたんだ、わたしはちょっとおかしくなってたんだきっと、なんて誰に弁明するんだって感じの言い訳を心の中で唱えてしまう。
 でも……後悔はしない。していない。そんな身勝手は招かれた相手に失礼だ。それに相手は鍵を使ったわたしに巻き込まれているわけだから――。
 と、部屋を前にしたところで、脳内での馬鹿な物思いを終わらせた。
 さて……誰が来ているんだろう。
 わたしは一つ息を吐いて、その中へと踏み出す。そこに待っていたのは――

 百田解斗、だった。
「…………」
「…………」
 誰が来てほしい、と考えて愛の鍵を使ったわけではなかったけれど、解斗さんがいて何となく安心した。普段から話していて裏表も無さそうだから、この状況でもあまり変わらず妙な事にはならなそうだと思ったのだ。
 わたしは、まるくて大きなベッドの横で突っ立っている彼に寄っていく。
 室内は思ったより広くて、ベッドの左右にはお風呂(のような設備)や謎の道具(という事にしておく)が置かれていた。……しかもモニターまで。こんな場所でも緊急事態が起きれば、夢のひとときどころではないってか――?
 ……滅入りかけたので、これ以上に周りを気に掛けないようにする。とにかく、解斗さんがいる。うんうん。


 解斗さんはわたしを見ていた。……真顔だ。何も言わずに、ずっとそんな表情でいるなんて珍しい。
 大きな紫の瞳はわたしを捉え続けて、だけどいつものように溢れるほど生き生きとはしていない気がして、視界に入る存在をゆっくりと認識しているようだった。きっと“理想の相手”を見ようとしているのだ。
 しかし近付いていっても解斗さんが無言なので、そろそろ会話でもしないと気まずい。足を止めて、わたしが口を開こうとした時。
 突如、解斗さんは、ぱあっと破顔一笑。
 彼の急変にわたしは戸惑う間もなく、歩み寄られて腕が伸びてきてゼロ距離になって、がばっ。
 ……ハグ、されていた。

果月姉っ!」
「!?」
 そして開口一番からおかしい!
 ね、“ねえ”って言ったよこの人!? それは確実に呼びかけじゃないタイプの“ねえ”だ!!
 わたしが目を白黒させて何も言えないでいると、解斗さんは抱擁をといて両手をわたしの肩に置いた。そしてキョトンとした目でわたしを見る。
「なんだよ姉ちゃん、ビックリした顔して。オレはおどかしてねーぞ?」
 あー! 確定だ! 解斗さんはわたしを“お姉ちゃん”扱いしている! ……という事は、解斗さんの理想の相手って……お姉ちゃん!? えっ、意外な方向性!!
 これは、どうしたら……ていうか解斗さんってきょうだい居るのかな!? リアルに血縁のお姉さんとわたしを見間違ってる?? ってだめだ動揺してる……!


「……あー、ごめんボス――じゃなくて“解斗さん”!」
「あぁ? なんで“さん”付けしてんだ? よそよそしい言い方すんなよ」
 解斗さんは唇を尖らせた。彼の思う普段のわたしじゃないから、ちょっと機嫌を損ねているらしかった。わたしはちょっと順応する時間が欲しかった。あと“ボス”って小声で言って聞こえてなくてよかった。
 この解斗さんはボスではないのだ。でも……まだ姉弟(という設定)じゃない可能性もある。年の差のある幼馴染とか、近所付き合いとか……そっちかも。
 そう、まずは状況把握だ。解斗さんから情報を引き出すのだ。
「あ、あは、おどかされたお返しって事で……怒んないで?」
「ったく、どうしちまったんだ……オレと果月姉は、血は繋がってなくてもきょうだいだろ? そういう呼び方はやめようって、最初に決めたじゃねーか」
 うわー義姉弟だったー!! もういいんだかよくないんだか分からない!

