DESTINY3 (11)



 弘樹に対する賞賛の声と、悔しそうに唇を噛みしめる久保敦子の姿に、智史は満足げな笑みを浮かべた。
 本日、第4回目の合同演劇発表会打ち合わせが、例によって金曜日に行われていた。
 表向きは弘樹が、だが実際は智史が書いた脚本は、先日久保敦子が書いた物に比べて3倍近くのヴォリュームがある。
 そんなものを打ち合わせの時間にみんなで読んでいたならば、それだけで時間が無くなってしまうので、その脚本は風折の判断で前日に関係者に手渡された。
 元々1時間半の枠を取ってある演劇発表会の演目ならばこれ位の長さが無ければ成り立たない。
 腐っても演劇部長、久保敦子もそんなことは解ってはいたのだろうが、解ったからといって、丁度いい長さの脚本が書けるというものではない。
 それなのに、取りあえずこれを叩き台ににして、細かい部分は後で調整していけばいいってな位の気持ちで書いた脚本を、頭ごなしにけなされたのだ。
 久保敦子にとって面白いはずがない。
 面白い噂話のネタと風折の笑顔はゲットしたものの、それはそれ、これはこれ。
 文芸部副部長という肩書きが示すとおり、彼女は文章にもそれなりの自信がある。
 自分にすぐさまプロになれる程の実力があるとは思わないが、文章を書いたこともない人間に批判される筋合いはないと彼女は思う。
 そんな彼女は人の作ったものやしたことに、いちゃもんをつけることを仕事としている評論家という職業を軽蔑していた。
 口では大層なことを言ってはいるが、だったら自分でやってみれば、というのが彼女の意見なのである。
 だから、手渡された脚本を隅から隅まで、多分5回くらいは繰り返し読んだ。
 風折にも言われたとおり、弘樹が書いた(ことになっている)脚本に隙があるならば、容赦なく突っ込んでやろうと思っていたからだ。
 しかし、どうせ口だけでまともな脚本書けやしないんでしょ、と弘樹を侮っていた久保敦子の思惑は見事に外れた。
 彼が書いてきた脚本は、上演時間もトリックも、観客の息抜きのために挟んであるちょっとしたギャグのタイミングも全てが程良く、少なくとも高校生の書いたものとしては完璧だったのだ。
 よって、現在、彼女の字書きとしてのプライドは、かなりのダメージを受けていた。
 自分の対戦相手が、実はプロであったことも知らずに。
 その後、彼女はきっぱりと筆を折り、自分の人生を演劇一本に絞ることとなる。
 そんな久保敦子が数年後、実力派女優として活躍することを、今はまだ誰も知らない。
 人の運命なんて、案外とこんなものなのである。
 だが、こんな話は今のところ、本編には一切関係がない。
 そして、打ち合わせの2日前に、読んでみてくださいと、風折にその原稿を手渡した智史が、翌日彼に『君、プロの癖に、素人相手に大人気ないねぇ』と呆れらたことも、全くの余談である。

