DESTINY3 (23)



「で、お前はなんで出戻って来てるんだ?」
 という智史の台詞をきっかけに、涼が語った話の内容は大層面白いものだった。
 智史の母と姉も一風変わってはいたが、さすがに涼の両親程キャラは立っていない……と思うのは、単に身内ビジョンなのだろうか?
「それにやっぱ、気ままな生活に慣れちゃうと、親と住むのは苦痛ですよ〜」
 とか、にこにこしながら涼は語っているが、普通他人と住む方が苦痛だろう。
 これは単なる想像ではなくて、智史が自ら実感したことだ。
 相性もあったのだろうが、弘樹は同居人としては、最初からほぼ完璧で、その生活習慣の違いから相手を苛立たせることは殆どなかった。
 仕事中に部屋を散らかすのだけは勘弁して欲しいと思うこともあったが、仕事が終われば、きちんと自分で片付けてくれるので、最近は平気になった。
 それでも、やっぱり他人が同じ空間にいるというのは、多少なりとも気を使うものだ。
 心の中はともかく、互いの身体を全て見せあっている恋人同士の自分たちでさえそうなのだ。
 まだ、単なる友人という関係に過ぎない風折との共同生活がを涼がそんなに快適に感じるのは、きっとその部屋の主の血の滲むような努力のたまものに違いない。
 それなのに、涼が戻ってきたというだけで、あんなに機嫌が良くなる風折は、本当に目の前のバンド小僧にベタ惚れなのだろう。
「で、お前、いつまでここに居られるんだよ」
「神岡さん、それあんまりじゃないっすか。戻って来た途端、いつ出てくんだって聞かれたら、さすがの俺もへこみますよ〜」
「誰もそんなこと聞いてないだろっ! 出てって欲しくないけど、そういう訳にもいかないだろうから、いつまで居られるんだって聞いてんじゃんかっ。日本語くらい正しく聞きとれっ、仮にもお前作詞家の端くれなんだろ。それに、敬語はやめろって何回言わせりゃ気が済むんだっ。風折さんにタメ口きいてるお前に、敬語なんか使われたらこっちの胃に穴が空く。そんでもって、こんなに怒ってばっかりいたら、また俺が風折さんに睨まれるじゃないかよっ!」
「でも、神岡さん…」
「智史だっ! それが嫌なら名字を呼び捨てろ。そうじゃないなら、俺はお前を西沢様と呼んでやるぞ」
「いやっ、神岡さん。それは勘弁して下さい」
 この期に及んで、さっぱり言葉遣いを訂正する気のないらしい涼の態度に、智史はこめかみに青筋を立てた。
「お前なぁ〜、いい加減に……」
「はい、そこまで。飯だ。今すぐテーブルにつかない奴は叩き斬る」
 大きく息を吸い、原稿用紙1枚半分くらい涼にまくしたててやるところだった智史は、突然割って入った弘樹に出端をくじかれた。
 つい先刻まで自分の隣で涼の話を聞いていたはずなのに、いつの間にキッチンに立ったものか。気付けば確かに弘樹ご自慢料理、早くてうまい、タラコバタースパゲティの匂いが漂ってきている。
 その匂いをかいで、智史は腹が減っていたことと、風折が涼をこの部屋に送り込んできた理由を思い出した。
 自分の帰宅が遅くなる時、風折が涼を智史たちの部屋に寄こすのは、涼の食事の面倒をみておけということに他ならない。
 風折がどんな権力を振りかざしたのかは知らないし、知りたくもないが、全くの部外者であるにも関わらず、涼はこの寮内にフリーパスで出入りすることができる。
 まあ、そもそもの人数が少ない第一寮内、玄関先に立っているガードマンさえ丸め込んでおけば、大した問題はないということなのだろう。
 そして、風折はそんなことくらいお茶の子さいさいでやってのける男だ。
 だが、噂好きのおばちゃんが現場を取り仕切っており、更には教員も出入りする階下の食堂はそうもいかないらしく、涼がそこを利用することはない。
 では、涼の食生活は一体どのようになっているのか。
 智史も弘樹も実際に目にしたことはないが、どうやら風折が愛する彼の為に自ら腕をふるっている様子なのだ。
 大企業の御曹司にここまで尽くさせる西沢涼、風折とは別の意味で、恐るべし。
「食品添加物満載なコンビニ弁当なんて涼に食べさせられる筈がないでしょ。それとも何? 君たちは涼の健康が心配じゃないの?」
 と風折にぐっと顔を近づけられてその迫力に逆らえる人間などこの世にいる筈がなく、何かが間違っていると首を傾げながらも、涼がここに越してきて2ヶ月も経った頃には、すっかりこの状況が定着していた。
 つまり、風折が戻ってくるまで涼を腹ペコのままにしておこうものなら、それこそ何をされてしまうか解らないという訳だ。
 更には、熱い物は熱い内に冷たい物は冷たい内に食べるのを良しとする弘樹は、出来上がった料理をすぐに食べてやらないと、いたくご機嫌が斜めになる。
 一度、姉からの電話が長引いてしまい、弘樹が折角作ったオムライスに冷たくなるまで手を付けられなかった智史は、その時、後でえらい目にあった。
 流石に叩き斬られることはなかったが。
 それに、考えてみれば、こんなのを相手に怒れば怒るだけ、自分の時間と体力を無駄にするだけなのだ。
 智史は、小さくため息をつくと、涼に向かって言った。
「ってな訳で、一時休戦。斬られる前に取りあえず飯食うぞ」