 分からないけど……わたしはとりあえず話を合わせるしかなかった。
「そ、そうだったねー……」
「年の差だってあってないようなモンだし、オレも敬語なんか使わねーぜ。ここんとこオレらは夢に忙しくて家空けがちだけどよ、一つ屋根の下に住む家族なんだからな!」
 またぱっといい笑顔を見せる解斗さんを前にわたしは、この関係がこの部屋では真実なんだと、納得せざるを得ない。
 しかしどんな理想なんだって気持ちはまだ残る。わたしを姉扱いって……男の子と女の子の精神年齢の差は2歳ってどこかで聞いた事があるけど、この歳でも……?
 ……それに、ここラブアパートだよね? と聞きたくなるくらい、平和に終わりそうな雰囲気だ……。



「せっかく久しぶりに会ったんだ、座って話でもしようぜ!」
 そう解斗さんに促されて、わたし達は側のベッドに隣り合って腰掛けた。座り心地は悪くない。
「へへっ、果月姉と二人きりなんて、マジでいつ以来だ? ガキの頃はどこ行くにも一セットって感じで手ぇ繋がされてたのにな」
 なぁ? と覗き込まれて、慌ててうんうんと相槌を打つ。心まで覗き込まれて、わたしが知らないエピソードだってバレたら可哀想に思えるほど、解斗さんは心から今の状況を喜んでいるようだった。

 そのうえ、わたしより大きな身体してるのに、懐こく笑って手を繋いでくるから、なんだか本当に……可愛い弟みたいだ。嬉しそうな姿を見ていると、わたしも嬉しくなってくる。あ、意外と馴染んでいる……。
 いつもは兄貴的で……その実やんちゃ男子な彼の心の奥底には、身近な目上の存在に可愛がられる事に憧れもあったのかもしれない。
 まあ、わたしが解斗さんの姉役になるだなんて、まさかまさかの事態だけど……こうなったら、できるだけ演ってみよう。


 解斗さんの手はわたしより大きいので、片手がほとんど隠れていた。高校生くらいでも手を繋ぐきょうだいって、随分仲良しだと思う。
「懐かしいな……昔は一つの部屋で、オレら二段ベッドで寝てただろ? きょうだいになって一緒に住むようになって、オレが上のベッドがいいっつったら、果月姉は譲ってくれたよな。……あの時オレが“一ミリでも宇宙に近いところで眠りたい”って言ったの、覚えてるか?」
「……うん、覚えてる」
 そんな記憶も当然ないんだけど、解斗さんが語ってくれるのでここは聞く側に徹する。
 でも……もし解斗さんが本当に弟でそんな事を言ってきたら、わたしもきっと譲っているだろう。
 “わたしも一ミリでも水の底に近いところで眠りたいから、ちょうどいいね”って、解斗さんの夢の中の幼いわたしは言っていたはずだ。姉が上で弟が下じゃなくちゃいけない決まりなんてないし、そんな事を気にする性分じゃない。

「最初は本当にそれだけだったんだよな。上の段のベッドの上で、頭をぶつけそうになるこの天井のさらに上の上に、広くてでかい宇宙があるから、オレは上ばっか見てた」
 解斗さんのそういう姿が、ありありと想像できた。宇宙に近付きたくて、高いところに行きたくて仕方がなくて、上を眺めてばかりの解斗少年。現実の小さい頃もそうだったに違いない。
 当時を思い出すように(ひたすら矛盾を抱えた表現だけど以降はもう突っ込まない)、彼は天井の方を見ていた。わたしもつられて見上げてしまう。解斗さんがものすごく素敵な思い出を語ってくれているというのに、ここがラブアパートなものだから、見えたのはベッドを囲むメリーゴーラウンド上部の豪華な飾りと電球装飾だった。なんてギャップ。


 解斗さんはお空の星々より主張の激しい電飾も気にしていないようで、同じように上を見たわたしにちらりと目を遣って、ふっと笑った。
「宇宙に思いを馳せながら、オレはすぐ近くでちょっとだけオレの上にいる“姉ちゃん”の事も見てた。そりゃ自然だろ? でもそのうちに……いつからだったか、果月姉と宇宙が似ているような気がしてきた。何故かはわからなかったけど、ある日に気付いたんだ。」
 わかるか? と言うように解斗さんは語りを止めてわたしを見る。
「宇宙とわたし? 上ってキーワード以外だよね? なーんだろ……」
 わたしは100パーセント想像で解斗さんの世界の正解を考えなければならない。……なのですぐに降参だった。

