1.女王様登場
「ハイハイハイハイ」 電話のベルに返事をするというおばさんくさい行動を無意識にとりながら、智史はリビングの隅にあるそれの受話器を取り上げた。 「はい。神岡です」 ☆ ☆ ☆ 「んっ、携帯? 智史……は、いるよな。じゃ、前田さん? 日曜だったよな、今日……」首をかしげつつ、弘樹は携帯電話を取り上げた。この番号を知っているのは、口に出した2人しかいない。間違いだなと見当をつけつつ、弘樹は非通知の怪しい電話に出た。 「もしもし、伊達です」 ☆ ☆ ☆ 『あなた達、何てことしてくれたの〜っ』キーン。という衝撃音を両者の耳に残し、彼女の第一声は発せられた。 「まっ、前田さんっ」 右耳に携帯、左耳にはコードレスホンをあてがっている前田淑子嬢の耳にには彼らの声が綺麗にステレオ放送で聞こえていた。 『神岡君、伊達君、今日は暇ね。いいえ、用事があっても暇になってもらうわ。30分後に『アムール』にいらっしゃい。時間厳守よ。解ったわね、じゃ』 プツッ。 「女王様……」 彼女の耳には届かなかったが、実はこの台詞も仲良くステレオ放送であった。 ☆ ☆ ☆ 「急に呼び出しちゃって、悪かったわね。あたし、興奮しちゃって。だいたい、あなた達がこんな真似するとは思ってもいなかったからな〜」30分後、彼らは喫茶『アムール』で妙な雰囲気をかもしだしつつ、コーヒーを飲んでいた。 ちなみに彼女の変身可能な時間は過ぎていた。これは、彼らにとって幸いだったと言えよう。 「俺達がどんな真似したっていうんですか、人聞きの悪い。しかも、なんでそれぞれに電話をかけてくるんですか。俺達が同居してることを知らない人じゃあるまいし」 「どうしても同時につかまえたかったからよ。伊達君が出かけていたら困るでしょ」 「………」 じゃあ、俺が出かけていたらどうするつもりだったんですか、と、言いたい気持ちを智史はあえておさえていた。筋の通った答えが返ってこないことが解っていたからである。 「で、用件をお伺いしたいのですが」 高校生の分際で堂々とLARKを燻らしながら、弘樹が尋ねた。 もっとも、彼の場合は制服を脱いでしまえば、高校生には見えないという利点がある。 「ずいぶんな態度ね、伊達君」 「女王様にはかないませんよ、なあ、智史」 俺に話題をふるな、と、目くばせしつつ、智史は咳払いで誤魔化した。 「何よそれ。まあ、いいわ。そこまでとぼける気なら、決定的な証拠を見せてあげる。どう、これを見ても、そんな余裕な態度でいられる?」 バンッ。 結構派手な音を立てて、茶封筒がテーブルの上に置かれた。 智史はそれを取り上げ、中を覗いた。すると、何やら、派手な色彩のA5サイズの本が入っている。 中身を取り出し、首を傾げて眺めた後、智史は言葉を発した。 「これって、いわゆる同人誌ってやつですか? これがどうしたって言うんです……あれっ、これって弘樹、お前の絵に似てないか?」 その言葉に、弘樹が横から表紙を覗き込んだ。 「はぁ、どれ。……確かに似ているな。しかし、面白いな、ペンネームまでそっくりだ。『綾瀬えりか』だとさ」 「本当だ、ひと文字ちが……って、おい。ひと文字も違ってないぞ」 「ああ、しかも中の小説を書いている奴は『神崎智美』というみたいだな」 「何っ! なるほど、解りましたよ。あなたが俺達をあんな剣幕で呼び出した理由が。でも、これは俺達が作ったものじゃないですよ」 ポンッと、本をテーブルに放り投げて、智史は言った。 「まだ言うか。あたしだって編集者のはしくれよ。文章読んでみれば、ある程度どんな実力の持ち主かは解るわよ。文章の構成の仕方があなたにそっくりよ。中身はホモネタ実践編だったけどね」 「中身がそれで、どうして男の俺が書いたって思うんですか。どうせ書くならレズネタの方が、まだいいですね」 「わたしも同感です。別にやりたくはないですけど、どうせ描くなら男の裸より、女の子の方が断然乗って描けますよ」 「……本当にあなた達の仕業じゃないの? だって、これって神崎智美の学園コメディシリーズの、イカす生徒会長の風間蒼と、影の参謀、橘信哉のやおい本よ」 「だったらなおさら、俺達じゃないって解りそうなもんじゃないですか。だいたい同人誌って、そういう風に他人のキャラクター使ってパクッたものが多いって自分で言ってたじゃないですか、なあ、弘樹」 「ええ、わたし達は心根が優しいから、前田さんが何故日曜日に同人誌もって大騒ぎしているかなーんて、あえて、突っ込みはしませんけどね」 「うっ……、嫌なところをついてくるわね。