☆   ☆   ☆

「まさか、ああくるとは……」
「これは、いよいよ呪われるな……」
 どんな魔よけを買ったならば、風折に対して有効なのだろう、と真剣に考える智史と弘樹の視界に写っている光景は、風折にフラれたせいで、この世に怖いものがなくなったらしい大塚の姿だった。
 歌の歌詞にもあるように、憎んでもいいから忘れないでといった心境なのだろうか、はたまたこれ以上状況が悪くなりようがないという開き直りからか、彼は思いきった行動に出だしたのだ。
 現在の大塚は、某番組の未成年の主張の如く、屋上の上から風折に愛の告白を──しかも絶叫──していた。
 他の生徒とご近所の手前、『ごめんねー、僕、年上が好みだから〜』だなんて、にこやかな笑みと共にそれを冗談にしている風折だが、彼がご機嫌が急速に傾いていることが、良くも悪くも付き合いの深い彼らにはよく解る。
 満場一致で、この間の脚本の採用は決まったものの、智史の恐れる『NAVY』の発売日は、僅か3日後。
 まだまだ、気の抜けない時期なのである。
 合同演劇発表会の予算は後期生徒会から出される為に、例の舞台で使うトリック装置が未だ発注できないでいるのが、大きな誤算だっただけに。
 ここで、風折の機嫌を必要以上に損ねるのは、ものすごくマズいのである。
 別に原因が自分でなくとも、風折に八つ当たりされてしまう智史なのだ。
 これで、自分にも責任の一端があることならば、何かされるのは確実だ。
 その『何か』の中で、一番身近に想像できるのは、例の脚本変更だ。
 既に決定しているか否かは風折にとって全く関係がない。前回の配役同様、何が何でも変更するに決まっている。
 智史は顔をしかめた上に頭をかきむしった。
「ったく、一体どうすりゃいいんだよ」
「どうにもできんだろうな」
「お前……諦め早すぎるって。風折さんのご機嫌が良くなる方法のひとつでも考えてみろよ」
「方法はあるぞ。涼を拉致ってきて綺麗にラッピングしてプレゼントすれば一発だ」
 確かにそうかもしれないが、そんな考えが咄嗟に浮かぶ男子高校生はそうはいまい。
 伊達弘樹、微妙に考え方がマニアックな男である。
「涼しい顔して恐ろしいこと言うなよ。それ、お前がやってくれるのか?」
「それは無理だな。菓子折ならともかく、さしもの私も人間の包装は出来ないからな」
「そーゆー問題じゃないって……。言っとくけど、俺で練習はさせないからな。って、冗談はともかく、まずは大塚を何とかするのが先決だな。まったく、何がしたいんだあいつは」
 風折が姿を消した今、流石に叫ぶのはやめたものの、未だ屋上にたたずむ大塚の姿を見上げ、智史はため息とともに呟いた。
「愚問だな。この年頃の男がしたいことなんて決まっている」
「……弘樹、お前、先刻から言ってることが油っこいぞ。今がいつか知ってるか? 昼休みって名前がついてるからにゃ、昼だってことなんだぞ」
「好きな相手と両思いになりたいって話を昼に話して何が悪い。それともお前は何か別のことを想像したのか」
 そんな健全なことを考えていた訳がないのに、しゃあしゃあと言ってのける弘樹に、智史は顔を引きつらせた。
「弘樹、てめぇ、いい根性してんな」
「おかげさまで、恋人がひねくれているものですから。だがな、実際問題として、大塚が風折さんを抱きたいと思っているのは確かだと思うぞ」
「えっ? そうなの? 大塚が抱かれるんじゃなくて?」
 智史は思わず声を上げた。
 自分たちのことは、罰当たりにも神棚の上にでも上げておくとして、そもそも男同士が絡んでいる姿なんぞ想像はしたくない。
 だが、風折の本質を知っている智史としては、何事においても彼が受け身に回るはずがないと思う。
 だから、可能性は限りなくゼロに近いものの、彼らがそういう関係になるのならば、風折が抱く方だと漠然と思いこんでいたのだ。
「別に大塚は男なら誰でもいいって訳じゃなくて、風折さんが好きなだけみたいだからな。男なら最初から抱かれたいとはあまり思わんだろう。少なくとも、わたしは思わなかったぞ」
「…………」
 言われてみると、確かにそんな気はする。
 自分だって、決して最初から弘樹に抱かれたいと思っていた訳ではないのだ。
 かといって、抱きたいと思っていたかというと、話はまた別で、白状すると相手を好きだと気付いた自分の気持ちで一杯一杯で、そこまで考えが至っていなかったというのが正しい。
 これで、恋愛の進行速度がもうちょっと遅かったのならば、デートを重ねたり、キスを交わしたりしている間に、そういうことを具体的に考える機会もあったのかもしれないが、なんせ智史は告白したその日の晩に、弘樹と一気にそこまで進んでしまったのだ。
 こういう場合、どうしても、経験豊富な方に分があるのは、致し方ないのだが、人間自分のこととなると、そんなに冷静な判断は出来やしない。
 智史は少々頭に血を上らせながら弘樹に向かって尋ねた。
「じゃあ、聞くけど、俺もそう思うとは思わなかった訳?」
「思われたら困るから、ちょっと急いだんだ。悪かったな」
「悪かったなって……、随分とあっさり言ってくれるじゃないかよ」
「好意を持っている相手には案外流されやすいお前につけ込んだ感はあったからな。悪いと思ってはいたんだ。変なところで意地を張らないのがわたしの長所だ」
 弘樹の言いぐさに智史はあきれ果てた。
 ──確かにそれは長所だろうがなっ!
「自分で言うな、自分で」
「自分で言わなくて、誰が褒めてくれるというんだ。まさかお前が褒めてくれるのか」
「誰が褒めるかっ! 大体、悪いと思ってる割にはお前の態度はちっとも殊勝じゃないんだよ」
「不器用な人間なもんで」
「面白れぇこと言ってくれんじゃんか。しかも、お前の器用さを誰よりも実感している俺に向かって」
「どっちかというと体感じゃないのか」
 弘樹の指摘に、智史は一瞬だけ言葉を詰まらせる。
 悲しいかな、まったくもってそれは事実だ。
 だが、世の中にはたとえ事実でも、敢えて口にするべきではない事柄というのが、確実に存在するのだ。
 特に、こんなことで口論している場合には。
「……てめぇ、やっぱり1ミリたりとも反省してねぇんじゃないか」
「まあ、悪いとは思うが、反省まではしてないからな。ただ、覚悟はあるぞ」
「俺に嫌われる覚悟か」
「まさか。お前がわたしのことを嫌うはずがない」
 自信満々で言い切る弘樹に、智史は急速にこの口論を続ける気力を失った。
 やっと、その生産性のなさに気が付いたからだ。
 しかし、これだけは目の前の人物に尋ねずにはいられなかった。
「……改めて聞く。お前のその自信は一体どこから沸いて出るんだ」
「なら、わたしも聞こう。お前がどうしてもっていうんなら、いつでも抱かれてやるぐらいの覚悟はできている。だなんて、真顔でいう私をお前は嫌えるのか」
 真顔な上に、じっと目を見てこんな台詞を言われて、赤面せずにいられる人間がいるだろうか。
 ってな訳で、顔を真っ赤にしつつも、やっぱり素直じゃないのが智史という人間なのだ。
「……ったく、勘弁してくれよ。何で俺はこんな変な噴水の前で熱烈な愛の告白されてんだよ」
「そりゃ、熱烈に愛されてるからだろう。さてさて、わたしたちの愛が深まったことだし……」
「一人で深みにはまってろ」
「先に、一緒に呪われようと誘ったのはお前だろう。ところで、今まで忘れてたが、アレの始末はどうするんだ」
 言って、屋上を見上げた弘樹の姿に、智史も当初の問題をようやく思い出した。
 本当に智史というのは、IQの無駄遣いが好きな奴である。とはいえ、元々の数値が数値なので、少しくらい燃費が悪くても、さして問題はない。
 一瞬の間に、何かいい手を思いついたらしい智史は、含みのある笑顔を浮かべると、弘樹に向かって言った。
「始末だなんて物騒な発言はやめろ。あーゆーのは片づけちゃうに限るんだよ」
 まったく、どっちが物騒なんだか──

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