DESTINY3 (25)



「面白れぇこと言ってくれてんじゃんか……」
 漫画やドラマや小説では案外と良くあるシチュエーションではあるけれど、実際にはそうよくあることだを思えない状況に、現在置かれてしまっている智史は、自分の耳に届くのがやっとの小さな声で呟いた。
 よりによって、文化祭も終わり、新しいソフトの開発にも目処が立ち、更には不穏な考えを持つ者をほぼ風折が立てた予定通りに陥れ、やっと原田から解放されて一息つけると思ったこの時期に。
 わざわざ人気のない場所を選んで交わされているその会話を、木陰で昼寝をしていた自分が耳にしてしまうだなんて、こんな偶然嘘くさすぎると智史は思う。
 ましてや、会話をしている人物の片割れが、自分の恋人だとくれば尚更。
 しかも、その会話相手が、比喩ではなく実際に弘樹に向かって白い手袋を投げつけているとくれば、それはもう、現実世界で起こってはいけない部類に入る出来事だ。
 ──つーか、今時映画でも、そんな場面出てこねーよっ!
 と、心の中だけで激しく突っ込みを入れると、智史は盗み聞きをしていたのがバレない内に、そそくさとその場を後にした。

☆   ☆   ☆

 何故、弘樹が某A君に白手袋を投げつけられるに至ったか。
 それには、和泉澤・霞ヶ丘の両校が、それぞれの行事を終え、合同演劇発表会の練習に本腰を入れ始めたことが大きく関わってくる。
 舞台脇にプロンプターを置きながらも出演者がその手に台本を持たずに稽古をするようになって1週間ばかり経った頃。衣装合わせと着替えの時間を計ることを目的として、出演者全員が本番の衣装を身につけてランスルーが行われた。
 そんなもん本番だけでいいだろうが、という智史の意見を、風折と霞ヶ丘の前生徒会長・白取清花は笑顔できっぱりと無視し、第一幕終了後、彼の身柄を霞ヶ丘の女の子部に引き渡した。
 霞ヶ丘女学院・女の子部──これは若妻会や婦人会とはその活動内容が全く違い(当たり前)、その活動内容はは自分たちが女の子であることを満喫することである。
 解りやすく言うならば、メイクやファッションを日々研究し、常に可愛い自分でいられるように頑張りましょう♪ ということを目的としている部活動なのだ。
 霞ヶ丘で一番メイクに精通している集団──それはつまり、合同演劇発表会の舞台メイクを担当しているということを意味する。
 劇中劇を上演するという形を取っているこの舞台で、一番問題になるのが、他の誰でもない智史の着替えとメイクにかかる時間だ。
 第一幕と第二幕の幕間時間として取れるのは、最大限に見積もって15分が限度。
 その短時間で、智史の女装をどれだけ完璧に仕上げられるかが霞ヶ丘女の子部の腕の見せ所。
 そして、彼女らは、その実力を遺憾なく発揮した。
 14分と45秒というギリギリまで粘って仕上げられた智史の女装は、そのメイクを施した女の子部員が、ちょっとやりすぎたかも……と、退いてしまうというか、なんとなく嫉妬を覚えてしまう程に素晴らしいできだった。
『可愛い』というよりは『美人』と表現した方がしっくりきそうな智史のその姿は、彼を実際の年齢よりも2〜3歳上に見せていた。
 自分の置かれている状況が不満で、不機嫌な表情を浮かべているその顔でさえ、甘やかされて育った我が侭な姫そのものという印象を与えるほどに。
 その智史の変貌は、さしもの風折からも嫌味の言葉を奪い、一度彼の女装を目撃している弘樹にさえ、目を見開かせるものだった。
 弘樹的には前回の女装も充分イケていると思っていたのだが、エクステンションで短い後ろ髪を補い、寝不足のくまを隠すために施されたナチュラルメイクな女装など(例えスカートをはいていたとしても)女装の内に入っていなかったのだと、今初めて解った。
 ってな具合に、例え髪が短いままでもノーメイクでも、スカートはいてりゃ、それは充分に女装だという事実を完璧に見失ってしまうほどに、縦ロールなカツラを被り、ウエストの締まったドレスを身に纏い、フルメイクをした智史は、弘樹にとって衝撃的に可愛かった。
 そして、それが智史に惚れている弘樹の俺様ヴィジョンでない証拠に、霞ヶ丘女の子部の某部員によって隠し撮りされた女装智史の写真は、3日後には和泉澤学園内に三桁単位で出回ることとなる。
 確かに割と整った顔はしているが、それを補って余りあるほど取っつきにくくて、性格が可愛くなく、しかも弘樹という恋人がいて、更には風折のお気に入りだという理由で、今まで殆ど恋愛対象としてカウントされたことの無かった智史の人気は、この一件の後、学園生の中でえらい勢いで急上昇してしまったのだ。
 そう、長い和泉澤学園の歴史の中で、片手に余る程の人間しか使ったことのない、和泉澤学園裏校則・第6条の2を実行してしまう者が出るほどに──

