5.彼のファーストキス
「全く、ばかなのは智史の方じゃないのか。頭にくる気持ちも解るが、言っていいことと悪いことがある。見るからに短絡思考で口の軽そうな内田に偽装カップルだってことがバレてでもみろ、それこそ風折さんに殺されてドラム缶にコンクリート詰めにされるぞ。しかも、あの状況でハッタリまでかまして。いつからあんな資格持ちになったんだ、おい」 「あぁあぁあぁあぁ、そうだよ、俺が悪かったよ。申し訳ありませんね、伊達君に迷惑かけて」 台詞だけでも容易に判断がつくことだが、智史はふてくされていた。 原因は言わずと知れた、先程のキスである。 中学校時代からそれなりにもてていた智史だが、横着な性格だった彼はゴタゴタに巻き込まれるのが面倒で、特定の彼女は作らなかった。ちなみに、高校に入ってからは、環境変化に順応するのと、成り行きで持つことになってしまった仕事が忙しく、遊んでいる暇がなかったので、今までフリー。 つまり、決して、出し惜しみをしていたわけではないのだが、先刻の弘樹のキスがファーストキスだったりした。女の様にファーストキスに特別こだわる気なんぞ毛頭ないが、それを男相手に経験するとは頭の片隅でも思っていなかった手前、ショックは大きかったのである。 そして、その弘樹の唇の感触に、心の底から嫌悪感を感じていなかった自分自身の気持ちにも、少なからず驚愕していた。 「何をふてくされている。まさか、初めてだったと言うんじゃなかろうな」 何かの気の迷いではないかと、智史が真剣に考えようとした時、弘樹がからかう様に言ってきた台詞が又、グサッと心臓に突き刺さる。 ── こっちがマジで悩んでるのにいい態度じゃないか、おい。こうなったら、一緒に悩んでもらおうじゃないか。 暫く無言で俯いた後、智史が声を絞り出すように話し始める。 「悪いかよ、初めてで。そうじゃなかったら、あんなにラップにこだわる必要ないだろ」 冗談だった筈の台詞に、智史が真面目な顔で反応したので弘樹は息を飲んだ。 「マジ……かよ」 口元に手を持っていき、弘樹が真面目な顔で悩み始める。 そんな彼を見ながら、智史は心の中でほくそ笑む。が、それも長くは持たない。自分が急に虚しくなる。 「煙草」 虚しかったり悲しかったりするときには何故か、煙草の煙が恋しくなる。 気付いたときには、その単語を口にしていた。 「はっ?」 一方、取りあえず、恋愛初心者には手を出さないことを主義にしていた弘樹君。それがたとえ男でもポリシーに反してしまったことには違いないと、真剣に考えていた処に、智史が思いがけい要求をしてきたので、つい、返事が間の抜けたものになってしまう。 「煙草。くれって言ってんの。明日にでも買って返すから」 「別に煙草の一本や二本返してくれなくたっていい。しかし、智史お前、煙草は吸えないんじゃなかったのか?」 「日本語は正しく使え、吸えないんじゃなくて、吸わないんだ。知らなかったのか」 「知らなかった……」 と、言いつつも、弘樹はスラックスのポケットから煙草を探り出し、智史に箱ごと渡してくれる。 「……ちょっと、買い物に出てくる」 暫くの間、智史が煙草を燻らす様子を眺めていた弘樹だが、急に思い立って、ジャケットをひっかけた。 「いってらっしゃい。ついでに、ベヴェル・メンソール買ってきてくれ。気を付けてな」 いつもと同じに振る舞うつもりなのだろうが、いつもとは明らかに違う智史の態度を見て、弘樹は改めて自分のとった行動のまずさを感じていた。 ☆ ☆ ☆ 「はあ、智史が煙草。そりゃやばいな」「と、いうと」 実のところ買い物というのは口実で、風折の部屋に直行するつもりだった弘樹だが、思いがけず智史に買い物を頼まれてしまったため、近くのコンビニによってから、彼の部屋のチャイムを鳴らした。 智史の名誉のために余計なところは省き、煙草を要求された部分だけを風折に伝え、返ってきた言葉が冒頭のものである。 「智史はどういう理由か、よっぽどのことがない限り、煙草は吸わない主義らしい。僕が智史の煙草を吸っている姿を見たのは去年の12月、あいつの母親が亡くなった時の1回だけだ」 風折の言葉に、弘樹の表情が困惑したものへと変化する。 