DESTINY3 (8)



「くそ〜っ、なんでこーなるんだよっ!」
 どうにもこうにも多数決で多数派に入れない運命らしい智史は、帰宅後自室で荒れていた。
 そもそも多数決なんて、ちっとも民主主義じゃなくて、単なる弱いものいじめだと智史は思う。
 まあ、そう断言してしまうのは言い過ぎだろうが、確かに多数決にそんな一面があることは否めない。特に自分がやりたくないことを他人に押しつける場合においては。
 学校祭実行委員だの、合唱における指揮者だの、ひとたび誰かに推薦でもされようものなら、本人の意志など全く無視し、クラス全員が一丸となって右手を上げ、哀れなスケープゴートにその役目を押しつけるのだ。
 とはいえ、今回の場合は智史の自業自得だとも言えなくはない。
 余計な画策をせずに、素直に最初に書き上げた原稿を担当に渡しておけば、キャストの変更があったところで、痛くも痒くもなかったのだから。
「智史…。前にも言ったが、何も最新策が脚本になると決まったわけじゃないんだ。荒れるのは脚本が決定してからでもいいと思うぞ」
 ヤケになった智史が、手あたり次第投げ散らかす雑誌やらノートやらを、器用に上半身だけでよけつつ、弘樹は言った。
 それに対する智史の返答は、ものすごい理論ながらも、妙に納得できるものだった。
「いいや、決まるね。僕は当然風間役って言ってた風折さんが、あんな訳の解んない理由で風間役を降りたのは、例によってあの人の『なんか嫌な予感がしたから』ってヤツだろ。そして、憎たらしいことに、あの人の嫌な予感は絶対に当たるんだぁ〜」
 語尾の『だぁ〜』と共に智史は頭を抱えた。
 嫌な予感ひとつで、智史をここまで追いつめる風折迅樹、やはり恐るべし。
 そんな智史を見下ろしながら、弘樹はやれやれと首を振った。
 確かに風折の予言はそんじょそこらの占い師よりも、的中率が遙かに高い。
 しかし、風折にあるのは霊感ではなく、情報収集能力だ。
 智史は不思議ではないのだろうか、風折があれほどまでに神崎智美の仕事状況を把握していることが。
 夏休み前に、風折が智史に作詞をさせるために使った脅迫ネタだって、本当に善良な生徒とやらが目撃したのか怪しいものだ。
 まあ、風折生徒会長様のことだから、そんなことも多少はあるのかもしれないが、あれはタイミングが良すぎた。
 そして、今回の一件も。
 智史は単なる風折の気まぐれだと思っているようだが、偶然が何度も続くのは不自然だ。
 以上のことを踏まえて考えてみると、講英社の中に情報をリークしている人物がいるとしか考えられない。
 思えば《アムール》は講英社の人間が始終出入りしている茶店だったのだ。
 あんな場所に偶然和泉澤の生徒が居合わせる確率よりも、日曜日だとはいえ、休日出勤した講英社の社員が遅い昼飯でも食っている可能性の方がよっぽど高い。
 ちょっと冷静になって考えて見れば解ることだ。
 どうして、自分が気付くようなことにお前は気付けないのだと、弘樹は憤る。
 ──それに、頭を抱えている暇があるなら、原稿の差し替えが可能かどうかの確認をしてみればいいだろうが。
 と、携帯電話に手をのばしかけ、弘樹は途中で考えを改めた。
 今まで、智史サイドにたって物事を考えていた弘樹だが、よくよく考えてみると、例の原稿が脚本化されたところで、弘樹はちっとも困らないのだ。
 それに所詮は学校行事、教師の目があるのだから、あまり大胆な演出ができる筈がない。
 ってことは、単に智史が再び女装しなければならないというだけの話だ。
 ──なんだ、よくある話じゃないか。
 と納得してしまう弘樹は、所詮BL系小説の登場人物だ。
 とはいえ、弘樹が智史を助けてやらないことにした理由は、他にもある。
 大体にして、何のかんのと言いつつ、智史は風折の言うことに納得させられ過ぎだ。
 それは多分、智史が唯一自分がかなわない人間として風折を認めているからなのだろう。
 もし、智史が講英社の恋愛小説大賞に入賞していなくて、風折が涼と出逢っていなかったならば……だなんて、考えるだけでぞっとする。
 風折×智史。
 今となってはありえそうもない話だが、過去においては決してありえない展開ではなかっただろうと弘樹は思う。
 そう思う根拠は結構あった。
 いくら前任者が身体を壊してポストが空いていたからといって、入学したて──しかも、外部入学者の──の智史に風折が書記の役職を振ったこと。
 風折が女装までして智史に貸しを作ったままにしておきたかったこと。
 母親を亡くした時に、智史が落ち込んだ姿を風折には見せていたらしいこと。
 弘樹が転校してきた日、あんなに夜遅くの訪問だったにもかかわらず、風折が尋ねてくることに何の疑問も感じていなかった智史の態度。
 しかも、しかもだ。
 涼に首ったけ状態の今においても、智史の動向に目を光らせているとは何事だ。