☆   ☆   ☆

 その日の午後、校章に仕込んである例の発信器──事件が解決したからといって、すぐさまそれを外したのでは、あまりに目的があからさまだから、つけっぱなしにしてあった──を生徒会長室に置いて、何処かに消えた智史を生徒会絡みの用件で捜していた弘樹は、裏庭で上級生に呼び止められた。
 文書で残っている訳ではなく、先輩から後輩に口伝されている裏校則の内容を、転入生で、しかも生徒数の少ない第一寮に入っている弘樹が知るはずもなく。彼にいきなり白い手袋を投げつけられ、「伊達弘樹、俺と勝負しろっ!」と言われた時、弘樹は「はぁ?」と声を上げた。
 その上級生の語るところによると、和泉澤学園には裏校則なるものが存在し、その6条は『付き合っているカップルに横恋慕をしてはならない』という内容で、第6条の2は、『但し、どうしても諦められない場合には、意中の相手の恋人に決闘を申し込み、それに勝ったならば、好きな人に告白する権利が与えられる』という内容なのだそうだ。
 聞けば聞くほどばからしい、その裏校則の内容に、弘樹は本気で呆れた。
 まあ、その6条とやらは自分にとってもありがたいので、取りあえずよしとしよう。
 だが、6条の2は頂けない。
 これで、決闘に勝ったら好きな相手と付きあえるというなら──完全に人の気持ちを無視してはいるが──まだ話は解る。
 だが、決闘に勝ったところで、手にはいるのは告白する権利だけなのだ。
 そんなんだったら、自分を巻き込まず、勝手に告白して、勝手に玉砕して欲しいと弘樹は思う。
 そんな弘樹は、世の中全ての人間が、彼のように自分の恋人は自分以外の男と付き合うはずがないなどと、自信満々で生きている訳ではないということを知らない。
 手袋を胸に投げつけられたことを不快に思いながらも、はいはいと相手の言葉を適当にながしていると、その上級生も彼のやる気の無さに気付いたらしく、ものすごく感じの悪い言葉で弘樹を挑発してきた。
「ああ、もしかして君には俺に決闘を申し込まれる資格がないのか?」
 相手の言葉に弘樹は眉を寄せた。
「資格がない?」
「だって、君、彼に副会長に指名して貰えなかったから、仕方なく会長補佐に立候補したんだろう」
「わたしが立候補したのは、生徒会役員が指名される前ですが」
「だけど、指名されないことが解っていたから立候補したんだろ」
「つまり、あなたはわたしが智史の恋人ではないと言いたい訳ですか? 失礼な発言も大概にしてもらわないと、わたしとしてもいつまでもあなたに敬語を使っていられなくなりますが」
「さあ? その辺はよく解らないけど、ただ……」
「ただ?」
「ここで俺の決闘を断れば、そう思う人間が一気に増えることは確かだな。君としても神岡くんにあまり鬱陶しい思いはさせたくないだろう。その点、俺の決闘を受ければ、彼が告白を受けるのは俺一人で済む。きちんと手順を踏んだ者が居る以上、他の人間もそれに準じざるを得なくなるからね」
「……随分自信あり気ですね。何で決闘する気なのかは知りませんが、あまりにもあなたに有利な勝負ならば、世論はあなたに見方してくれませんよ」
「見くびるな。もちろん勝負はそっちに有利な条件でやらせて貰う。古典の駒場から聞いたんだけど、君、将棋かなり強いんだって?」
「かなりではないでしょうが、まあ、それなりに指せますよ」
「謙遜しなくていいよ。一時期奨励会(プロ棋士を目指す者が入会する所)に席を置いていたことが唯一の自慢の駒場が強いっていうんだから強いんだろ。だからさ、勝負は将棋でつけるってのはどうよ?」
「そっちはそれでいいんですか? チェス部の前部長さん」
 弘樹の言葉に、昨年度、全日本ジュニア選手権で準優勝した上級生は目を見開いた。
 誰だよお前ってな感じで話していた、目の前の後輩が自分のことを知っていたことに驚いたからだ。
「俺のこと知ってたんだ」
「入学案内に乗せられそうな実績を持つ生徒は、一応チェックしてありますよ。仮にも生徒会長と名の付く役職にいますから」
「そりゃ光栄」
「解りました。敢えてアウェイ戦を選択したあなたに敬意を表して、その勝負、受けましょう。日程は?」
「明後日。将棋だと取った駒を再び使えるから変化が無限になるだろう。そのコツを掴むための時間が欲しい」
「丸一日ぐらいでコツが掴めるとは思えませんがね」
「それを敢えてやるから格好いいんじゃないか」
「そこまで言うならお好きなように」
「その余裕、いつまで持つかね。いやぁ、明後日が楽しみだよ。他の部員は追い出しておくから、放課後部室に来てくれ」
「解りました。では明後日」
 上級生の背中を見送りながら、弘樹は思う。
 絶対に負けられない──と。
 別に負けたからといって、智史があの先輩と付き合うとは思わない──というか有り得ない──が、既に問題はそこではない。
 男のプライドの問題だ──

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