DESTINY3 (29)



「勘弁して下さいよ」
 弘樹は右手の親指と薬指でこめかみを押さえながら、目の前の白取清花に向かって言った。
 あまりにアホらしいので詳しい記述は省くが、白取清花は引き戸を開けてつかつかと弘樹の元に歩み寄ったかと思うと、『私とステディな仲になりましょう♪』ってな内容のことを、涼しい顔で彼に告げたのだ。
 白取清花はいわゆる美人で頭も良さそうだし、いわゆる彼女にするには申し分ない──というより充分すぎておつりがくるくらいの相手だ。
 事実、和泉澤では自称『シラトリスト』を名乗る者が多数生息し、『Pure Bloom』なるファンクラブまで存在する。
 だが仮に、弘樹が現在フリーだったとしても、彼は追加注文を受けた居酒屋の店員の如く『はい、喜んで〜!』とは決して言わなかっただろう。
 もちろん、そんな発言は弘樹のキャラクターじゃないというのもあるが、問題はそこではない。
 彼女の口調の中に『私の僕(しもべ)になりなさい』的な、あからさまに風折を彷彿とさせる雰囲気があったからである。
 大体にして、誰かの入れ知恵がなければこんなところにいる弘樹を他校生である白取清花が探しだせる筈がないし、彼女がたったひとりで和泉澤の中をチョロチョロして無事である(ファンに見つからない)訳がない。どうせ、その辺りの草むらに風折の手下(笑)もしくは当の本人が潜んで、ことの成り行きを見守っているに決まっているのだ。
 しかし、それが解っているからといって、弘樹にわざわざ面白いリアクションをする気は全くない。
 彼らが何を企んでいるのかは想像が付いている。
 何故って、自分も出演者の一人である弘樹は、昨日の智史の演技を見ていたからだ。
 智史が風折から何度もダメ出しをくらっていたのは、物語も終盤に差し掛かる劇中劇の中で、自分を放って愛人の元に向かう夫の背中を切なげに見つめるシーンだ。
 自分で脚本を書いていて、登場人物の心理状態を全て把握している智史が、そのシーンを演じられなくて話にならん。と言ってしまえばそれまでだが、人間心理を文章で表現するのと、実際に演じることは似ているようで全く違う。
 特に、台詞がなく無言のシーンでは。
 文章ならばモノローグで補えるものを、全て表情と雰囲気で表現しなくてはならないからだ。
 したがって、プロの役者ならばいざ知らず、演技の基礎がない者は経験したことのない気持ちは表現できない。
 そして智史は、そのシーンにおいて一番重要な、他人に対する嫉妬や劣等感を殆ど経験したことのない人間だ。
 いや、別に弘樹は智史が一度も悩んだことのないお気楽な奴だと思っている訳ではない。悩みの質が違うのだ。
 前に智史が酔っぱらっている時に、ほんのちょっとだけ口を滑らせたことがあるのだが、彼は子供の頃、謎の組織にさらわれるのが怖くて、あくまでもちょっと成績のいい子供であろうと努力した経験があるという。
 謎の組織って一体っておい……ってな感じだし、そんなことを考えてしまう辺りがやはり子供だという気もするが、智史が何も考えずに自分が面白いと思うことを全てやってみたならば、そんな組織──仮に実在したとしての話だが──につけ狙われるどえらい装置だの薬品だのを開発できそうだ、という気もする。
 だから、そんなことを考えた過去の智史を、やっぱり子供だと思うべきか、単に頭がいいだけの子供ならばそこまでは考えが至らないと思うべきなのか、弘樹には判断が付かないが、ともかく彼の悩みが普通とはかけ離れていることだけは解る。
 そんな、良い頭脳も平均以上の見た目もついでにいうなら今のところ若さを持ち合わせている智史に、愛人の元に向かう妻の心中を疑似体験させるには、弘樹に女をあてがうしかない──だなんてことは、あの風折が真っ先に思いつきそうなことだ。
 というか、たかだが学校行事のために、他校生まで巻き込んでこんなことをする奴が、風折以外に居られても困る。
「何もそんなに本気で嫌そうな顔しなくてもいいじゃない。結構傷つくんですけど、その反応」
 はぁ〜〜〜〜、と大きなため息をつきつつ黙り込んで、そんなことを考えていた弘樹に、白取清花が拗ねたような口調で言った。
 そんな彼女の態度に、弘樹はいよいよげんなりした気分になる。
「いいえ、あなたは傷つきませんよ」
「あら、心外ね」
「いえね、これが本気の告白なら、わたしだってもう少し違った反応しますよ。それに……」
「それに、なに?」
「例え、これが本気の告白でも、あなたは拒絶されて傷つくタイプの人じゃないでしょう。どっちかというと『私のこの魅力が解らない人なんかにもう興味はなくてよ。ひゅ〜ほほほ〜〜』とかって高笑いしながら、呆然とする相手を残してその場を去りそうな……」
 弘樹の台詞に白取清花は僅かに眉を寄せた。
「……今まで振られたことはないけど、もし仮にそんなことがあったとしたら、確かにそういう態度をとったでしょうね」
「でしょう」
 と答えた弘樹に白取清花はふふんと鼻を鳴らしてみせた。
「った〜く。そこで『でしょう』なんて答えちゃうのが男の浅はかさなのよねぇ〜」
「はあ?」
「可能性は極めて低いけど、私が仮にそういう状況に置かれたとしましょう。そんな時、この私が、名前からして麗しく気高い白取清花様が他にどんな態度をとれるっていうの? 例え表面をどんなに取り繕うと、振られたことで傷つかない人間なんている訳ないでしょう。なんなのよっ! 食事も取らずに一週間部屋に引きこもりでもしないと、その人間は傷ついていることにならない訳? ばっかじゃないのっ!」
「……」
 弘樹はつい先程とは全く別の理由で、現在言葉を失っていた。
 振られたことはないだとか、可能性は極めて低いだなんて言ってはいるが、どう聞いたって今彼女の話している言葉の内容には実感がこもっている。
 そう、後からどんなに言い訳したところで、取り繕えない程に。
 なんというかこう──さしもの弘樹とて、ここまで言われて白取清花の憤りが理解できないとは言わないが──そんなことを、自分に言われても困る。
 つーか、八つ当たるなら、彼女を振った当の本人にして欲しい。
 まあ、彼女には彼女なりの理由があるのだろうが……
 だが、こんな場面で情に流され、彼女を慰めるほど弘樹も間抜けではない。
 そんなことをしでかしたら最後、絶妙のカメラワークで事実を歪めるように撮影された映像で、風折が智史に無いこと無いこと(打ち間違いにあらず)を吹き込むに決まっているからだ。
 長い台詞を一気に吐きだし、未だ肩で息をしている彼女に弘樹は告げた。
「じゃ、この話はなかったということで。風折さんによろしく言っておいて下さい」
 暗にあんたたちの思惑は解っていると匂わせながら、弘樹は竹刀を置き場に戻すと、格技場の入口に向かって歩き出した。
 自分でも予想外のことを言ってしまった為か、はたまた作戦が失敗したことにショックを受けているのか、白取清花はその場に立ちつくしたままだ。
 だから、脱いだ靴下を履いている間に、白取清花が足音を偲ばせてすぐ背後まで迫ってきていたことに、気付かなかった。
 そして、弘樹が靴下を履き終え、放り出してあったブレザーを拾うために身体を捻った、丁度その時──
 白取清花に唇をかすめ取られることとなる。
 更に、それと同時にどこからともなくフラッシュを浴びせられたということは、敢えて記述しなくてもよい位にお約束の展開であった。