 ましてや、裏でコソコソと画策までして、自分たちを同室にしたのだから、晴れてふたりが恋人同士になった今、智史のことは弘樹にまかせておいてくれるのが筋ってものではないだろうか。
 どうやら、智史はこの期に及んで、いらん心配をごちゃごちゃとしているようだが、弘樹はふたりの関係が誰にバレたところで全然平気だ。
 親を泣かせられない程度の覚悟で男なんか好きになれるものか。
 いっそ、舞台の上で熱烈なラヴシーンを演じ、他の誰でもない風折に見せつけたいくらいだ。
 ついでに、《あのふたりは怪しい》という噂が霞ヶ丘でも噂を立ってくれれば、弘樹にとっては更にありがたいのだ。
 チラチラと智史を盗み見る、あの女共を蹴散らすためにも。
 ってな感じに、恋人の意志を尊重するよりも、周りを牽制するための──それで牽制できるのかどうかが甚だ疑問であるが──選択をしてしまうほど、智史にぞっこんな弘樹であった。
 そんな弘樹に、筆者が自ら突っ込もう。
 ──だから、自分が思うほど、あんたの恋人はもてないって(失笑)
 

☆   ☆   ☆

「困ります。マジで。風折さんだって知ってるじゃないですか、俺、今、親父に勘当されてて、仕送りストップしてるから、仕事は絶対に休めないって。生徒会長なんてとんでもなく大変なものと両立出来るわけないです。それに俺、経営に関して全く興味がないし、学校潰しちゃうかもしれませんよ。あっ、それにほら、生徒会長やりたくてジタバタしている奴が居るじゃないですか。YS電気の社長令息、笹森喜明。やっぱり、やりたい奴にやらせるのが一番ですよね、ねっ」
 この人は何処まで俺を追いつめたら気が済むんだと、涙目になりつつも、智史は例によって風折に対して無駄な抵抗を試みていた。
 その隣に、無言で弘樹が座っているのもいつものことである。
 追いつめられると、とてもじゃないが一般人には不可能なことを成し遂げてしまうのが、智史のすごいところで、その後の展開が思い通りにならないところが、智史の不運なところである。
 《NAVY》の最新号がまだ発売されていない今の内に、最有力候補の短編を、候補ではなく決定にする為に、ネックになっている大がかりなトリックを実行する方法を考え出したのだ。
 学生が手作りするには少々手に余る部分があるその仕掛けを、さっさと業者に発注してしまえば、もう脚本は変えられない。
 ──俺ってあったまいい〜♪
 と、智史が超ご機嫌でいられた時間は、僅かに3時間。
 智史が、その舞台装置の設計図を書き終えたその日の夜に、風折は彼に再びやっかいごとを持ち込んだのだ。
 和泉澤学園高等部生徒会長──学園の経営に関わっているその役職の仕事がどれだけ大変であるか、間近で風折の仕事を見ていたからこそ、智史には解る。
 絶対に、ぜぇ〜ったいにそんなものにはなりたくない。
 しかし、当然のように風折はそれを許してはくれなかった。
「君が『かもしれない』なら、笹森は確実に学校を潰すよ。それともなに? あんな典型的な二代目に後が務まるような仕事を、僕が大変なフリしてやっていたとでも言うのっ!」
「いえっ、決してそういう意味では。じゃあ、医者の息子の村上孝幸、あいつは3代目ですよ」
「君だって医者の息子だろう。それに、何代目かなんていうのは関係ない」
「うちは、あいつんちと違って開業してませんし、医者にもなりませんってば」
「それはともかく、要は僕と理事長が任せられると判断するかどうかが重要なの」
「だから、俺には生活があるんですってば、大学の入学金とかも稼がなきゃならなし、卒業したら家賃がかかるじゃないですか。今稼いでおかなけりゃ、俺、進学できなくなりますよ〜。それに今のシリーズはともかく、もうまんがの原作の話、決定しちゃてて、これはすぐには終了できませんよ」
「だったら両立するんだね。これは決定だ。君に選択の余地は無い」
「そんな、横暴ですっ! 善良な学生の生活を脅かす権利が、何処の世界に存在するって言うんですか」
「言っておくけど、この学校に居て内職できるのは君くらいなもんだよ。いくらアルバイトがOKされてても、そんな余裕のある奴はいないの。みんな、勉強で忙しいからね。授業中以外に勉強していない君が、傍目には一番暇に見えるのは、仕方がないんじゃないのかな」
「何を根拠にそんなこと言ってるんですか? もしかしたら、余裕なふりして、家で勉強しているかもしれないじゃないですか」
「黙れ! 君が先刻あげた2人、たかだか学年30番をキープするのにどれだけ勉強していると思う? 聞いて驚け、一日8時間だ。彼らはそれでも生徒会長をやりたいんだよ。気持ちは解らないでもないが、彼らには生徒会長をこなす力量も体力もない。だけど、君は違う。解るよね」
「話が戻っちゃいますけど、彼らは生活がかかってないじゃないですか」
「だから、両立しろと言ってる。それに、これは言いたくないけど、作家をやめてしまえば、生活の心配はなくなるんじゃないの? 高校生の息子を本気で勘当する親なんていないよ」
 ──作家をやめる?