☆   ☆   ☆

「前から思ってたんだけど、伊達さんも料理うまいですよね」
 フォークではなく割り箸を器用に操ってパスタを口に運びながら、涼が弘樹に向かって話しかけた。
「無理して誉めたってお代わりはないぞ」
「そんなんじゃないっすよ。マジ美味いですって」
「仕方ないな。本当は夜食用に残しておいたんだが、特別に盛ってやろう」
 言うと、電子レンジの中から耐熱容器に入ったパスタを取りだし、弘樹は「いえっ、そんなつもりじゃ」とかなんとか言っている涼の皿にパスタをてんこ盛りにした。
「こんなん、食えませんよ〜」
「出されたものは残さず食うのが礼儀というもんだ。気合いで飲み込め気合いで」
「無茶苦茶っすよ〜」
「なら、こうしよう。お前がわたしを弘樹と呼んで敬語を使うのをやめたら、半分引き受けてやる」
 弘樹の言葉に一瞬あっけにとられた表情を浮かべた涼だが、次の瞬間彼が大爆笑する声がダイニングキッチンにこだまする。
「あっ、あはは…………。ひぃ〜、伊達さ…じゃなかった弘樹、あんたって面白すぎ〜。こんな脅迫初めて見た……っていうかされたよ。あはは〜、やめる、敬語使うのやめるから、このパスタの山、半分貰って。あははは………」
 完全にツボにはまってしまったらしく、現在の涼はパスタを食べるどころか、息をするのもままならない様子である。
 そんな涼を後目に、弘樹は涼しい顔で涼の皿からパスタを自分の皿に盛り直しており、智史は苦々しい表情でその様子を見つめていた。
 智史が苦々しい表情をしているのは、自分が散々言っても効果がなかったのに、涼が弘樹の言うことにあっさり従ってタメ口で話し始めたからではない。
 弘樹の実力行使──というか無茶苦茶な理論のゴリ押しを初めて他人事として見てしまったからだ。
 端から見ていれば、こんなやり方で丸め込まれる奴は、確実に間抜けな奴に見えるということが解ってしまったから。
 するってーと、こんな感じで常々弘樹に丸め込まれている自分は、涼なんかよりももっと間抜けだということになる。
 はぁ〜〜〜。
 と大きなため息をつく智史は、自分が弘樹に丸め込まれてしまうのは、惚れた弱みというヤツだという考えに至っていない。
 安心していいぞ、智史。
 弘樹に惚れてもいないのに、こんなんで丸め込まれる涼の方が君より確実に間抜けだ。