個人的な趣味に口だしするのはよして欲しいわ」 「じゃあ、もし仮に本当にわたし達がこの本を作っていたとしても、前田さんに口だしする権利はないということですね」 かなり美形の部類に入る弘樹に、微笑みと共にたたみかけられ、彼女は少々たじろいだ。が、ここで引き下がる訳にはいかない理由が彼女にはあった。 確かに現段階では前田淑子個人と、食えない高校生2人の個人的趣味の問題でしかないが、同人誌にかかわっている人間にジュニア小説を読む者が居ないわけではない。それどころか、前述の2人を主人公にした同人誌も、少数ながら存在するのも確かなのである。 と、いうことは、この問題が個人的なレヴェルから会社の、そしてごく限られたものではあるが社会的なレヴェルに変貌を遂げるのに、ごく短い時間しか残されていないと考えるのが妥当だろう。 「解ったわ。本当にあなた達の仕業じゃないって言うんなら、それを証明して見せて。この本持っていっていいから。言っておくけどこの本の発行者調べだしたって無駄よ。ダミーだと思われるに決まってるわ。あなた達の作品ではないという証明をして。あんな進学校に通っているんですもの、簡単でしょ」 言うまでもなく、一介の高校生に郵便局留の発行者の素性を知る術などないことは、彼女はよく知っている。余計な回り道をさせないために釘を差したに過ぎない。 彼女の方で発行者の素性が掴めれば道は開ける。彼らが証明をできればそれもよし、二重の安全策だ。 だが、彼女が彼らの否定の言葉を信じきっていないのもまた事実。彼女は本の奥付の住所を写したメモ用紙を、ポケットの中でくしゃりと握り潰した。 「進学校っていっても別に探偵の仕方までは教わっちゃいないんですけどね、前田さん」 彼女の台詞に対し、コーヒーの残りを飲み乾した後、智史は不満そうな発言を漏らした。 「何、他人事みたいな発言してるの。あなた達の名誉の問題でしょうが。とにかく、期限は3日。頑張って頂戴ね」 事態の深刻さを理解しきれていないとみえる、高校生2人にイライラしながら、前田さんは席から立ち上がった。 「はあぁ〜〜」 残念ながら、彼女のため息は智史達には届いていなかったようだ。 一方、前田嬢のそんな心境を知る由もない彼らは、伝票を掴んで立ち去っていく彼女の背中を見送りながら、どちらとともなく呟いた。 「女王様だよな……やっぱり」 ☆ ☆ ☆ 「とは、言ったものの、確かに名誉の問題ではあるよなあ」帰宅後、前田さんから入手した同人誌をパラパラと捲りながら智史はボソリと呟いた。 「お互い素性はバレてないんだから、別段困ることでもないんじゃないのか」 クラッシュアイスの入ったアイスティーのグラスを傾けながら、相変わらず興味がなさそうに弘樹が言葉を発する。 「確かに『神岡智史』は困らないさ。だけどな、『神崎智美』としては、笑ってる訳にもいかんだろ……。おいっ、見ろよこのイラスト。すっげーハード、手足がめちゃくちゃに絡まってるぜ」 「ふん、こんなに細身の人間が絡まってたら、あばらが当たって痛いだけだ」 ちらりとカットをのぞき見て、くだらんとばかりに弘樹が吐き捨てる。 「ふーん、経験あるみたいな言い方じゃん。さすが伊達先輩、おっとな〜」 「常識だ」 どこが常識だ。という意見を口に出せないまま、智史はイラストに視線を戻した。 「……! なあ、弘樹」 「何だ、好みの男でも居たか?」 「違う、冗談でもそんな発言はよせ。そうじゃなくて、お前さ、この表紙のカラーイラスト、主線だけトレースして着色してみろよ」 「なんの為に、そんな面倒な真似をしなけりゃならないんだ」 「『証拠』を掴む為だ。パラ見しただけだからハッキリしたことは言えないが、これは俺が書いた文章じゃないってことは証明できると思う。句読点の打ち方と、漢字の使い方のニュアンスが違うからな。しかし、それで俺の無関係だけを証明しても、お前のが出来なきゃ単独で関わったって判断されるだろう。2人共が無関係だって証明できなきゃ意味がないんだよ」 「なんだか感動する台詞だな。で、それで確証が掴めるのか?」 「……多分。とりあえず、それ、やっといてくれるか? 俺はこの文章の方をデータ入力して分析する。先に内容コピーするから、ちょっと待っててくれ。あっ、言っておくけど真似する必要ないぞ。お前の感覚で彩色してくれればいいから」 その同人誌を片手に仕事部屋に向かう智史の視線で追いながら、弘樹は思わず呟いた。 「智史」 「ん?」 「お前って、結構すごかったんだな」 その言葉に、智史は軽く肩をすくめて応じた。 「時と場合によってはな」 |