DESTINY3 (10)
「ねぇ、涼は僕のことが好き?」 「えっ? って、何をいきなり……」 真剣な眼差しで突然風折に問われ、目の前の人物は固まった。 「ねぇ、どうなの?」 「そりゃ、嫌いな奴と一緒に住む人間はいないんじゃ……」 「そうじゃなくて。友人としてじゃなく、恋人のなれる可能性はあるのかって、僕は聞いてるんだよ。誤魔化さないで真剣に答えてよ」 「…………」 「ねぇったら」 「つかぬことをお伺いしますが……」 「何?」 「あなたは、俺が誰であるかをご存知なんですよね」 「もちろん神岡智史でしょ」 「だったら、そんなことは、本人に直接聞いて下さい。自分の恋路に人を巻き込まないで下さいよ」 例によって智史は大きなため息をついた。 例によって深夜にやってきたかと思うと、例によってまるで自分がこの部屋の主であるかのようにどっかりとソファに腰掛け、例によって涼がらみの話で智史をうんざりさせるのは、例によって風折迅樹現生徒会長様なのである。 因みに、この部屋のもう一人の住人である弘樹は現在入浴中。基本的に弘樹は智史よりも運が良く生まれついているらしい。 「本人に直接聞けるくらいなら、君にこんなこと聞く筈無いだろ。全く、君って奴は、男の純情ってものを解ってないんだから。僕がどれだけ心の底から涼を愛しているかが君には解らないの。僕は涼のためになるなら悪魔に魂を売ってもいいとさえ思っているのに」 「……そうなんですか?」 智史のこの返答は、『そこまで涼のことを想っていたんですか』という意味では決してない。『まだ、悪魔に魂を売っていなかったんですか』という意味だ。 そんな智史の心中に気付いているのか否か、風折は大きく首を左右に振ると、呆れた果てたよ僕は、といわんばかりにベラベラと話し始めた。 「君、そんな調子でよく少女小説家なんてやってられるもんだね。いいかい、君はこういう風に考えなくてはならないんだよ。教えてあげるから良く聞いて。そんな恩着せがましいこと口にするような器の小さな人間ではないけれど、風折さんが芸能プロダクションを立ち上げることにしたのは涼のためなんでしょう。それなのに、突然出てきた杉崎さんに涼を横からかっさらわれるなんて風折さんは気の毒過ぎる。でも、風折さんは大人で、本当に涼のことを想っているから、彼にとってより良いと思われる道を黙って選ばせたんだろう。ああ、可哀想な風折さん、それほど涼のことを愛せるのはこの世であなた一人だというのに。あなたはその恋の渦中にいる人だからお気づきならないかもしれないけれど、端からみればあなたたたちは既に両思いですよ。ああ、そんな悲しそうな瞳をしているあなたに教えてあげたい、涼もあなたのことが好きですと。だけど、俺が風折さんの恋路に口を挟むだなんておこがましくて出来はしない。どうしよう、俺は風折さんのために何かしてあげたいのに……。すると、ありがたいことに風折さんが俺に『ねぇ、涼は僕のことが好き?』と聞いてきてくれた。これは千載一遇のチャンス! 今こそ俺が風折さんの恩に報いることができる時だ。さて、君が言うべき台詞は」 風折に問われ、智史は思った。 ──俺、アンモナイトになりたい。 貝──しかも化石になれば、さしもの風折も口を開けとは言わないだろう。 しかし、残念ながら、智史は人間で、しかも風折の後輩なのだ。 そんな彼に、黙っていることを許してくれるような風折ではない。 智史は、しぶしぶ口を開いた。 「……誰がどうみたって涼は風折さんのことが好きですよ。やだなぁ、風折さんとあろう者がそんな弱気になるだなんて。なんせあなたは世界で一番いい男、天下無敵の風折迅樹なんですよ。自信を持って下さいよ。ああ、俺はあなたにそんなに愛されている涼が心の底から羨ましいです……とかですか」 「やればできるじゃない。とかですか、は余計だし、台詞の棒読みさ加減も気になるところだけど、一応、合格点をあげよう。これからも精進するように」 「……心がけます」 「よろしい。それから、飲み物が出てきてないようだけど」 「失礼しました。