2.同居人の秘密
「はい、前田さん、ゲンコーです」
「御苦労様。ごめんなさいね、無理なこと頼んじゃって。この時期、時間に余裕があるのって神崎さんだけだったのよ。正体隠してじゃ、他の出版社で書けないものね。どう、この辺りでばらしちゃったら」
「お断りです!」
 弘樹が智史の処に引っ越してきて、3日目(実質2日だが)の夕方、智史は所属している出版社に原稿を届けに行っていた。
 彼と話しているのは、担当の女性編集者さん。
「ふふっ、そう興奮しないで、冗談よ。だけどびっくりしたわよ、あの時は。大賞受賞者が男の子だったんですもの」
「俺だって、まさか大賞取っちゃうとは思っちゃいませんでしたよ。ただ、先輩と賭けてましてね。入賞したら女装して街角に立ってやるとまで言うもんですから、こっちもちょっと意地になってみたんですよ。実際、その姿見てみたかったし。ここだけの話ですけど、受賞作はサ店で目撃した痴話喧嘩が基になってるんですよ」
 智史はウインクしながら、彼女に向かって言った。
 冗談のようだが、これは全部本当の話。
「あなたらしいわね。で、その先輩は街角に立ってくれたの?」
「そこから先が面白いんですってば。実は……」
 智史が話しかけた時、目の前の女性編集者に電話が入った。
「ごめん。その話、今度聞かせて。あたしこれから、この原稿コピー、イラストレーターの綾瀬さんに持っていかなきゃならないのよ。なんと〆切は明後日。極道でしょう。神崎さんが〆切きちんと守ってくれて助かったわ。そういえば、綾瀬さんも高校生なのよ、最近こっちに引っ越して来たから、今度紹介するわ。仲良くなっとくといいんじゃない。慌ただしくて申し訳ないけど、今日はこれで。次回の依頼については電話入れます。じゃ」
 一息に言って、彼女は電話へと走って行く。
 智史は、仕方なく編集部を後にした。
「あ〜、眠い」
 一昨日のうちに原稿のめどは付けておいたものの、昨日は弘樹の荷物整理を手伝っていて夜中近くまでそれに手を付けられず、完徹。そのまま学校へ行ったので、授業中にしか寝ていない。ちなみに弘樹はめでたく(?)智史と同じクラスに入ってきた。運命の神様はどうやら智史の悩みを増やすのがお好みらしい。
 ってな訳で、早く帰って寝たいし、臨時収入も有ることだから、と、智史は寮までタクシーで帰ることにし、近づいてきたオレンジ色の車に手を上げた。