「んー……教えて?」
「おいおい、少しは粘れよ。じゃあ言ってやるぜ? それはな――」
 呼吸を置いた解斗さんの口から、真剣な言葉が噛み締めるように紡がれていく。
「どちらも……その頃のオレでは届かねーけど、どうしようもなく好きな存在で……だけどいつかは必ずそこに辿り着きたいと思ってたんだ」
 ……宇宙と同じくらいに義理の姉を慕ってたとは。この解斗さん、かなりのお姉ちゃん子だ。
「…………」
 わたしが大きな存在なのだと思い知っては、付け焼き刃の薄っぺらい返しなんてできず、ただ戸惑い気味に彼を見た。
 解斗さんは少し目を細めて、繋いでいた手を握り直す。……このシスコンボーイめ。


「それからの夜は……二段ベッドの上の上より、すぐ下が気になって仕方なかったぜ……。布団と木の板さえなければ、オレは重力と引力で果月姉のところに落ちていけたんだ。だけど、二段ベッドは壊せない。オレはまだガキだったし……無力だった」
「……う、うん?」
 あ、あれ……? 解斗少年に芽生えた感情は姉弟愛、だけじゃなかった……?
 穏やかな凪だと思っていたら急に風が出てきたような……ちょっと頭の中で警鐘が――?

「二段ベッドが解体されて、オレらが別々の部屋で暮らすようになって、それぞれの夢のために会う事が減っても気持ちは変わらなかったし――むしろ強くなった。でかい夢を叶えられるくらいの男になれば、不可能だった事も可能に変えられるんじゃねーかって……そう思ったからな」
「……そ、それって――」
 わたしは繋がれた解斗さんの手の感触を意識し始めた。
 今更に勘付いても、茶化してどうにかなる空気はもう残っていない。
 いよいよ時化てきた。頭で警鐘どころか、身体がざわざわしてきた。

 分かってしまった。要するに彼は……周囲を圧倒する実力を付けることで、変えようのないこの関係を――家族とか義理でも姉弟であるとかを、超越してくる気なのだ……!
 そして――わたしは思い出した。解斗さんがこの年齢ではあり得ないはずの宇宙飛行士候補生なのは、書類を偽造して審査を突破した事が選考委員の目に付いたからだという事を。
 ああ。彼はそもそも、目標の為なら無理を通して道理を蹴っ飛ばす人だった。
 わたしを理想の相手だと思って語り掛けるこの人の本質はブレていなかった。紛れもなく百田解斗だった。


 わたしは手に変な汗をかき始めていた。気付かれたくなくて手を離したかったのに、動かない。
 これ以上解斗さんを喋らせたらいけない。そう思うのに、待って、の一言が喉元で貼り付いたように出てこない。
「……悪ぃな、突然こんな事言っちまって。でも……本気だぜ。」
 真っ直ぐに見つめる瞳からも目が離せない。ガチもガチだと、びりびり伝わってくる。
「オレは姉ちゃんの弟だけど、“超高校級の宇宙飛行士”でもあって……好きな女を口説ける男になったつもりだ」
 百田解斗は意思が強く、実行力のある男だ。
 そしてわたしは、気のいい仲間だった彼を義弟として見たことで……心に隙を作ったところだった。

果月……ずっと好きだったんだぜ?」
 瞳で磔にされ、言葉に撃ち抜かれる。
 いとも簡単に抱き寄せられれば、その胸板に顔がくっ付いてしまう。
 微かに男っぽい匂いのするシャツ越しに、頬からぬくもりを、耳から鼓動を感じて、わたしの身体はそれにシンクロするように熱を上げ心音がどんどん加速していく。
 最初のハグとは全然違って、そっと優しく包み込まれていた。
 拒もうと思えばできる、緩い拘束。わたしの気持ちを確かめるために、解斗さんはそうしているのだろう。

「……こんなんじゃ足りねーんだ。オレが果月をどんだけ好きか、もっと知ってくれよ……」
 見えない上から降ってくる抑え気味の声は、普段の彼とかけ離れている。
 ギリギリで耐えている、まだ知らないその表情を、想像してしまう。解斗さんを……知りたくなってしまう。
 ……夢を見ている男の仮初めの本気だとしても、今のわたしにとってはそれが現実で真実だ。
 彼の夢の中にいるわたしは、うっかり気を許したところでその想いの強さをまともに食らって……まったく、してやられたと思う。
 相手の心の中にしっかり踏み込んで、自分の意志を通す。彼は直感か計算か、そういう行動による効果を分かってやってる気がした。……気付いたところで遅かった。
 そう、わたしも自分でどうしようもなかった。そんな馬鹿なと思うけど――こんなわずかな時間で、心を奪われる事があるのだ。馬鹿だと思うけど、わたしは自覚してしまった。


