DESTINY3 (28)



「……なんだかなぁ〜」
 クリスマスソングやそれ仕様のウィンドウの飾り付けで賑わう街とは裏腹に、静かな寝室のベッドの上で、智史はあぐらをかいて枕を抱きしめながら呟いた。
 平日の0時をとっくにまわった頃合いに、高校生の寝室が賑やかだったらそれはそれで多少問題があるような気もするが、それはあくまでも多少だ。
 そして、現在の智史は大きな問題を抱えていた。
 それを素直に大きな問題だと認めてしまうのが、あまりにも悔しいから、日中は平気な顔をしているが、他人の目が無い自室に帰るとやはり気が抜けてしまう。
「こんなことしてる場合じゃないのになぁ〜」
 ため息と共に、智史は再び呟く。
 智史の呟きは全く持ってそのとおりで、本来ならば、今の彼には──力つきて寝るならばともかく──ただ枕を抱きしめてベッドの上に乗っかっている暇はないのだ。
 大雑把に抜粋するだけでも、合同演劇発表会はいよいよ間近に迫っていて、作り上げたプログラムの動作確認もしなくてはならなくて、新連載とまんがの原作の締切はこの10日の間に詰まっているのに両方とも未だ手つかずで、そろそろ予餞会の企画も立てなくてはならなくて──と、智史がしなければならないことは、それこそ山のようにある。
 更に、その他にも細々とした雑用があり、いつもの智史ならば『畜生、なんで1日は24時間なんだっ!』と悪態を付きながら、それを片っ端からやっつけにかかっている筈なのだ。
 それなのに、今の智史はその中のどれにも手をつける気にはなれない──どうしても。
 いつものことだから、原因は言わずと知れよう。
 そう、風折迅樹が例によって『何か』をやらかしたのである──

☆   ☆   ☆

「なんだかなぁ〜」
 誰もそんな役割を決めた記憶がないのにも関わらず、すっかり演出担当が板に付いた様子の風折は、丸めた台本を左手にポンポンと叩き付けながら、智史の演技にちっとも具体的ではないダメ出しをした。
 最初のランスルーで和泉澤に一波乱起こした合同演劇発表会の練習は、12月に入りいよいよ本格的になってきていた──台詞を間違わずに言うだけではOKが出ない程度には。
「何か違うんだよねぇ〜」
「勘弁して下さいよ風折さん。先刻からこのシーンばっかり12回もやってるじゃないですか。他の人にも迷惑だし、ここは自主トレってことでどうですか?」
 舞台上の智史の言葉に、風折はチッチッチッと人差し指を振った。
「そういう問題じゃないんだよね……」
「なら、どんな問題だっていうんですかっ!」
「なんていうか、アレなんだよね……」
 だからドレだよっ! と智史でなくても突っ込みたくなるような指示代名詞を使いつつ、風折は自分の隣に立つ霞ヶ丘の前生徒会長白取清花と視線を交わらせた。
「そう、問題はソコなのよね……」
 その視線を受けた白鳥清花が頷きながら言った言葉に、智史は途方にくれた。
 ── 一体全体それはドコ?
 お願いだから、コレでもソレでもアレでもドレでもない具体的な指示して欲しいと智史は思う。
 大体、自分で書いた脚本を自分で演じていて、他人からここまでダメ出しされるだなんて──例えごく一部の人間しかその事実を知らなかったとしても──屈辱的過ぎる。
 そんな智史の気持ちをよそに、風折と白鳥清花は声を潜めて何やらぼそぼそと相談を始めた。
「ったく、器用なんだか不器用なんだか……困ったヤツだなぁ」
「基本的に余裕がありすぎるのよね。普通、あんなこと言えないもの」
「ああ、やっぱり、こっちにまで聞こえてきてる? 例の話」
「そりゃあもう。ウチの漫研色めきたってるわよ。これが学祭前だったら、絶対に本出されてたわね」
「お嬢様校の霞ヶ丘が、一般客の入る学祭でそんなもの売っていい訳?」
 言いながら風折が浮かべた意味ありげな笑みに、白取清花も同じく意味ありげな笑顔を浮かべながら応える。
「バレなきゃいいのよ。今時、本当の意味でのお嬢様なんている筈ないじゃない。大多数は、大人の前でお嬢様の皮を被ってるだけよ」
「これは失礼。いえ、僕としてはお嬢様の秘密を詮索する気はなかったんですがね」
「お気になさらず。別に秘密でもなんでもありませんから。それよりも、問題は彼。どうするの?」
「……今更キャスト変更って訳にもいかないだろうしなぁ〜」
「というより、そっちの学祭で前振りしてある上に、あの件の後じゃ、少なくてもウチの生徒は絶対にキャスト変更に納得しないと思うけど。なんてったって、噂のふたりの絡みが間近で見られるんだもの」
「ちょっとお嬢様、背中のファスナー開いてますって。お願いですからウチの生徒の夢を壊さないでやって頂けませんか」
「あら失礼。この時期になっていきなりキャスト変更だなんて言われても、皆さん動揺するだけですわ。ですから、何かいい手を考え出して下さらないかしら……こんな感じでよろしくて?」
「大変結構でございます。ところでお嬢様、立った今、その『いい手』を思いついたのでございますが、お耳を拝借できますでしょうか」
「あら何かしら?」
 白取清花の問いかけに、風折はにやりと邪悪な笑みを浮かべると、更に声を潜めて彼女に耳打ちを始めた。
 風折ほどではないにしても、白取清花とて一癖も二癖もあるお嬢様連中をまとめ上げてきた生徒会長、それなりにやり手である。
 風折が耳打ちした内容を一瞬にして理解すると、にっこりと微笑み、目の前の人物に告げた。
「そうね、やってみる価値はありそうね」
 そして──
 その一部始終を傍観していた智史が、彼女の一見爽やかな微笑みに、何か邪悪なものを感じ取れたのは、ある意味野生の──いや、風折に虐げられている者の勘であったのだろう。

