DESTINY3 (12)



 どんなことにおいても智史の仕事は早い。面倒なことをいつまでも抱えているのが嫌いだからである。
 そんな風に、あればあるだけ、片っ端からやっつけてしまうから、余計な事までをも押しつけられてしまうのだということに、智史が気付くのは、まだ随分と先である。
 という訳で、大塚が風折に屋上から恥ずかしい告白をしたその日の放課後には、智史の作戦は既に始動していた。
 結果、本日、和泉澤の教室の窓ガラスには、手形がベタベタと張り付くこととなる。
 なぜなら、男の子の興味を惹かない筈がない、真っ赤なフェラーリが校門前に横付けされたからだ。
 ロールスロイスやベンツや百歩譲ってポルシェならばいざしらず、さしもの和泉澤にもフェラーリで迎えに来るような親はさすがに居ない。
 車自体に対する興味もさることながら、その持ち主と、待たれている人物が誰なのかの方に生徒の興味は集中していた。
 そんな衆人環視の中で、小走りで校門に駆け寄って行ったかと思うと、なんの躊躇もなしにフェラーリの助手席に乗り込んだのは、2年A組の蔵本潤一だった。
 誰だそりゃ? と首を傾げる読み手の皆様に、ここで少々補足を付け加えよう。
 2学期の始業式。α文庫を片手に大塚と話していた人物。たったの1度きりしか出てきていないが、確かその相手の名が蔵本だった筈である。
 そんな筆者でさえ忘れかけていた、人物が突然出てきたのにはもちろん理由がある。
 彼が智史の立てた作戦においてのキーマンだったからだ。
 蔵本は演劇部ではなく美術部の人間であるが、大塚の親友であり、最も信頼をおいている人物でもある。
 風折が言っていたように、演劇は演ずる人間がいなくては始まらないが、舞台美術・音響・照明と裏方の人間もいなくては成り立たない。
 つまり、現在、和泉澤の舞台美術一切を仕切っているのが、蔵本なのである。

☆   ☆   ☆

「智史〜、どうしてくれるんだい」
 新たに設立する会社の打ち合わせだとかで、午後から早引きしていた風折が、智史と弘樹の部屋を訪れたのは、その日の深夜のことだ。
 涼のこととか涼のこととか涼のこととかだけを考えていたい風折は、今となってはちっとも楽しくない会社設立に関する雑用や、屋上から絶叫告白をする人間の存在などが、自分を煩わせることに対し、えらくご立腹であった。
「いえ、もう手は打ってあります」
「ふ〜ん。その手ってどんな効果がある訳。気休め程度の効果もないんじゃないの。これ、見てごらんよ」
 風折がイライラと煙草をふかしながら、ローテーブルの上に放り投げたのは、定型封筒に入っているのに、郵送するなら確実に定形外になってしまうであろう、とてつもなく分厚い封筒だった。
 見てもいいんですかという問いに風折が頷くのを確認して、智史が取り出した便せんには、400字詰原稿用紙に換算したならば30枚はあろうかという、超大作のラヴレターが書き綴られていた。
 智史は便せん1枚目で、手紙を読み続けることに挫折した。風折に対する賛美だけが延々記されていている、この手紙を読み続けたならば、絶対に今夜悪い夢を見てしまうことを確信したからだ。
 その手紙を隣に座る弘樹に手渡した後、智史は風折に向かって尋ねた。
「こんな恐ろしい手紙、一体いつもらったんですか?」
「さあね。手渡された訳じゃないから。それより、疲れて帰ってきて、ドアポストにこんなものが放り込まれているのを発見した僕の気持ちになってごらん。気分が悪いったらありゃしないよ」
「「……確かに」」
 智史と弘樹はユニゾンで応えた。
 あまり風折の気持ちに共感できることのない彼らではあるが、今回ばかりは彼の気持ちが解る。
 彼ら同様、風折だってこんな手紙を全部読んではいないだろうが、これは見るだけで疲れを倍増させる代物だ。
「確かにじゃないよ。本当に手は打ってあるんだろうね。ここ数日以内に事態に改善が見られない場合、僕にも考えがあるよ。『NAVY』の秋号の発売も近いことだしね。帰るっ!」
 最初から最後まで不機嫌なままに、弘樹が返した手紙を勢いよくゴミ箱に放り込み、風折は彼らの部屋を後にした。
 ご機嫌とりに風折を玄関先まで送りに行ったふたりは、ドアが閉まった途端に揃って大きなため息をついた。
「やっぱり、そうきたか」
 と呟く弘樹に、智史はゆっくりと首を左右に振りながら応じた。
「ああ。何で発売前の雑誌の内容を知ってるんですか、だなんて、今更聞く気にもなれないよな」
「ああ、今更だな」
 彼らは再び揃って大きなため息をついた。
 まったく、なんとも陰気くさい玄関先である。