☆   ☆   ☆

「神岡さん、ちょっと相談に乗って欲しいんですけど……」
 弘樹が風呂に入ってしまった為に、一応客である涼を一人で放り出しておく訳にもいかず、智史は最近はお蔵入りにしていたラップトップのワープロをリビングに持ち出し原稿を書いていた。
 それで、涼は何をしているのかというと、TVでやっている洋画なんかを見ていた。
 ならば、一人にしておいても問題はないようなものだが、そうもいかないのが風折の後輩という立場の智史の辛いところだ。
 智史が現在執筆しているのは、先日決まった漫画の原作でちょっとSFかかったものだ。
 スタートレックと学園物を足して2で割ったものと表現すれば多少はイメージが伝わるだろうか。
 小説でも同じことではあるが、連載漫画の原作となると、それよりも更にツカミが大切で、最初の3回で作品の今後が決まってしまうと言っても過言ではない。
 取りあえず、その3回分までは既に原稿を上げ、編集にOKを出して貰ってはいたが、漫画の雑誌連載が始まるのは年明け早々。
 智史としてはそれまでに少しでも貯金を作っておきたいところだ。
 そんなこんなの連載4回目。作品の設定をある程度読者に理解してもらう為にも、次の事件を起こす前に、ここいらでちょっと登場人物の日常を挟み込んでおくのが得策かと、文章を書くというよりはネタ出しをしていた智史は、涼の言葉に画面から顔を上げた。
「相談? 作詞のことか?」
 智史の言葉に涼は頷いた。
 というか、聞くまでもなく、涼が智史に相談することなど、それ以外に考えられない。
「で、俺に何をしろと?」
「何っていうか……。取りあえず、コレ、読んでみて貰えません? 俺、次ダメ出し食らったら、作詞くびになっちゃうんですよ。あっ、こっちは曲が入ってるMDです」
 鞄からレポート用紙とMDウォークマンを取りだし、涼は智史に手渡した。
「曲のって、コレ新曲だろ。部外者に見せたり聞かせたりして大丈夫な訳?」
「まあ、工藤さんにバレたら怒られるでしょうけど、少なくても神岡さんが彼女に告げ口することはないでしょう。それに、なんていうか、意見聞きたいんですよ。自分が誰かに伝えたえたいことを歌詞にするってのは、こんなんでいいのかなぁ〜って、考えれば考えるほど解らなくなってきちゃって」
「それなら、バンド仲間に聞いてみたらどうだ? ああ、意地悪してるんじゃないぞ。なんつーか、俺、作詞のプロってわけじゃないし……」
「それが……その歌詞、奴らに伝えたいことなんですよね。さすがに面と向かってどう思うとは聞けませんよ」
「……確かにな。解った。見てやるよ。但し、有効な助言をしてやれなくても俺を恨むなよ」
「いえっ、そんなことは……」
 言い訳している涼にかまわず、智史はMDを再生して、レポート用紙に書かれた歌詞を眺めた。
 それは──素人意見ではあるけれど──曲にもしっかり乗っていて、現在の涼の気持ちが素直に現されている良い歌詞だと智史は感じた。
 念のためにもう1回曲と共にその歌詞を読み直して、智史は涼に告げた。
「いいんじゃないの」
「って、えっ? あの……」
 智史の素っ気ない言いぐさに、涼に戸惑いの表情が浮かぶ。
 自分の言いたいことは全て言ったと言わんばかりに、ワープロ画面に視線を戻した智史の頭を、丸めた雑誌でパコンと叩いたのは、風呂上がりの弘樹だ。
「それで、お前が本当にその歌詞をいいと思っているのが解るのは、わたしぐらいなもんだ。もうちょっと素人に解りやすいリアクションをしろ」
「ってーな。本気でいいと思ってるものをいいって言って何が悪いんだよ」
 いきなり頭を叩かれた智史は、両手で頭頂部を押さえながら弘樹に向かって反論した。
「言うのは悪くない。問題はその言い方だ。他人が聞くと全く心がこもってないように聞こえるぞ」
「じゃあ、なんだよ。俺に『うんっ、コレ、すっげーいいよ涼。俺、感激しちゃった』とでも言えってか? それこそ嘘くさくなるじゃないかっ」
「誰もそこまでやれとは言っていない」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「他人がどう思うかまでは解らないけど、少なくても俺はいいと思う。これで工藤さんや杉崎さんが駄目だというなら、俺に出来るアドバイスはない。これでいいだろ」
「……お前なぁ〜」
 智史は呆れた口調で呟いた。
 智史だって、そんなこと位は解っていたのだ。
 だけど、今更涼に面と向かってそれを言ったところで、言い訳にしか聞こえないだろうと思ったから、弘樹との会話でさりげなくそれを伝えようとしたのに、そんな風に綺麗にまとめられてしまったら、智史の立場というものがない。
「ってな訳で、涼。智史はその歌詞をすごくいいと思っているぞ。解りにくいリアクションで悪かったな」
「いいえ。大丈夫です」
 ──なんで、お前が謝るよ。そして、何が大丈夫だってんだ……
 とかなんとか、心の中で悪態をつきつつも。
 弘樹が自分を理解してくれているのが、やっぱり嬉しいと思ってしまう自分は、既に終わっているとも思う智史であった──

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