5.分析過程2

「ついでだ、一気のお前のイラストの分析やっちまおうか」
 部屋に戻った後、ベッドに逆戻りかと思われた智史の思いがけない発言に弘樹は目を丸くした。
「大丈夫なのか? 寝なくて」
 弘樹自身は1日2日なら睡眠時間が少なくても、割と平気な方なのだが、智史は違う。半端に寝る位なら徹夜の方が調子の良い人種なのである。
 約半年間の同居生活で、弘樹は智史の生活様式をほぼ完璧に把握していた。これは、そういう根拠に基づいて発せられた言葉である。
「今寝たら最後、俺は夜まで目覚めない自信がある。多分出掛けなきゃならない用事ができる可能性が高いから、出来れば昼間に行動したいんだよ」
「どういう意味だ?」
「用事が出来た時点で説明するよ。スキャナの電源立ち上げてくれ」
「スキャナー?」
「ああ、お前のイラストをマックに取り込んだ後、4色に分版する。一方、本の表紙の方はもう分版されていて、4色の網点の状態で存在するから、それぞれの色を独立した版に分ける。そして、互いの網点の分布の違いを分析してみたい。同じ人間が同じように彩色してその網点の分布が決定的に違うことはまずないだろう。ただ問題は残るがな」
「分版と独立した版に分けるというのは、どこがどういう風に違うんだ?」
 いまいち4色分解の仕組みを理解していないとみえる弘樹が、不思議そうな声の調子で智史に問いかける。
「このフルカラー表紙ってやつは、写真とは構造自体が異なっている。写真だとそうだな、例えば緑色は緑色そのものだ。何を当たり前のことを今更、と思うだろうが、4色分解における緑色は違う。青と黄色の点の集合だ。専門用語でいうならシアンとイエローってやつだな。フルカラー表紙というのは、全ての色をその原理で表現している、ここまでは解った?」
 ここで、智史はいったん言葉を切り、弘樹が頷くのを確認してから、更に説明を続けた。
「つまり、分版というのは、簡単に言うと緑を青と黄色に、紫なら赤と青の網点に分けて構成するために4枚の版を作る作業だ。一方、版を独立させるというのは、その4枚が重なっている状態から一枚ずつを取り出して再び4枚にする作業。違い、解る?」
「ああ、元が違う2つの物に手を加え、比較が可能な状態に持ってくるってころだろう」
「That's right. 旦那、物分かりがいいっスね」
「それだけ噛み砕いて話して貰えれば大体は解る。しかし、それの何処に問題が残るんだ?」
「うーん、どうやって説明したらいいかなぁ〜。先刻言ったことと矛盾していると思うかもしれないが、まず、4色分解では忠実に再現できない色もあるってことを念頭に置いて欲しい。お前だって自分の描いたものと、実際に印刷された物とのギャップを感じた経験はあるだろう。まあ、お前の場合は一応プロだし、チェックをいれる方もプロだから、かなり忠実にカラーが再現されていると考えていいだろう。だが、同人誌は違う。もちろん印刷会社側はそれで商売をしているんだから、それなりの物は作っている。が、落丁や乱丁ならともかく、フルカラーの色合いがどうの、という苦情は殆ど来ないのが実情だ。なぜなら、そういった同人誌を発行している輩の印刷会社選択の第一条件は、余程の大手じゃないかぎり、まず例外なく印刷料金だからだ。つまり、安いんだから仕様がないって理由であきらめてしまうってことだ」
 ここで智史が一息ついた隙に、すかさず弘樹が文句をつける。
「智史、お前の悪い癖だ、話が本題からそれている。印刷会社は関係ないだろう」
 そんな弘樹に、智史は首を横に振って応じた。
「確かに俺にそういう傾向があるのは認めるが、今回はそれていない、黙って聞け。つまり、肌色が真っ黄色とかっていう、とんでもない色の違いじゃない限り、本物とは違う色でもそのまま本になっているってことだ。そこで、この同人誌を見てみると、どうも主線がくすんでいるんだ。これにはこういう理由がある。先刻の話に戻るが、4色分解というのは通常、マゼンタ(赤)・シアン(青)・イエロー・スミ(黒)の4色で構成される。が、本来フルカラーっていうのは3色、いわゆる3原色で表現できる筈なんだ……理論的には。小学生の頃図工の時間か何かで習っただろう、この3色の組み合わせで、どんな色でもできるって。そして、3色全部を混ぜると黒になる。が、厳密に言えばそれは黒ではなくて、濃いグレーというかブラウンというか、とにかく真っ黒ではない。だから、スミを乗せないとどうしてもくすんだ感じになる」
「待て、それが本当なら、この本の表紙は3色分解っていうことになるんじゃないのか?」
「もし、そうだったなら、俺達が出掛けなくてもいい可能性の方が高くなる。これは、紛れもなく4色分解だ。但し、スミの代わりに蛍光ピンクを使っているものだ」
「何のために!」
「苦情はこないといっても、やっぱり本の制作者側としては、綺麗な物を作りたいに決まっているじゃないか。4色分解では、どうも肝臓病の患者みたいな肌色になってしまって綺麗じゃない。そこで、それを補うために5色分解というものが登場しだした。通常の4色に更に蛍光ピンクを加えた物だ。しかーし、1色増えているからにゃ、手間も材料代も1色分増えてるってことで料金的にも確実に高くなる。そこで他の3色で代用できるスミを削って、ピンクを加えた4色というものが出て来だした訳だ」
「なるほど、この本にはそれが使われているってことだな」
「そう。通常の4色カラーなら、俺が昔バイトで作った解析ソフトで4版に分けられるんだが、これだとマゼンタ版に相当の誤差が出てくると思うんだよ。となると、他の2色で比べるしかないんだけど、それにしたって、スミ版が使われていない影響が出るだろうし。かなり特徴のある違いとか、数値が2桁違うとか、そういう決定的なことがない限り、条件が同じじゃない以上、データとしての信憑性に欠けるって言われるだろうな」
「智史、聞きたいことがあるんだが……」
「ああ、ちょっと待て。これでよしっと。この作業、かなり時間がかかるからリビング行こうぜ。眠たくならないように、緑茶に飲もう。しっぶ〜いやつ」
「そういう時はコーヒーじゃないのか」
「いや、緑茶だ。本来、緑茶に含まれるカフェインはコーヒーと大差が無い上、ビタミンも豊富。更には最近注目されているカテキンまでも含まれているという、日本古来の伝統的な……」
「解った、もういい。緑茶だな」
 これ以上智史の講義を聞かされていては、自分の方が寝てしまいそうな不安に駆られた弘樹は、早々に話を切り上げた。
 加えてお茶請けは、先日担当編集者に貰った『東京ば○奈』にしようと、秘かに企んでいた。

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