DESTINY3 (26)



 壁に耳あり障子に目ありとはよく言ったもので。
 否、今回の場合、木陰に耳あり屋上に目ありといった方がいいだろうか。
 とにもかくにも、前チェス部部長と伊達弘樹が神岡智史を巡って対決するらしいという噂は、一夜にして学園中に広まっていた。
 長めの髪に黒縁眼鏡、時々オプションで無精髭、更には黙っていると、『何を企んでるんだ?』と聞かれてしまう外観の持ち主である、どちらかというとチェス部よりも化学部の部長職が似合っていそうな、和泉澤の3年生は、弘樹がチェス部の部室にすし詰め状態なギャラリーに対して、あからさまに嫌そうな表情を浮かべたのを見て、悪びれもせずに「部員は追い出したんだけどね……」と言いくさった。
 この分じゃ、絶対、この対局の勝敗に金を賭けている奴がいるに違いないと、弘樹は小さくため息をついた。
 情報が漏れてしまった以上、ギャラリーを追い出そうとしたところで、それはどだい無理な話だ。
 当事者の弘樹でさえも、これが他人事だったら、大層面白いイベントだろうな、と思うくらいだ。誰だって面白いものは見逃したくはない。
 弘樹は諦めて、折り畳み式ではあるけれど、プラスティックではない将棋盤と駒が準備してある机の椅子に腰掛けた。
「あまり長々とやるのも何だから、持ち時間5分、秒読み30秒、考慮時間5回の早指しルールでいい?」
 座った途端、相手が一方的にルールを押しつけてきたが、別に異存はなかったので、弘樹は黙って頷いて見せた。
「俺から振っていい?」
 既に金将を4枚選り分けてあったらしく、握った右手を自分にに見せる対戦者に対し、弘樹は今度は首を横に振り、口を開いた。
「そっちが先手でいいですよ。こっちの土俵で戦ってもらってますし、チェスならいざ知らず、将棋の先手は、もしかするとちょっと有利かも知れない程度のものですからね」
 弘樹の言葉に、チェス部の前部長は、一瞬目を見開いて見せた。
「そう? なら、遠慮無く先手もらうよ。……その余裕がアダにならなきゃいいけどね」
「その言葉、そっくりあなたにお返しします。いくら起源が同じでも、将棋とチェスは確実に違うゲームですからね」
 この非常にトゲのあるやりとりは、目には見えなくとも、ふたりの視線の間に火花が散っていることを証明していた。

☆   ☆   ☆

 最初はたんなる野次馬ばかりだったチェス部の部室であるが、結構白熱した勝負が行われているという情報が飛び交い、将棋部の連中や追い出された筈のチェス部の部員までもが戻ってきて、いよいよ室内の人工密度が上がっていた、対局開始から1時間半後。
 たまたま手持ちのメモ用紙に棋譜をつけていた者がいたせいもあって、現在は将棋部の連中がホワイトボートを使って、ふたりの対局の解説までしている始末だ。
「へぇ、どっちもやるなぁ。いい勝負っていうか名勝負じゃん」
 講習に出ていたせいで、顔を出すのが遅れてしまった将棋部員の一人が上げた、感嘆の声を聞いて、弘樹は眉をひそめた。
 チェスが専門の対戦者が、これほどうまく持ち駒を使ってくるとは思っていなかった弘樹は、現在結構な苦境に立たされていた。
 それに、たまたま暇で、更に気が向いたならば、時々古典の駒場と対局することが、1月に1度あるかないかの弘樹と違って、部活で毎日盤面に向かっている対戦者は、ある意味プロだ。
 将棋やチェスの腕というのは、毎日打たなければすぐさま落ちるといった類のものではないが、思い出したい記憶に辿り着くまでに時間がかかる。
 例えて言うなら、積んでいるメモリは弘樹の方が多い筈なのに、CPUは相手が上みたいな感じだ。
 これを見越して相手が早指しルールを提案したならば、弘樹はまんまとその策にはまってしまったことを認めざるを得ない。
「後手、伊達、9八銀」
 何が楽しいものやら、10手ほど前から将棋部の2年生が、いちいち手を読み上げ、ホワイトボートの前に立つ3年生が、もっともらしく解説をしてみせるというパターンが出来上がっていたりして、弘樹の苛立ちは倍増するばかりだ。
 ──次は8八歩…ってとこか。だったらこっちは8三歩……6二飛……8八金……8四香……8七銀……多分ここで持ち駒を使ってくるから9九角……なら9八金で受けて……
 もちろんプレッシャーもあるのだろうが、以前なら50手先──しかも複数──まで頭の中で瞬時にひらめいたのに、現在の弘樹は考えながら、せいぜい10手先まで読むのが限界だ。
 ──それにしても、こいつ……
 弘樹は唇を噛みしめた。
 今頃気付いたところで既に後の祭りであるが、この勝負、こっちに有利でないどろこか、フェアでさえない。
 一昨日の彼は、将棋など殆ど指したことのない様な口振りで話していたが、この指し方を見れば、どう考えても、あれは弘樹を油断させるための作戦だったことが解る。
 かといって、今更そんなことを口にしたところで、負け犬の遠吠えにしか聞こえないだろう。
 実際、彼はチェスの方が専門なのだろうし、何をするにもいちいち弘樹の許可を求めるあたり、思えば、最初からギャラリーに対して、自分がフェアに見えるようにアピールしていた。
 ──まったく……
 弘樹は、盤面を見つめながら、眉をひそめた。
 ──智史って奴は、どうしてこんな腹黒い奴らばかりに好かれるんだ。
 ゴーヤを生で1本丸かじりしたかのような苦々しい表情を浮かべて、こんなことを考えている弘樹は、確実に読者にこう突っ込まれるだろう。
 っていうか、あんたもその仲間だって──と。