「待ってください。この間の家族調査書、智史はきちんと両親の名前書いていましたよ」 「って、弘樹知らなかったのか? あの智史と珍しく気が合ってる奴だから、その辺のことも知ってると思ってたよ……」 「知ってると思ったて……、何をですか」 風折の表情から何となく状況を悟りながらも、弘樹は彼に問いかけてみた。 「今のは僕の失言だった。忘れてくれ。その内きっかけがあれば智史の方から話すと思う。安心しなさい。智史は君のこと、信頼してるよ。僕が事情を知っているのは、単に生徒会長って立場によるものだから」 弘樹の表情の一瞬の曇りをよんで、風折がフォローを入れる。ただし、言っていることは事実である。 「もし、その原因が……」 「原因が……?」 何かを言いかけて口ごもった弘樹を見て、風折は智史が煙草を要求した理由が解った様な気がした。 「その原因が、わたしだったとしてもですか」 弘樹が絞り出す様な声ではき出した台詞に、風折は軽く肩をすくめた。 「関係ないよ、そんなの。もし、本当に気になるんだったら、クラスの誰かをつかまえて聞いてごらん。今までに、智史と特別仲の良かった人間がいたのかって、ほぼ100%の割合で答えはNOだ」 「それは話のすり替えです。わたしは……」 「いいから黙って聞きな。君がそこまで智史にこだわる理由はなんだ? 来る者は拒まず、去る者は追わず主義の君が。和泉澤学園生徒会長の情報網をなめるんじゃないよ。前の学校に居た頃の君は、女の子に対してはともかく、男に対してそんなに親切じゃなかった筈だ」 「智史は、友人ですっ!」 「おや、話をすり替えているのは、どっちかな」 くすっと笑った風折の態度が弘樹にとっては忌々しい。 「言いたいことがあるなら、はっきり言ってください。それとも何ですか。風折さんは心配事を相談しにきた後輩をさらに困惑させる趣味でもあるんですか?」 「NO、これは忠告。よく考えてごらん、君の心の中をね。何か特別な思い入れでもなきゃ、一般人がたかだか3ヶ月ばかりの試験勉強で合格できるほど、うちの編入試験は甘くないよ。ここまで、ヒントをあげたんだ、後は自分で考えるんだね。それから、君は環境に流されてしまうような人間じゃない。自分の思ったことに自信を持つこと。変なことで悩むんじゃないよ。じゃなきゃ、僕がわざわざ君と智史を同室にした意味がなくなるじゃないか。智史には、信頼できる友人が必要だったんだよ。風折迅樹の忠告はこれでおしまい。ほら、さっさと帰って落ち込んでる智史にハッパでもかけてやんな」 と、風折が笑顔と共に弘樹を部屋から追い出した。 「忠告ねぇ」 軽くため息をつきながら呟いて、弘樹は廊下の壁によりかかった。 やってくれるじゃないですか風折さん、といった感じ。 でも、自分の気持ちなんて、とっくの昔に知っている。 生徒会長が指摘したとおり、自分がこの学校に転校してきたのは、神崎智美に──神岡智史に興味があっったから。 たとえ、常識が、理性が否定しようが、最初から結果は見えていた。 そう、彼の文章を読んだときの感動、その後写真を見たときのインスピレーション…… ワタシハカレヲスキニナル ── ☆ ☆ ☆ 「復活!」と、叫び、自分に気合いを入れて智史はベッドから起きあがった。 ふと、隣のベッドを覗き込むと、農家の年寄り並に早起きなルームメイトのそれはとっくの昔に冷えている様子。多分この時間ならリビングで新聞を捲っている頃だろう。 約1週間ばかり落ち込んでみたものの、終わってしまったことは仕方がないと、気持ちの切り替えに成功した智史は、開き直ることにした。こんな時にこれ以上悪いことを想像するというのもしょうもないことだが、相手が風折さんや内田ではなかっただけ、まだましだったというものだ。 智史はゆっくりとベッドから滑り降り、リビングに通じるドアを開ける。思った通りに弘樹はソファで新聞を読んでおり、LARKの匂いが漂っていた。 「おはよう。相変わらず早いな」 弘樹に声をかけながら、ふと、智史は思う。 この部屋にLARKの匂いが染みつくのも、今は訳の判らない自分の感情にハッキリ白黒がつくのも、そう遠いことではない、と── |