 彼の言葉を受けて、長く逡巡はしなかった。ただ、すぐに返事ができなかった。……意を決して、口を開かなければならなかったから。
「……解斗」
 この人の名前を呼び捨てで言う時が来るなんて、思いもしなかった。
 “義姉のわたし”は彼をそう呼んできたらしいけど、わたしは初めてで、実はけっこう勇気を出していて……この瞬間の顔だけは見られたくなかった。
 顔を必死に戻した間一髪のところで、わたしの背中から腕を離して見つめる、解斗。わたしを窺うその表情から隠せない緊張が見て取れた。でもさっきの声と合致するような切羽詰まったものではなくて――ちょっと残念、だけどおあいこみたいな気分になる。
 それでついクッと笑ってしまったら、解斗は面食らったようだった。

「いいよ。……教えて、解斗」
 ……余裕な“姉ちゃん”に見えたかな? いやいやこっちもギリギリだ。なんたって大時化の中に呑まれにいく馬鹿なんだ。
 だけど、この夢を中断して解斗を苦しませるわけにはいかないから、彼の望みに合わせるんじゃない。
 わたしが望んで、解斗の夢の深くまでを求めている。
 都合のいい一夜の恋であると分かっていたのに……今になってわたしはこの記憶が失われたくないと強く思い始めていた。
 忘れたくない。解斗が覚えていなくてもいい。わたしは解斗がわたしに向けた想いの一つ一つを、夢から現実まで持ち帰りたい。……たとえ一片でも頭の端に残ってくれれば、わたしのこれからは大きく変わる。きっと、いや絶対。

 距離を縮めて、身を乗り出して、彼の肩から首に腕をまわす。……ハグは解斗だけの特権じゃないんだよ。
 整った顎髭や形のいい唇をかすめていく、わたしの吐息。目指すは耳元だ。語られっぱなしだったから、こっちは少ない言葉でやり返してあげようと思う。
果月……それって」
「わたしも、知りたい。」
 ……こんなふうに囁くわたしも、きみの“理想”である事を祈って、もう一言。
「――きみの本気の“好き”を、ぜんぶ教えて。」
 こんなにも一途で強い解斗の姿を、朝になっても覚えていられるように――。
 脈打つように震えた身体が、わたしを掻き抱いていく。――どうぞ、そのまま。







 自室のベッドで目が覚めた。……ああ、朝だ。
 何となく、手にあの人の感触が残っている気がして……でも、思い出せない。
 愛の鍵は手元から消えていた。確かにラブアパートに行ったのだ。そしてわたしは誰かと一緒に過ごした。だけど……誰と? どんな? それがすっぽりと抜け落ちている。
 わたしはあの後どうしたんだろう。そこで何を思ったんだろう。知りたくても分からない。愛の鍵はそういう仕様のアイテムだ。たとえ新たに鍵を使ったとしても、同じ夜が訪れても、何があったかを覚えていられない。

 本当に何も記憶が残らない事を実感して、わたしはふと疑問が湧いてくる。
 愛の鍵って一体……誰得なんだ?
 使用者のストレス発散目的なら、相手が不明となるのはプライバシーや今後の関係に影響するのを防ぐ為と納得できそうだけど、……冷静に考えると自分でも何をしていたのか分からないのだ。怖い。
 だってラブアパートだ。記憶が失われても、もし誰かと関係しちゃってたら、その関係は身体に残って……いる感じはしないものの、それは本当に何もなかったせいなのか何かあっても元通りになるような非現実的システムがあるのかも知りようがない。これもまたおそろしい。女子なら尚更に。
 そんなアイテムにコイン1万枚。……罠か何か?


 首謀者の意図が読めず、頭を捻りつつも、わたしはベッドから身を起こす。
 身支度を始めたら、そのうちモノクマーズの茶番がモニターから流れ出す。
 新しい朝。いかれた日常に繰り出す。奪われた記憶は一つ増えた。延々繰り返すのも馬鹿らしいから、鍵はもう使わない事にする。
「――オハヨー。解斗……さん。……き、昨日カジノでスロットしすぎてまだ眠いや」
 口から出た名前呼びに自分でびっくりした。怪訝そうな顔をする解斗さん。困って笑って誤魔化すわたし。
 ……さっき何で“ボス”って呼ばなかったんだろう。

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初出:ぷらいべったー(170906)
加筆修正:171002

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