DESTINY3 (14)
出来る限りのことをしてみて、それでも駄目なら、急におとなしくなる。 これは、智史の幼い頃から変わらない特徴だ。 幼稚園の頃、仲の良かった友達と一緒の小学校(公立)に行くと頑張って父親に却下された時、小学生の頃、日本人なのになぜかまともな日本語が通じない担任に当たった時、中学生の頃、両親が離婚することになった時。 その全てが自分の力ではどうすることも出来ないと実感した時点で、智史は相手が気味悪く思うくらい、素直に言われたとおりにするようになるのだ。 だから、合同演劇発表会で霞ヶ丘側から上演策変更の提案がなされ、風折以下和泉澤側のメンバーの殆どがそれに同意した時、黙っていた。 前脚本を仕上げた実績をかわれ、その脚本化が弘樹に振られた時にも黙っていた。 更に、実際本人に書かせたならば、確実に文語調の脚本にしてしまうだろう弘樹に変わって脚本もあげた。 あげくに、その脚本の初読み合わせの段階で、台詞まで完璧に入っていた(智史は脚本を机の上に放り投げたまま全く開かず、自分の台詞を一字たりとも間違わなかった)彼は、合同演劇発表会関係者全員をおののかせた。 こんな時、智史の顔に表情というものは全く無くなる。それはもう究極に。 大抵の場合、ヤケになっていても、茫然自失に陥っていても、それなりの表情というものが出るものだ。 しかし、智史にはそれがない。 親しくない者が見たならばいたって普通に見えるのだ。 だが、それは親しくない者にとってそう見えるだけなのだ。 智史の様子が普通ではないと判る人物。 それは、この和泉澤学園高等部内にも存在した。 2人ばかり── ☆ ☆ ☆ 時間は遡る。智史が風折の言葉に意識を失った日の翌日深夜、その日中何を話しかけてもまともな答えを返さず、あげくに学校が退けるなり仕事部屋に籠もった恋人の様子が気になって、弘樹はその部屋のドアを開けた。 相手が一人でいた様子ならば、放っておくのが弘樹の主義ではあるが、今回ばかりはその相手が違う。 仮にも、いや、本格的に弘樹は智史の恋人なのだ。 無理矢理口を開かせることまではしないまでも、様子ぐらい伺いたくなるのは当然だ。 自分自身にそんな言い訳をして明けた仕事部屋のドアであったが、弘樹の目に飛び込んで来たのは予想外の光景だった。 コーヒーにうるさい智史であるが、何故か原稿執筆中はインスタントコーヒー専門になる。 2リットルの湯沸かしポットの中に直接粉をぶち込むという大胆な方法で作られたコーヒーは、執筆期間中の智史の必需品で、その後ポットを洗う弘樹に手間を掛けさせる究極の一品だ。 弘樹がドアを開けた時、智史は丁度、そのポットからマグカップにコーヒーを注いでいる最中で、立ち上がった彼の愛機、オプション満載のパワーマックG3(OS9.21)のモニターには、彼がいつも使っているテキストエディタの画面と、それに打ち込まれた文字が表示されていた。 つまり、智史は原稿執筆中なのだ。 しかも、『風間は橘の手首を掴んだ。そして、視線を反らす橘の目を強引に覗き込むと、静かに告げた。「信哉、逃げないでくれ。僕には君が必要なんだ……」』だなんて記述されているその原稿は、担当編集者が熱望しており、だが智史は全く書く気がなさそうだった風間と橘の関係を読者に誤解させる内容のものらしい。 智史の頭の回路がどういう風につながってこんなことをしでかしているのか、全く理解出来なかった弘樹は、彼が部屋に入ってきていることにも気付かず、再びモニターに向かった恋人の背中に声をかけた。 「智史……」 その呼びかけに、驚いた様子もなくゆっくりと振り返ると智史は、弘樹が自分の耳を疑わずにはいられないような発言をしてみせた。 「ああ、弘樹か。OK、後でそっちの寝室行くから、キリのいいところまで書かせてくれ」 当たり前のように言って、捻っていた上半身を戻し、カタカタとキーボードを打ち出す智史に、弘樹はいよいよ困惑した。 「OKって……」 そう、OKもなにも、自分は智史の名を呼んだだけだ。 それとも何か? 弘樹が智史の名を呼んだなら、それはHのお誘いだという世にも楽しいルールが彼の知らない間に出来たというのか? ──そんな訳があるか。 珍しく弘樹は自分にひとり突っ込みを入れた。 大体そんな反応をされたら、弘樹がいつ何時もそんなことだけを考えている色欲魔神のようではないか。自分ががそんなことを考えているのは、せいぜい1日の内15時間程度(せいぜい?)だ。 とにかく、例え弘樹が1日の62.5%──つまり、起きている時間の殆ど──をそんな妄想に費やしていたとしても、現在はそうではない。 単純に様子がおかしい智史のことが心配なのだ。 弘樹は誤解を解くため、再び彼の名を呼んだ。 