☆   ☆   ☆

「へっ? 机の置き場がないだぁ。……お前、あの、俺の机の隣に並んでいるのは食卓だとでも言いたいのか?」
「あれは、勉強机だ」
「ほぉー、弘樹、お前、あの他に洋裁用の机でも入れたいって言うのか」
 そういう智史だって、パソコン一式の積載された机を筆頭に、原案落書き用のミニデスク、業務用ファクシミリと電話が載った机、大きな本棚、だめ押しの様にコピー機まで入れて、一番広い洋間を占領しているのに、そのことは棚上げ方程式で弘樹に向かって軽口を叩く。
「製図用の机を入れたいんだ」
「製図用? 何するんだそんなもん」
 智史が本のページを捲りながら聞き返す。
 今日持っていった原稿は臨時のものだが、別に書き下ろしの仕事もきちんと入っていて、今読んでいる本は、その参考用。ちなみに中身は天文関係。
「仕事だ」
「……お前ねぇ、聞かれたことにだけに答えてたらいつまで経っても話が進まないってことに気付いたら。きちんと説明しろよ、事情によっては考えないでもないから」
「そうだな……」
 弘樹が腕を組みながら考えている様子を見せる。
 彼が何を悩んでいるかは知らないが、智史にしたってこれは重大問題だ。
 リビングを除いた三部屋は、勉強部屋、寝室、仕事部屋と振り分けられており、そのうち勉強部屋と寝室にはそんな机を置くほどスペースは無いし、リビングに置くなんてまぬけなことはしたくない。
 と、いうことは、もし、弘樹がこれからする説明が納得せざるを得ないものだったなら、適当な理由を付けて立ち入り禁止にしていた、机三つの付属品その他や、自分の書いたものに加え、参考用にと前田さんが毎月十冊近く送ってくれる、ティーン向け小説や少女漫画の単行本がぎっしり詰まったスチール製の本棚がおいてある、あの、仕事部屋に弘樹を通さなくてはならないのである。
 これ以上あの部屋に机が増えるなんてちょっと考えたくない状況だ。
「同室のお前に隠していても始まらないから言ってしまうが、クラスの奴らには他言無用だぞ」
 チクッ。
 智史の良心が思わぬところで攻撃を受け、額に冷や汗がにじむ。
「いや、別に俺は隠そうと思って隠してるわけじゃなくて、えーと、でも、ほら、やっぱり男としての体裁が……」
「何を訳の解らないことを言っているんだ。で、話を元に戻すが、『神崎智美』という作家を知っているか?」
 バサッ。
 気付いた時には智史は持っていた本を取り落としてしまっていた。
「……いや、まあ、聞いたことはあるよう様が気がしないでもないけど。その小説家と机、何の関係があるって言うんだよ」
 同室の奴に隠し事云々のくだりで同様していた処に加えて、自分のペンネームまでが弘樹の口に上って、智史の心臓は未だかつて経験したことがない程の過酷な労働を強いられていた。大好きな先輩の処に告白に行っている女子高生の、早鐘のように高鳴る心臓だってこんなに必死ではないだろう。
 ── まさか、ばれてる……筈はないよな。じゃ、何だ。
 落とした本を拾いつつ、智史は相手の台詞を待ってみる。
「彼女の小説のカットを描いているのが、わたしなんだ。私が仕事を貰っている講英社というのは、小説大賞とイラスト大賞が連動していて、同じ募集で大賞を取ったもの同士がコンビを組んで仕事をするのが通例になっているんだ。小説の大賞が決まった時点で、その小説にカットを入れるという条件で、イラスト大賞の募集が告知される。それを受賞したのがわたしという訳だ。編集さんにチラッと聞いたところによると、私の相方も高校生らしいから、若い感性が合ったのかもな」
「って、じゃあ、お前、『綾瀬えりか』かっ。あの、繊細な線画と着色でカラーイラスト描いてる……。まずっ、……そ、そうか、そりゃあ大変そうなお仕事だな。OK、俺の勉強机あっちに入れるよ。勉強机の横にそれ入れな」
 ばか……。とかとしか評価のしようの無い、智史のフォロー。
 そんな智史の動揺ぶりを見て、弘樹はニヤリと笑った。
「智史、お前、何でわたしのペンネームを知っていたんだ? しかも、絵柄まで知っている様子だな」
「……気のせいだろ。俺は少女小説には興味ないんでね」
「語るに落ちたな。わたしは神崎智美が少女小説家だとは一言も言っていない」
「なっ……、否、そんなイラストとセットで大賞募集する雑誌なんて少女小説に決まってるだろう」
「もう、あきらめろ。よろしく、神崎さん。勉強部屋は勉強部屋、仕事場は仕事場としたほうが能率が良さそうだぞ。お互いに仕事の時期はズレているだろうしな」
 弘樹が差し出した手に応じながら、智史は思っていた。
 ── 出来すぎてる、あまりにも。
「いつから知っていたんだ?」
 ため息をつきながら、智史が弘樹に向かって尋ねる。
「悪かったな、カマかけだ」
「信じらんねー奴」
「と、言っても、ある程度の自信があってやったことだ。これでも記憶力はいいほうなんでね。あれは遊時君が言った台詞だろ」
 やっぱり、この間の発言が尾をひいていたようだ。
「解っていても、諦められない恋がある、だろ。あれは失言だったな」
「お気の毒様」
「やられっぱなしじゃ悪いから、一つお返し。煙草、吸ってもいいぜ。風折さんへの当てつけで禁煙室にしてただけだから」
「何で解った?」
 弘樹の眉が左側だけ上がる。どうやら、これは当惑した時の彼の癖らしい。
「ソファの下に、一本落ちてたぜ、LARK」
「フンッ、なるほど、お互いにまぬけだったという訳か」
「そうらしいな。じゃ、話がまとまったところで一杯どうだ? いけるくちだろ」
 智史が人差し指を振りながら、弘樹を誘う。
「いいな。で、何がある」
「秘蔵のナポレオンを筆頭に、etc」
「そりゃ、呑みごたえがありそうだな」
 こんな風にして、健全な高校生に有るまじき会話が成立した後、彼らは肴を調達するべく近くのコンビニに向かったのである。
 いい加減に酔いの廻った弘樹が、忘れていた原稿のことを思い出すのは、呑み始めてから三時間ほど後の事になる。そして、そんな彼を誘ってしまった智史が、ベタやトーン貼り等のお手伝いをさせられたのは言うまでもない。自分の話のイラストを自分が手伝う日がやってくるなんて夢にも思ったことがない、職業作家の智史であった。
 人生、色々なアクシデントがあるものである。

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