DESTINY3 (20)
「智史、俺達、別れよう」 「はっ?」 この問題に関し、結論を出したのは弘樹の方が先だった。 なんでいきなりそんな話になるのか解らなくて、口を開けたまま固まっている智史に向かって弘樹は続ける。 「そして風折さんと付き合え。そうしたら、お前も蔵本と同じ状況になって、少なくとも俺と付き合っているよりは安全だ」 「…………」 智史は取りあえず開けていた口を閉じた。 あまり長いこと口を開けっぱなしにしていてゴミでも入ったら大変だし、なんかもう、ため息をつく気にさえならなかったからだ。 だったら、口は閉じているに限る。 弘樹の一人称が《俺》になるのは、気を抜いている時か、余裕がない時のどちらかだ。 そして、今の場合は後者。 となると、弘樹は弘樹なりに一生懸命色々なことを考えて、苦渋の選択としてこの結論を出したのは解る。 智史にしたって、ここまで来たら、どうにかこうにか風折を引っ張り出す以外に手はないな、と考えてはいた。 だが、智史が考えていたのは、どんな交換条件で風折にご出馬願うかだ。 西村の会社に就職することを決めてしまった今、同じ条件は使えないし、たとえ使えたとしても、風折ならば「君、自分が役に立つとでも思ってるの? あつかましいにも程があるよ」と智史の提案を切って捨てるに決まっている。 以前、弘樹が言っていたことじゃないけれど、いよいよ涼を拉致ってくるしかないかな、などと考えが脱線しかけていたところに、いきなりこんな提案をされれば、無言にもなりたくなるというものではなかろうか。 普段は血液型で人の性格を決めつけることなどしない智史だが、弘樹のこういうところを目の当たりにすると、こいつってほんっとにB型だよなぁ、だなんて全国のB型の方々に失礼なことをしみじみと思ってしまう。 だって、この提案、智史と風折の意思を100%をぶっちぎって無視しちゃっている。 まあ、今回は普通に(5万歩とかじゃなくて)100歩譲って、智史の意思は無視されてもいいことにしよう。 しかし、風折の意思は無視していいとは思えない。 というよりも、彼の意思を無視していては、弘樹の提案自体が成り立たない。 それなのに、自分が思っていることは、全ての人間が同じように思っているという感覚で思考を進めてしまうのが弘樹という人間なのだ。 いや、弘樹には弘樹なりの言い分があるんだろう。 2時間くらいかけて、じーっくりと話を聞けば、弘樹がどういう流れでそんなことが可能だという結論に達したのか、共感できずとも理解はでぐらいは出来るとも思う。 だが、しかし。 智史が今するべきことは、そんなことじゃない。 まずは、弘樹の提案にレコードプレーヤでCDを再生するくらいの無理があることを本人に納得させ、更には、きちんと実行可能な作戦を考え出すのが先決だ。 「何とか言ったらどうだ智史。確かに、わたし以外の男と付き合うだなんてことを考えられないのは解るが、背に腹は替えられないだろう」 いつまでも無言のままでいる智史に業を煮やしたのだろう。弘樹が(多分、本人的には)智史を納得させにかかる。 余裕のない割に、結構ずうずうしい発言をしているのは、流石弘樹である。 まあ、事実ではあるが。 智史は小さくため息をつくと、軽く首を左右に振って、弘樹に尋ねた。 「あのさ、弘樹。ここで俺が、よし解ったとかって言ってさ。その後に、風折さんの部屋に行くだろ。そんでもって、弘樹とは別れてきました、だから俺と付き合って下さいと言ったとしてだ。あの風折さんが、OK、じゃあ付き合おう、とか言うと思うか?」 「思う」 「何でだよっ!」 「面白いから。あの人はお前が嫌がる顔を見るためなら、お前を好きな振りのひとつやふたつ簡単にする。おまけに背中がもぞもぞするような愛の言葉も囁いてくれるぞ、きっと。やっかいごとを押しつけたわたしへの嫌がらせも兼ねてな」 「いくら風折さんでも、そこまで身体を張った嫌がらせはしないっつーの。それに、なんで風折さんにその計画を立てたのがお前だって解るよ」 「解る。こんなことを考えつけるくらいなら、お前は風折さんにあんなに遊ばれてない。面と向かって逆らうんじゃなくて、逆に風折さんのことが好きな素振りを見せた筈だ。風折さんが自分に恋愛感情を抱いている人間とは距離を置いていることは、わたしだけじゃなくて、お前も知ってることなんだから。それが解っていて、そうしなかったということは、思ってもみたことがなかった証拠だろう」 「また、勝手なことを。言っちゃなんだが、俺ってこれでも人の気持ちを考える人間な訳。お前がいい気持ちしないの解ってて、そんなこと出来るはずないだろ」 「それは理由になってない。わたしと付き合う前ならそれは可能だった筈だ」 「可能でも、ちょっとでも好意を持っている相手に誤解されたい筈ねーだろっ」 「なら、わたしが転校してくる前なら? 10ヶ月っていうのは、それを考えつくには充分な時間だぞ」 「…………」 智史は再び黙った。 弘樹のいうことを認めたくなくて、ついつい頑張ってしまった智史だが、言えば言うほどドツボにはまっていくのが解ったからだ。 