コーヒーでいいですね」 これこそ千載一遇のチャンスだと智史は素早く立ち上がった。 少なくともコーヒーを入れている間は、風折の視界から逃れられる。 「弘樹がこの場に居ないのにコーヒー以外の物を出されても困るよ。ブルーマウンテン。濃く抽れて」 茶店じゃないんだから、銘柄の注文までするなよと思いつつも、とてもじゃないがそんなことは恐ろしくて口には出せないので、智史は黙って冷凍庫から指定のコーヒー豆を取り出した。 時間を稼ぐために手動のミルでゴリゴリと豆を挽きながら智史は弘樹に念を送る。 ──さっさと風呂から上がって来い! 江戸っ子じいさんなみに、熱い湯と長湯が好きな弘樹は男のくせにやたらと風呂が長い。 普段ならば、その間にこれ幸いとさっさと寝室に籠もってぐうぐう寝てしまう──さしもの弘樹も寝ている人間を起こすことまではしないからだ──智史だが、今日ばっかりは、その長湯が恨めしい。 畜生、今日は俺が後から風呂に入れば良かった、といくら思ったところで、後悔先に立たずというヤツだ。 早く上がれ、早く上がれと呪文のように呟きながら、ペーパーフィルターからコーヒーの最後の一滴が落ちきるまでキッチンで粘っていた智史が、もう粘れないと諦めて、カップにコーヒーを注いでいた時だ。 風折の声が聞こえてきて智史はリビングを振り返った。 「おやおや、水も滴るいい男ってのは、もしかして君のことだったのかい? 髪の毛くらいきちんと拭いてから出ておいでよ。いつもそうな訳?」 「ご心配なく、いつもはきちんと乾かしてから出てきます。今日はちょっと精神的に余裕がなかったもので」 「君が心配するようなことは、何もないと思うけど」 「だといいんですがね」 イマイチ意味が良く解らない会話をしながら、風折の向かいに腰掛け、煙草に火を点ける弘樹の姿に智史は首を傾げた 弘樹が風呂に入った直後に風折がやって来たのだから、彼の入浴時間は長く見積もって精々20分。 早く上がれと念じていた智史ではあるが、普段は短くたって40分は風呂に入っている弘樹が今ここに居ることが驚きだ。 玄関チャイムの音は、その位置関係から風呂場にいると聞こえないのを知っているだけに尚更だ。 まさか、本当に飛ばした念が弘樹に届いたわけではあるまい。 まあ、それはともかく、自分ひとりで風折の相手をしなくてよくなったのは大助かりだ。 コーヒーは2杯分しかなかったので、風呂上がりな弘樹の為にウーロン茶をグラスに注いで智史はリビングに戻った。 「随分と早くない」 「ボディーソープが切れていたから洗面所まで取りに出たら、聞き捨てならない言葉が聞こえたもんでな。それより、シャンプーでもボディーソープでも自分が使い切ったら補充しとけと言っただろう。この粗忽者」 「あっ、悪い」 弘樹が何を聞き捨てなかったのかは知らないが、智史的には聞かれて困ることなど、ひと言も言っていない。 今の智史の気分は、粗忽者に育ててくれてありがとうお母さんといった感じだ。 決して威張れることでは無かろうに。 「それより、風折さん。わたしは智史とあなたがどんな話をしていたのかが、ものすごく気になるのですが」 智史が飲み物を配り終えるのを待って発せられた弘樹の言葉は、『ものすごく』のところにアクセントがおかれている。 これが、紙面に載っている文章ならば、太ゴシック体で標記されて下にアンダーラインまで引かれていることは確実だ。 「だから、心配するようなことは何もないって」 「その割には『俺はあなたにそんなに愛されている涼が心の底から羨ましいです』だなんて台詞を智史に言わせていたようですが」 「別に僕は智史にそんなこと言えだなんて頼んでないよ。智史が勝手に言っただけなんだから、文句なら智史に言ってくれない」 「なっ……」 風折の言いぐさに智史は言葉を失った。 ──確かに、俺は風折さんにそんな事を言えと頼まれた覚えは無いが、強要された覚えはあるぞ。風折さん的には『涼は風折さんが好きですよ』と言えと言ったつもりなのかもしれないが、あの時の彼の台詞には確実に『僕のことを敬愛するのが君の義務だと覚えておけ』という意味合いが含まれていたじゃないか。