☆   ☆   ☆

「なんだかなぁ〜」
 風折と白取清花が何事かを企んでいた合同演劇発表会練習の翌日の放課後(現在、合同演劇発表会の練習は1日置き)。
 弘樹は、ひとりゆっくりとした足取りで裏庭を歩いていた。
 前チェス部長との対決の後、弘樹には思うところがあった。
 智史がああいう常識外れな人間だということは、とっくの昔に知ってはいたし、あの手の天賦の才能的なものに対して嫉妬心を覚えたところでどうなるものでもないということを、弘樹は身にしみて知っていた。
 そもそも弘樹は──智史に会いたくて和泉澤に転入したという一件がなくとも──最終的に実家の和菓子屋を継ぐのは、妹の瑞樹であるだろうと思っていた。
 子供の頃から父の働く姿を見て育って来た弘樹は、和菓子職人という職業が、ある意味芸術家であることを感じ取っていた。
 技術だけならいくらでも習得できる。
 一流の技術を習得すれば、どんな和菓子も作れるようになる。
 だが、それで出来るのは今までにある和菓子だけだ。
 洋菓子に押され気味な昨今、伝統の味だけを守って作っていけば生き残れるほど、和菓子業界も甘くはない。
 確かな技術と確かな味に加えて、人目をひく演出が必要になる。
 普通の人にはちょっと思いつけない斬新な発想力。
 それは弘樹にはなく、妹の瑞樹にはある才能だった。
 ケーキでいうならプチフール風の、様々な味が楽しめるミニおはぎ12個セットで販売するというアイディアを出し店のヒット商品にしたのも、栗を甘露煮にするのではなく蜂蜜漬けにしたものを使うこと──健康に良いものを使っているとアピールするために──を提案したのも瑞樹だった。
 和泉澤に向かう日、見送りに来た瑞樹が冗談めかして言った「まかせといて、お兄ちゃんよりは頼りになると思うしね」という言葉は、店の跡継ぎという資質に関して言えば、まったくもってその通りだ。
 もちろん、父親や従業員が瑞樹に贈る称賛の声が悔しかったことがないと言えば嘘になる。
 だが、そんなことに嫉妬したって仕方がないと素直に思えるようになったのは、小学校4年の時に、殆どが5・6年生で締められる市の剣道大会の決勝大会に弘樹が出場した時だろう。
 店を閉めて大会を見に来んばかりの喜びぶりを見て、自分は自分のできることをすれば良いというのが解ったからだ。
 自分にはできるけれど、瑞樹にはできないこと──考えてみれば、それは他にも沢山あった。
 例を挙げるならば、父親の相手をすることで覚えた将棋もその一つ。
 そんな経験──天賦の才能を持つ人間が近くにいた──があったから、弘樹は何事もさくさくこなす智史に対抗心を持つことはなかった。
 智史にはできなくて、自分ができることがきっとあることを知っていたから。
 だから、今、弘樹の胸の中を渦巻いている何ともすっきりしない思いは、多分将棋も自分より強いであろう智史に対する嫉妬心でも、守りたい相手に逆に守られた情けなさでもない。
 なんというか、あんなあほうな挑戦にまんまと乗っかって、智史に面倒をかけることになってしまった自分の間抜けさ加減に対する憤りだ。
 ──大体、わたしは智史に関することになると、冷静な判断が出来なさすぎるっ。
 ってな訳で、何を今更と突っ込みたくなるようなことを考えながら、弘樹は格技場の鍵を開けた。
 そもそも、弘樹が裏庭を歩いていたのは、適当な理由をつけて使用許可をとった格技場に向かう為で、その目的は素振りをする為。
 長年続けていただけに、竹刀を振っていれば心が落ち着く。
 ブレザーと靴下をその辺に放り投げ、一心不乱に素振りを続け小一時間も立った頃、格技場の引き戸が開く音が聞こえた。
 さては智史が自分を捜しに来たかと、素振りをしていたことに対する言い訳を考えながら振り返った弘樹の目に飛び込んできたのは──
 智史ではなく、何故か他校生である白取清花の姿であった。

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