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 朝、出立の前に軽く剣の稽古をつけて汗を流しておく習慣は、ライアンが仲間に加わってから始まった。バトランド式の剣術は剛柔に調和しており、ライアンより剣を学ぶことは独学で生きてきたソロにとって基礎を鍛えなおす良薬となり、また形式に傾いていた騎士の剣しか知らぬクリフトにとってはより実戦的な兵法を学ぶ場となった。
「剣の腕が衰えたということはないようですな」
「調子は良いんだ。身体が軽いし」
 余程ショックを受けていたライアンも、ソロの変わらぬ太刀筋に漸く安堵の色を見せる。その細い腕のどこに力があるというのか、彼は愛用の大剣を軽々と振り下ろし、鍔競り合いでは男のクリフトを制するほど。
「しかも良い動きをする」
 加えてライアンが感歎を覚えたのは、女性らしい身体の柔軟さから繰り出されるしなやかな剣筋。関節の可動域が広くなったのか、ソロの剣にはこれまでにない角度からの確かな閃きがある。その軽快かつ鋭敏な動きは剣を受ける師さえ呻らせるほどで、女性になったからといってソロの素質が損なわれることはなかった。
「女になってもクリフトより強い!」
 得意げな笑みを浮かべたソロは鼻を鳴らしてクリフトを見下ろす。既に息の上がるほど剣を合わせて地に倒れこんだクリフトの方は、両手を括れた細腰に当てて微笑を注ぐ彼女に恨めしそうな視線を返し、大きな溜息をふうっと吐いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そんな二人は戦闘に於いて驚くべき阿吽の呼吸を見せた。
「クリフト!」
 ソロが彼の名を呼んだと同時に、頭に思い描いていた通りの戦術が展開する。己が翻した身体の隙間を縫うように放たれた魔法は絶妙のタイミングで標的へと繰り出され、宙を舞っていたソロの細い足首が重力を捉えた瞬間、対峙していた魔物の膝が折れる。
「ソロさん!」
「おうよ」
 そしてソロも催促の言葉を待たず天空へと手を掲げれば、忽ち辺りには雷鳴を轟かせる紫雲が立ち籠め、猛々しく雄叫びを挙げる敵へと目掛けて眩い稲妻が一閃する。神の如き雷光は生き物の肉を裂き、ソロが静かに剣を納めれば、その背後には大地を揺るがすほど今際の咆哮を終えた魔物が塵に消えた。
「なぁ、俺達って以心伝心?」
 先の瞬間までは鋭い眼光を放っていたソロが、振り返った途端に表情を変えてクリフトに話しかける。闇に染まった魔物でさえ身震いするほど殺気を帯びていた少女が、一変して屈託のない笑顔を見せる様は小気味よく、またそれにうそ寒いものすら感じたクリフトは、美しい彼女の笑みに僅かの失笑を零して剣を収めた。
「そのようですね」
「お、素直じゃん」
「事実今の呼吸は私も驚きを隠せぬほど合っていました」
 やや冗談めいて言ったつもりの科白が然して抵抗もなく受け容れられるのは珍しいが、互いに一切の否定を含むことの出来ないほど息の合ったコンビネーションであったと実感として味わっている以上、両者の交える笑みもまた良く似ている。
「ウエイトが軽いから飛べるのなんの」
 ソロは女性としての身体を思いのほか使いこなしており、その動きは翼を得たように軽やかで、また時に蜜蜂の如く鋭い。初動においては女性の身体の方が素早いようで、力強さをそのままに速さを得た今は自身でも驚くほど勝手が良かった。
「魔力も上がったような気がするんだけど」
「成程。女性の方が良いではありませんか」
 自らの身体を確かめながら戦闘を終えるソロの隣で、クリフトはやや皮肉を込めて言う。
「このまま戻らなくて差し支えないのでは?」
 女性のままの身体であれば、これまでのように行く先々で卑猥な本を買い求めたり、美しい女性のヒラヒラとした手招きに誘われて歓楽街に消えることもないだろう。男として奔放な面のあった彼に煩わされていたクリフトとしては、彼が女性で居ることで解消される問題もあった。
「いや困るな」
 これに対するソロの応酬も相応で、不敵な微笑を浮かべたクリフトの麗願の側にそっと近付いて答える。
「失ったものが大きすぎる。股間が寂しくて落ち着かない」
 常にそこにあった安心感がないと、ソロが悪戯に下腹部を擦って見せる。あまりに納得のいく言葉を聞いたクリフトは下世話だとは思いつつ、これには声を漏らして笑った。
「同情します」
 
 
 

 
 
 
「なーんか良い具合にシンクロしちゃって」
 同じく戦闘に参加していたマーニャは、近い距離で笑い合う二人を遠巻きに眺めて言う。同世代で同性のソロとクリフトが特有の空気を纏ってじゃれ合う光景は幾度となく目にしてきたが、片方が女性となっている今は見る目も変わる。
「中身がソロだとクリフトも警戒しないのね」
 女性には何処か物理的にも心理的にも距離を置く傾向のあるクリフト。マーニャに対してはより強く現れるそれが、美しいソロには警戒心の欠片もない。
「お姫様は妬いちゃうでしょ?」
 マーニャはやや呆れたようにそう言って、肩にかかった長い髪を軽く払いながらアリーナの方へと振り向く。見れば彼女と共に編成に加わっていたアリーナは、笑顔を交し合う二人を眺めながら暫く言葉を失っていたようだった。
「アリーナ?」
「うん……
 特段の表情を見せず立つ姿は珍しく、彼女の様子を不思議に思ったマーニャはそのしなやかな身体ごと傾げてアリーナを覗き見る。
「どしたの」
「うん」
 聞かれて彼女の小さな拳がキュッと固められたのは、その華奢さからは想像もつかぬ強靭な一撃が空振りに終わったからか。いつも魔物の襲撃を嗅ぎ取るや否や間髪を入れず足を踏み込んでいた彼女は、今回の戦闘では出遅れたのだろう、ソロの素早い攻撃を見た彼女の身体は終ぞ動かなかったのである。
「なんていうか」
 そして初動と先制攻撃を彼女に譲った後に見た光景は、クリフトとの噛み合った戦陣。お互いの呼吸を読みきった攻撃が的確だったことにも驚いたが、ソロが最後に発動した天雷の魔法は、魔力を持たぬアリーナとは決定的に違う止(とど)めの刺し方で、それが何より衝撃的だった。
「ソロにポジション取られちゃったような気がする」
 自分がソロより秀でているのは、軽い身体だからこそ可能なスピードと身交わし。それが彼が「彼女」になったことで、得意とする先制に於いて先を越され、また己には持たぬ魔力で差をつけられる。もとより女性となった今のソロに、アリーナに代わろうとする気持ちがある筈もなかろうが、クリフトのアシストを受けて完璧な剣戟を見せ付けられたアリーナには、何か重いものが心に圧し掛かってくる。
「ポジション?」
 これを聞いたマーニャは鸚鵡返しに再び首を傾げた。
「それって戦闘だけの話?」
「えっ」
 その時はじめてアリーナの瞳が大きく見開いてマーニャを見る。漸く視線を合わせたマーニャの瞳は次第に含みのある流し目になり、最後には口元に艶っぽい笑みを作っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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