風折さんが帰った後、まずは彼がどんな台詞で俺を脅したかを弘樹に説明しなきゃ。リプレイしてみろ俺。よし、台詞はほぼ完璧に記憶している。だけど、俺がこの台詞を言ったところで、風折さんのふてぶてしさが表現できるか? っていうか、弘樹は俺に言い訳する時間をくれるのか? ……あ゙〜駄目だ、大好きな風呂を途中で切り上げて出てきた時点で、弘樹にそんな寛大な余裕がある筈がない。どうしよう、俺〜。 これが、言葉を失ってから2秒の間に智史が考えたことである。 どんなことにおいても、智史の頭の回転は無駄に速い。そんなに急いで様々なことを考えなければ、別に困る必要などなかったのだ。 風折に強要されでもしない限り、智史が自らそんな台詞を言う筈がないということなど、弘樹には百も承知だとすぐに知れたからだ。 焦りの余り、自分の恋人さえも信用できなくなっている智史は、ある意味ばかである。 だから、弘樹はひとりであたふたしている智史には全くかまわず、あくまでも風折に向かって尋ねた。 「じゃあ、何を言えとおっしゃったんです」 「別に何も言えとはいっちゃいないよ。涼は僕のことが好きかどうかを聞いただけ」 「……なんでそれを智史に聞くんですか」 「いや、特に理由ないよ。敢えて言うなら、裏庭で熱烈なラヴシーン演じる程、恋愛に長けている方に、恋の指南を受けようと思ったのかな」 「……理由はそれですか。よくもまあ、わたし達みたいな下々の者の行動をご存知でいらっしゃいますね。まさかとは思いますけど、校庭にお庭番でも放してらっしゃるんですか」 弘樹は大きくため息をつきつつも、風折にトゲのある言葉を投げつけた。ある意味チャレンジャーである。 「何言ってんだか。そのお庭番を──頼んでもいないのに僕に勝手に情報提供してくれる人のことをそういうのならね、わざわざ選んでラヴシーンを見せつけたのは君たちだろ。しかも、余計なことまでけしかけて」 「成る程、それがお気に障った訳ですか」 「別に気に障っちゃいないよ。大塚くんの気持ちには気付いてたけど、相手に面と向かって好きだと言われていない内から釘を差すって訳にはいかない所が、生徒会長って役職の難しいところだからね。きっぱり断るきっかけを作ってくれたって点ではありがたかったよ」 「では、どの点がご不満で?」 「別に、ただ、智史は人の恋愛相談の乗るが好きみたいだから、僕の恋愛相談にも乗ってもらおうと思っただけだけど。ああ、ついでだから弘樹にも聞こうかな。涼は僕のこと、どう思ってると思う?」 ──嘘を付け。嘘を。 流石にそれを口にするほど、智史はばかではなく、弘樹もチャレンジャーではなかったが、彼らは同時に胸の中で風折に向かって吐き捨てた。 これは、絶対に大塚をけしかけた自分たちに対する嫌がれせだと彼らは思う。 「ねえ、答えてよ弘樹。どう思う?」 ──どう思うもなにも…… そんなことは知ったこっちゃない。 そう言いたい気持ちを堪えて、弘樹は答えた。 「街角で涼にナンパされといて、今更何を言っているんですか。最初から、彼はあなたのことが好きなんですよ」 「あっ、そっか。そーだよね。ああ、やっと気持ちよく寝られそう。じゃあね、おやすみ〜」 言った弘樹も、それはちょっと何かが違うだろう、と思わずにはいられない納得の仕方をして、風折は彼らの部屋を後にした。 その背中を見送りながら、弘樹は先刻急いで切り上げた風呂に智史付きでもう一度入ってやろうと考えており、智史は風折のミドルネームリストにサイクロン──周りを引っかき回して突然消える──を付け加えてやろうと考えていた。 そんな彼らは知らなかったことだが、今日は、涼が風折の部屋から実家に戻った日だったのである。 風折は、涼がいなくなった淋しさを紛らわせるためと、持って行き場のない怒りをからかいがいのある相手で発散する為に彼らの部屋にやってきたのだ。 つまり、又しても八つ当たり。 八つ当たりをする方、される方、どちらにとってもお気の毒な話である── |