「智史」 「もう終わる。だから、ちょっと待てって」 今度は振り返りもしない智史に、弘樹は小さくため息をついた。 「だから、そうじゃないだろう」 「何? ああ、寝室じゃなくて風呂の方がいいのか。なら、尚更後から行くよ。お前に付き合ってたら俺がのぼせてそれどころじゃなくなる」 「智史っ!」 弘樹が声を荒げると、ようやく智史はモニターから目を離し、彼の方へ向き直った。 ようやくまともな話ができそうだと弘樹が思ったのも束の間。 智史はまたしても今までにない行動に出た。 弘樹の頬に両手を当て、自分の方から口付けてきたのだ。 「あんまり我侭言わないでくれ。今、俺はお仕事中なんだ。素直に風呂で待ってろ。なっ」 もう一度軽く口付けをくれた後、何事もなかったかのように仕事に戻る智史に、弘樹はこれ以上食い下がる術を持たなかった。 結局、仕事部屋を出てから他にするべきことも思いつけなくて、頭にタオルを乗っけて風呂に浸かっていた弘樹の元に智史がやってきたのは、それから20分後のこととなる。 やってきたばかりか、いつになく積極的な智史に、ついうっかり手を出さずにはいられなくなった弘樹ではあるが、それでも頭の片隅で思わずにはいられない。 ──これは本当に智史なのか? ☆ ☆ ☆ 時間は依然遡ったままだ。「ってな訳でさ、僕のお願い聞いてくれるよね。智史くん」 「ええ、いいですよ」 智史が弘樹をものすごく困惑させた、その翌日。 彼は、例によって風折迅樹現生徒会長様に生徒会長室(生徒会室にあらず。生徒会室のそのまた奥に存在する生徒会長専用の部屋だ)に呼び出されていた。 そのお願いの内容はいかにも風折らしいものだった。 近々智史が彼から引き継ぐことになっている、和泉澤高等部生徒会長職。 その役職を引き継いだものが、一番最初にすることになる仕事は、他の生徒会役員を指名することだ。 この事実だけでも、和泉澤の生徒会長の権力がいかほどのものなのか想像に難くないだろう。 本来ならば智史の一存で決められる筈の役員選択。その人事に風折は口を出してきたのだ。 どうせ弘樹を指名するんだろうと言わんばかりに空白にされた副会長職以外の役員には、全て風折の言うことならば一も二もなく従うという人間ばかりを集めたリストを智史に手渡して。 しかも、どう見たってその人選は、風折ならともかく、智史にとって率いりやすい生徒会になるとは思えないものだ。 つまりこれは、合同演劇発表会の演目変更だけでは飽きたらず、風折が智史にしかけた意地悪だ。 とはいえ、風折は彼らには智史の言うことを聞くように既に言い含めてある。 何故そんな面倒なことをするのか。 理由は簡単。楽しいからだ。 智史が嫌がっている顔を見るのは、風折にとって最高のストレス解消法だ。 今回も「そんなの横暴ですっ」とかなんとか叫ぶのを楽しみにしていた風折は、智史の返答に拍子抜けしえしまう。 「いいですよって……智史、君、一体どうしちゃった訳?」 「どうもしません。だって、風折さんが選んだ人達なんでしょう。俺に文句の付けようがある筈ありません」 「……って、そうじゃないでしょ」 「えっ? ああ、いいですよだなんて言い方は失礼でしたね。申し訳ありません。風折さんに優秀なスタッフを用意してもらえる俺はすごく恵まれていると思います。これでいいですか?」 「……いいと言えばいいし、良くないと言えば良くないけど……」 「すいません。良くないところがあれば教えて下さい。訂正します」 「…………いや。特に訂正するべきところはないよ」 「ありがとうございます」 「もう、下がっていいよ。副会長には弘樹を指名するんだろ」 「多分。それでは失礼します」 頭を下げて会長室を出る智史の背中を見つめていた風折は、ドアが閉まった途端、小さく呟いた。 「訂正するところはないんだけどね……」 確かに、最終的には智史にそういう台詞を言わせようと思っていた風折であるが、自分が追いつめない内にさっさと言われてしまったのでは、その楽しさは半減する。 いや、楽しさが半減するどころか、微妙にストレスが増加するくらいだ。 ──もしかして、それが目的か? 窮鼠猫を噛むとも言うし、あながちあり得ないことでもないと考えた風折は、後にその考えを改めることとなる。 様子がおかしい智史を心配するあまりか、眠れていない様子の弘樹の目の下のくまがどんどん濃くなっていったからだ。 ──やりすぎたか? 風折がそんな不安を抱きつつ迎えた合同演劇発表会の打ち合わせ当日。 やはり尋常ではない智史の様子に、さしもの風折も3センチ(単位がミリでないだけに、文字通り桁違い)程良心が痛んだ。 改めて言う。 それは、智史が素直であるのと同じくらい、本当に珍しいことなのである。 |