これ以上語ったならば、弘樹と出会う前の孤独な自分が、嫌だ嫌だと言いつつ友人としての風折を失いたくなかったという、絶対に口に出しては言いたくない事実を弘樹の口から語られてしまうかも知れないから。 今となっては考えるだけで恐ろしいけれど、弘樹が智史の目の前に現れていなかったら、もしかすると自分が風折に惹かれる日がくることがあったかも知れないと思うから。 きっと弘樹は知らない。 孤独な人間の弱さを。 一番よく話しかけてくれる。それだけでその心地よさを勘違いしてしまいそうになる切なさを。 だけど、これだけは断言できる。 自分が弘樹を好きな気持ちは勘違いなどではないことは。 同居しているからこそ解る、弘樹のいいとこ悪いとこ。その全てを含めた上で、自分は彼を手に入れたいと思ったのだ。 自らが行動を起こしてまで。 だが、これを他人に説明するのは多分無理だ。 智史がどんなに違うと主張したところで、そして弘樹が表向きは解ったと言ってくれたところで、心の奥底で自分とのことも勘違いではないのかと疑われてしまうのだ。 全世界の人間を敵に回してもいい、けれど、弘樹に疑われるのだけは嫌だ。 そう思う自分に、智史は俺はここまで弘樹にはまっていたのかと苦笑する。 それで、よくまあ、いつか別れなくてはならない時が来るのだから、一定の距離は保って置こうだなんて思えたものだ。 いや、それが恐ろしかったからこそ、最悪の状況を常に心に留めておくことで、その時のショックを和らげようとしていたのだろうか。 ──つーか、その最悪の状況って今? そう、理由はどうあれ、今の自分は弘樹に振られている。 弘樹が実家に呼び戻されるだとか、他に好きな人間ができるだとか、自らが身を退くだとか、色々な別れのシチュエーションを想定したことはあったけれど、さしもの智史の頭脳をもってしても、この展開は予想外だった。 智史が物事に咄嗟に反応できるのは、様々なことに対して常々頭の中でシミュレーションしているからで、決してアドリブやハプニングに強いからではない。 だから、ここまで本当に徹底的に嫌になるくらい予想外の展開に出くわすと、どう対処して良いか解らない。 ──それにしても、理屈で弘樹にやりこめられる日がこようとは…… と、智史がため息をつきかけた時だった。 「黙って聞いていれば、勝手に人を巻き込まないでくれる。すっごく迷惑なんですけど」 どう考えたってここに居られる筈のない人間の声が、弘樹と智史の頭上に振ってくる。 見ると、いつの間に──というかどうやって──入ってきたのか、ふたりの座るソファの背後に風折が立って居た。 「「かっ、風折さん?」」 今の今まで別れる別れないという話をしていた割には、弘樹と智史の台詞は綺麗に重なっていた。 「そう、風折さん。見れば解るでしょ」 確かにおっしゃるとおり、見れば彼が風折だということは解る。 だが、弘樹と智史に限らず、誰だってそんなことを教えて欲しくはないだろう。 「ええ確かに見れば解ります。ですが、風折さん。わたしの記憶が確かならば、ここのドアってオートロックな筈だったんですが」 弘樹の言葉に智史は頷いた。 そう、聞きたいのはそこだ。 いつだって、時間帯など全くおかまいなしに、彼らの部屋のチャイムを鳴らしまくる風折であるが、流石にピッキングの心得はないらしく、今まで勝手に上がり込んできたことはなかった。 それなのに、何故か、風折は今ここに居る。 まさか、最近になってピッキング技術を取得したのだろうか。 「オートロックだって、鍵があれば開くに決まってるでしょ。君たちがゴタついてるから、今まで引き継ぎ見合わせてたんだけど、第1寮の寮長は生徒会長が兼任するってこと、忘れたとは言わせないよ。そして、寮長ってのは万が一の時の為に、マスターキーってのを預けられてるんだな、これが」 しゃあしゃあと言ってのける風折に、智史は今までへこんでいたことも忘れて食いついた。 「それって職権乱用じゃないですかっ!」 「そう、完璧な職権乱用。でも、このお忙しい風折迅樹様がわざわざ間抜けな後輩のために知恵を絞ってあげたんだから、ちょっとぐらい君たちを驚かせたって文句を言われる筋合いないよ」 ものすごく論点がずれているような気がするが、ここまでキッパリと断言されると、そんなものかと思ってしまうから、人間の心理というのは本当に不思議である。 黙り込んだ弘樹と智史を見て、満足げに頷くと風折は続けた。 「じゃあ、取りあえず寮長の引継を先にする。その1、このマスターキーの保管すること。その2、緊急時に寮生の人数を確認して安全な場所まで誘導すること。以上、引継終了」 「はあ」 風折にたたみ込まれ、智史は気のない返事をした。 もう、いい加減、それのどこが引継なんですかという突っ込みは入れたくなくなっていたからだ。 「そして次。弘樹と別れる必要もなく、この僕に迷惑がかかることもなく、智史が安全でいられる方法。それはコレ」 と言って、風折が取り出したのは、涼が誘拐された時には、ひとっつも役には立ってくれなかった、発信器の受信装置であった── |