 思いがけない言葉を聞き、智史の思考は停止した。
 このままでは、風折に押し切られてしまうと解っているのに、口を開くことさえできない。
「近々、正式に任命がある。それまでに、よく考えるんだね。じゃ、帰るね」
 智史が言葉に詰まったのをいいことに、風折は手を振りながら彼らの部屋から出て行ってしまった。
 その背中を見送りながら、智史は自分に問いかける。
 お前は作家をやめることができるのか、と。
 深く考え込む間もなく、答えはすぐ出た。
 そのタイミングを見計らったのように、隣に座る弘樹が口を開いた。
「どうするんだ? 作家、やめるのか?」
「お前さぁ……」
「ん?」
「いくら大賞受賞したからって、嫌いでこんな仕事続けられると思うか?」
「……いや」
「おふくろの名前、智美って言うんだ」
「……そうか」
「俺、学校はやめられても、作家はやめられない。ダメなんだよ、作家やめたら、もう一回おふくろが死んじゃう。今度は俺が殺すことになっちゃうんだよっ! 俺はそんな自分を絶対に許せない、絶対にだ」
 言って智史は弘樹にすがりつく。
 こんなのは自分のキャラじゃないと解っているのに、胸の奥からこみ上げてくる気持ちを抑えることが、智史はできなかった。
 そんな智史を強く抱きしめ、弘樹が低く言い放つ。
「解った、俺がやるよ。風折さんの先刻の口振りだと、会長がわたしじゃ駄目な理由なんて無い筈だ」
「……こう…き」
 抱きしめられた腕の力強さが、弘樹の言葉が嘘ではないことを伝えてくれる。
 智史は弘樹の肩に埋めていた顔を上げた。
「締切前のあの修羅場、目の当たりにしている者じゃなきゃ、理解なんてできないさ。風折さんだって悪気があった訳じゃないし、そんなに思い詰めるな」
 顔を上げた智史の頭をポンポンと軽く叩きながら、弘樹は穏やかに言った。
 だから心配しなくていいとでも言うように、優しく微笑む弘樹に、智史はいつもは押さえている自分の想いを、今だけはどうしても伝えたくなる。
 ──お前が居てくれるなら、俺は何があっても頑張れる。
「弘樹……」
「何だ?」
「俺がお前より、おふくろの方が大事だなんて、勘違いするなよ。お前の為に、俺が捨てられないものはない、捨てたくないものはあってもな。生徒会長は俺がやるよ。吐き出したらすっきりした。両立してやるさ」
 自らの手で両頬を叩き、智史はソファから立ち上がった。
 その台詞が強がりではない証拠に、智史の目は輝き、口元には笑みが浮かんでいる。
「今回は、随分と復活が早いな」
 どうやら本当に大丈夫そうだと判断した弘樹が、智史をちゃかす。
「信じてくれる奴がいるからじゃない?」
「ゾッとする台詞だな」
 冗談でも、智史が普段は言いそうもない台詞を返してきたので、肩をすくめてとぼけた返答をした弘樹だが、その言葉が本当ならば、これ以上嬉しいことはない。
 風折によって落ち込んでしまった智史を、自分が復活させてやれるのならば、彼に勝てたような気がするから。
 しかも、絶好のタイミングで智史が復活してくれたのだから、その感激もひとしおだ。
「ちっ、感じ悪いでやんの」
 口調から本気でそう思っている訳ではないことは知れるが、それでも一応口をとがらせて不満げな表情を作っている智史を弘樹はふいに抱きしめた。
 つい30秒程前に日付が変わったからだ。
 えっ? と目を見開く智史に口づけてから、弘樹は彼の耳元で囁いた。
「Happy Birthday! 智史」
 そう、今日9月10日は、智史の17歳の誕生日だったのである。
 智史が普段よりも素直になれたのは、もしかすると神様が誕生日プレゼントの先払いをしてくれたせいだったのかもしれない──

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