☆   ☆   ☆

「は〜っくしょんっ!」
 弘樹が自分のことは棚に上げ、目の前の対戦者と某K先輩に対して、大変失礼な感想を抱いていた丁度その時。
 風折は、生徒会長室で入学案内に載せるコメントの執筆するために机に向かった智史の真正面で大きなくしゃみをしていた。
「いきなり何すんですかっ!」
 いきなり会長室に乱入しかたと思うと──といっても、ドアを開けたのは智史だが──わざわざ自分の目の前で、口を覆いもせずにくしゃみをした風折に向かって、ブレザーの袖口で顔を拭いながら、智史は声を荒げた。
「いきなりくしゃみがしたくなったんだから、仕方ないでしょっ! いいのかなぁ〜。君にとって凄く重要な情報を持ってきた親切な先輩に対してそんな口きいて……」
 風折の言葉に、智史はあからさまに嫌な顔をしてみせた。風折のいう重要ななんとかは、大抵の場合、智史にとってではなく、彼にとって重要なことの場合が多い。
 例えば、涼のことだとか、涼のことだとか、涼のことだとかだ。
 そんな智史の表情を見て、風折はやれやれ仕方のない子だねぇ、と言わんばかりのため息をついた。
「ったく、その分じゃ君、知らないね。今、弘樹が何をしてるのか」
 何故、風折にため息をつかれているのか解らぬままに、智史は自分の知っている事実を答えた。
「弘樹なら、古典の駒場につかまったから一局指してくるって言って、1時間半程前に出ていきましたが。それが何か?」
「まあ、確かに一局指してるのは事実だけど……」
「事実だけど何なんです?」
 どうやら今回は、涼の話ではないらしいことに気付いた智史が、意味ありげな発言をした風折に向かって問う。
「指している相手が違うってこと」
「えっ? じゃあ、誰と……って、まさか、あのチェス部の奴と?」
「何だ、知ってるんじゃない。これは失礼。弘樹の勝利を確信して余裕で居る君に対して、余計なことを言ったみたいだね」
「知りませんよっ、そんなこと。いや、弘樹があいつに手袋を投げつけられてたのは知ってましたけど……。まさか、そんな勝負受けてるなんて……。だって、あいつ何にも言ってなかったし……。ったく、なんだって、そんなしちめんどくさいことを……」
「さあね、弘樹には弘樹の事情があったんじゃないの?」
「勝負しようがしなかろうが、俺が弘樹のものなのは決まってるのに、あいつがそんな勝負受ける事情がどこにあるって言うんですかっ!」
 智史の言葉に、風折は呆れた様子で首を横に振ってみせた。
「そういうことは、僕じゃなくて本人に言ってやんな。弘樹、実力を250%ぐらい発揮するんじゃないの。そしたら、弘樹にも勝てる可能性でてくるかもだし」
「それは……つまり、相手は弘樹の2.5倍くらい強いって意味なんでしょうか?」
「1.5倍か2.5倍かは知らないけど、多分強いと思うよ。彼の父親プロ棋士だし。息子も棋士になると決めつけてた父親に反抗して、中学時代にチェスに転向したらしいけどね。ったく、弘樹も間抜けすぎだよ。こんなのここのデータベース使えば、0.5秒で検索できることなのに」
 風折の台詞の意味を30秒程考えた後、智史はガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。
「風折さん、申し訳ないですけど、その原稿の続き、適当に書いておいて貰えませんか」
 そんな智史に行動に、風折はにやりと笑みを浮かべた。
「いいけど……原稿料高いよ」
「覚悟の上ですよ」
 言って、そのまま会長室を後にしようとする智史の背中に、風折が意地悪く声をかける。
「ところで智史、君、何処に行くわけ?」
 振り返りもせずに智史は答えた。
「ちょっと、そこの川まで洗濯に」
 台詞とともにバタンと大きな音を立てて、部屋を出た智史の行動が、風折の顔に苦笑を浮かべさせる。
「素直に鬼退治に行くって言えばいいものを……」
 小さく呟くと、風折は床に転がり落ちたシャープペンシルを拾って、今では自分の席ではないけれど、今でも一番自分の身体に馴染む椅子に腰掛けた。

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