☆   ☆   ☆

 それなりに賢い人間が集まっている学校だけあって、和泉澤の新聞局はなかなかの情報力を持っている。
 月に2回発行される通常の新聞は、教員の目にも触れるので、当たり障りのない内容で構成されているが、不定期に発行される号外は別だ。
 新聞部の秘かな財源にもなっているその号外は、事実と予想と誇張とガセネタを交えて、週刊誌めいた内容となっている。
 どれだけ無理をしたことやら、フェラーリが校門に横付けされた翌朝には、既にその号外は和泉澤校内を飛び交っていた。
 その号外の内容は、あのフェラーリの持ち主は、某コンピュータソフト会社の二代目で、金もあってルックスのいい彼が、30代半ばになっても未だ独身である理由は……、といった感じであった。
 その号外(1部50円)を片手に、智史は今日も変な噴水の前に腰掛けて、昼休みを過ごしていた。
 もちろん、その隣に弘樹が居るのも毎度のことである。
「しっかし、うちの学校の奴らって、面白いくらい思い通りに動いてくれるよな」
 作戦が成功しつつあることで、昨夜に比べると幾分気分が上昇したらしい智史は、含み笑いをしながら弘樹に話しかけた。
「娯楽が少ないからな。それにしても、お前にあんなコネがあったとはな」
「風折さん程じゃないけど、俺にだってそれなりのコネはあるさ。ただし、コンピュータ関連に限られるけど」
「それなりねぇ……」
 弘樹にはなにやら思うところがある風に呟いた。
 今回、智史が使ったコネは、作家神崎智美のものではなく、高校生神岡智史個人のものだ。
 中学生の頃から、小遣い稼ぎにワクチンソフトやら画像処理ソフトやらを手がけていた智史が、特に懇意にしていたのが、この度和泉澤で話題をさらっている男の会社なのである。
 確かに風折には及ばないものの、こんなものすごいコネをそれなり呼ばわりする智史はいかがなものか。
 加えて、高校生でありながら、既に預金通帳に8桁の残高がある智史に対し、弘樹が少々遠い目をしたくなるのも致し方のないことだ。
 だが、そんな弘樹の心境は、今回の作戦に全く関係ない。
 智史が昔作った画像解析ソフトの商品化を認めることと引き替えに、協力を仰いだフェラーリの彼──西村望(にしむら・のぞむ)──は、別段そんな趣味はないのに、自分がゲイだという噂を煽って楽しんでいるような、いたずら好きな人間だ。
 流石に高校生に手を出してるって噂が流れるのはヤバいだろと苦笑しながら、それでも智史の頼みを快諾してくれた。
 それに、蔵本という役者を加えて、智史が立てた計画はこうだ。
 智史の見るところ、大塚の風折への想いは、恋というより憧れに近い。
 智史と同じような仕打ちを風折にされて、それでも彼が好きだと言い切れるならばともかく、所詮大塚は有能な生徒会長の上っ面を見ているに過ぎない。
 どんなにひいき目にみても、恋愛に長けているとは思えない大塚のことだ。今までは接点が全くなくて、漠然と憧れていたに過ぎない風折と、合同演劇発表会がらみで言葉を交わすことができて、その想いに火がついてしまったのだろう。
 まあ、その火に油を注いだ智史も悪いと言えば悪いのだが、自分が注いだのは油であってニトロではない。
 それを勘違いして勝手に急加速してしまった大塚に、今更智史が何を言ったところで、聞く耳を持たないことは明白だ。
 そして、これがポイント(重要、試験に出る(嘘))なのだが、蔵本は大塚よりはよっぽどうまく自分の恋心を隠してはいるが、その演劇部長に惚れている。
 その気持ちに気付いているか否かはともかく──確実に気付いていないと智史は踏んでいるが──蔵本にたっぷりと好意を与え続けられていた大塚が、その方向が変わったことに不満を感じるのは確実だ。
 そんな相手がいるのなら、何故親友の俺に話してくれなかったのだろうから始まって、蔵本の動向が気になって気になってしょうがなくなれば、作戦は成功したも同然。
 ついでに、風折と蔵本、そのどちらを失うことが自分にとってダメージが大きいかを大塚が考えてくれたなら、万々歳。
 最終的にどちらに天秤が傾くかは、火を見るよりも明らかだからだ。
 ってな訳で、やり手の女プロデューサーをも見事に丸め込んだ智史の舌先は、友人の痛い姿を見るのはお前も辛いだろうとかなんとか言って、蔵本を納得させたのである。
 朱に交われば赤くなるといったところであろうか。最近、地味にやり口が風折に似てきた智史であった。

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