6.神岡さんちの家庭の事情
「なんで北海道の出張土産が『東京ば○奈』かね。やっぱ、前田さんの思考回路は解らんわ」 「彼女は空港の土産だとちゃんと言っていたぞ」 「だから、そういう問題じゃないんだっては。まあ、美味いからいいけどな。おい見ろよ、この『お召し上がり例』、牛乳に浸してだって。このお菓子をこれ以上ぐちょんぐちょんにしてどうするって言うんだよな」 相変わらず、どうでもいいことにツッコミを入れている智史に相槌は打たず、弘樹は先程聞き損ねた質問を投げかけた。 「それよりお前、4色分解のうんちくはともかく、何であんなに同人誌の印刷会社の仕組みに詳しいんだ?」 まだ、口の中に残っていたお菓子をお茶で流し込んだ後、智史は弘樹に応じた。 「ああ、あまり大きな声で言えたことじゃないが、姉貴が同人誌にはまっててね。綺麗な仕上がりと料金のどちらを取るかって、いつも唸ってたからな」 「お前の姉は、そんなことを弟に相談するのか?」 怪訝な顔で弘樹が智史に問いかける。まあ、もっともな疑問である。 「相談されなくたって、隣の部屋で毎度毎度大声でわめかれりゃ、自然に覚えるってもんだ。いわゆる、門前の小僧ってやつか」 「しかし、お前の姉さんの話なんて、初めて聞いたな」 「ああ、姉貴は母方に付いていったし、あんなイッちゃってる姉貴のことなんて、すき好んでしたい話じゃなかったしな。だいたいあんな女に小学校の教師やらせておくなんて、日本の未来は暗い……ん? あれ? もしかして俺、言ってなかったっけ、親の離婚のこと」 「聞いた覚えはないな」 「でも、知ってるってか。まあ、話す手間が省けていいけどな。風折さんか?」 「ああ」 「どこまで知ってる?」 「お前の両親が離婚して、父親が再婚して、実の母親が亡くなっているというところまでだ。後は自分で聞けと言われた」 「ふ〜ん、当たり障りのないところまでか。まあ、風折さんってああ見えて、言っていいことと悪いことの区別がついている人だからなあ」 「聞いてもいいか? わたしが……お前の過去を」 かなりの緊張感を持って発せられた弘樹の台詞に智史は軽く頷いた。 「別にお前にまで隠そうと思ってた訳じゃないし、過去って言う程大した代物でもないんだよ。よくある話だ。まず、二人が離婚したのは俺が中学2年の時。大学病院で医者をやっている親父は、お袋の仕事が気に入らなかったらしい。もともとお袋は看護婦で、同じ病院に勤めていた親父と結婚して仕事を辞めた。ところが、俺達がある程度大きくなって暇をもてあましたお袋は……」 ここまで話した後、智史は急に言いよどんだ。 「智史、別に言いたくないことまで話してくれなくてもいいんだぞ」 「否、情けないだけだ。暇をもてあましたお袋は漫画の原作者になった。昔は漫画家になりたかったらしいんだが、さすがに絵の才能がないのが解ったらしく、俺が中学に入った頃から、手当たり次第に応募しまくって、何を間違ったかそれが入選した」 「親子揃って……」 弘樹の口から、思わず言葉が飛び出してしまう。 「それを言うな。俺のは不可抗力だ」 「どうだかな」 「ごほっ! それはさておき、それを機会にお袋は漫画原作者として活動しだした。すごく売れていた訳ではないが、取りあえず干されもしない、まあ、そこそこの作家だ。お袋にとっては自分が本当にやりたかった仕事にやっと就けたが、親父にとってはそうじゃない。体裁が悪い、の一言に尽きるんだ。大分話し合ったみたいだけど、結局折り合いが付かず離婚。その半年後だ、親父が医局長に行かず後家の末娘を押しつけられたのは。それが現在の戸籍上の母親だ。行かず後家って言っても、容姿・性格が特別悪いわけじゃないし、ありゃ、実家の居心地がよっぽど良かったんだな。だから、彼女が嫌いだった訳ではないが、俺の母親ではない。親父も別に『今日から彼女がお前の母さんだ』なんて間抜けな台詞は言わなかったしな。その辺の事情で、中学までいた学校も大学までエスカレータの私立だったんだが、全寮制の和泉澤に編入したんだ」 「父親は何も言わなかったのか」 「言う訳ないさ、学校のレヴェルあげてるんだから。まあ、本当の理由は解っちゃいたと思うがね」 「医者になれとは言われなかったのか?」 「うちは別に開業してる訳じゃないしな。それにだ、俺、神崎智美としてデビューした時点で親父に勘当されてるんだよね。それこそ、母親と同じことするなって言われてね」 「えっ? 勘当」 「そう。だから、俺ってけっこう身軽なんだよね」 「はあ」 「まあいいさ。さて、もう結果が出た頃だ。見に行こうぜ」 「ああ」 先程から智史の言葉に脈絡を見いだせないでいる弘樹の返答は、なんとなく間抜けな雰囲気である。 「ああ、そうだ」 仕事部屋のドアノブに手を掛けたところで、智史が思いだした様に話しだす。 「ここだけの話、お前がここに引っ越して来た頃って、お袋が交通事故で死んでから、まだそんなに経ってなくってさ。あのどたばた騒ぎに救われたって感じがあったよ」 「智史……」 「悪い、最後にまた話が暗くなったな。だけど、言っておくよ、こんな機会、滅多にないし。あの時、お前の存在に俺がどれほど助けられたか……ありがとな」 話し終えた後、智史はさり気なく視線を外して部屋に入り、弘樹がその後に続いた。 何やら作業をしながら、背中を向けたまま智史はふざけた口調で話し出した。 「やっぱ、ああいう発言って俺のキャラクターじゃないよな。なんか、すっごく恥ずかしいよ。ああっ、しかもこっちの結果も駄目みたいだな。重ねてみるまでもなく、一目瞭然で話にならねーよ。全く、しょーがねーなぁ、出掛けるぞ」 着替えのためか、寝室に向かった智史の背中を見ながら、弘樹は思いだしていた。 引っ越してきた直後のあの部屋のことを…… そして、あの時智史の部屋が、何故、虚無感にあふれ、あれほど殺風景に見えたのか、その理由を知った気がした── |