☆   ☆   ☆

「あの〜、風折さん……」
 あなた、忙しいってのは嘘でしょう。つーか、本当は暇なんでしょう。いや、実は暇で暇で仕方ないんでしょう。というか、確実に暇人なんですねっ!
 と、まくしたてたい気持ちを、智史はかろうじて抑え込んでいた。
 そんなことを言ったら最後、『何言ってるの智史、この忙しい僕が君の為にわざわざ……』とかなんとか、有りもしない恩を押し売りされるに決まっているからだ。
「ああ、可哀想な智史。こんな写真見せられてショックで言葉が出ないんだね」
「いや……」
 別にそういう訳じゃないし、そう思うならわざわざ見せるなと思った智史であるが、その思いを口にする前に、風折が自分勝手──まあ、いつものことだが──に話し出す。
「いいよ、隠さなくても。僕には君の気持ちが手に取るように解るよ。やったこともないチェスをたったの15分で完璧にマスターして弘樹の敵をとってやった君に対してこれはあんまりだよね。恩を仇で返すとはまさにこのことだよね。怒っていいんだよ智史。ああ、そうか、君、本気で怒ると口数少なくなるタイプだっけ。いいんだ、いいんだよ、思う存分怒ってくれ」
「……」
 ──怒るというか、呆れてるんですけど俺……
 まあ、自分の恋人と美人と評判の白取清花のキスシーンの写真なんぞ、確かに見ていてあまり気持ちのいいものではないが、それを風折が持ち込んだ時点で裏になにかあることぐらいは解る。
 ──それに、コレ、あからさまに不意打ちくらってるくさいし。
 何の気なしに振り返ったら、他人の顔が間近にあって、弘樹びっくり!
 ってな長ったらしいタイトルをつけたくなるくらいに、弘樹の体勢は普通のキスシーンにしては不自然だし、驚いた表情もしている。
 仮に、どんなに自然なキスシーンに見える写真を持ち込まれた所で、風折が関わった時点で結論は出ている。これはヤラセだ。
「で、な…」
 何がしたいんですか風折さん、という智史の台詞は、風折に又しても遮られた。
「ああ、なんでこういうことになってるかって?」
「いや…」
 そんなことは聞いていません、という台詞も以下同文。
「僕にもよくは解らないんだけどね。この写真を撮った善良な生徒の話によると……」
 智史は、口を挟むのを諦めた。
 この人はもうアレだ──なんと言おうと、自分の作った強引な台本どおりに話を進めていくに違いない。
 ──大体、その写真だって自分が撮らせたくせに……
 あきれ果てた智史が無言になったのをいいことに、風折はベラベラと話し続ける。
「……というか、どうやら弘樹に避ける気がないように見えたって……」
 ──嘘つけよ。
「ひっどい話だよね〜」
 ──今、あんたがしてる話がな。
「で、どうする智史」
 ──全部あんたが決めてんでしょ。
「僕としてはさぁ……」
 ──ほら見ろ。
「彼にはお仕置きが必要だと思うんだよね」
「はぁ〜っ?」
 先程から、風折の言葉に一々心の中で突っ込みを入れながらも無言でいた智史ではあるが、流石にこの台詞には声が上ってしまった。
 何処の世界に、好きでもない女に無理矢理唇を奪われたあげくに、お仕置きを受けなくちゃならない奴がいる。
 と怒る智史は、こんな写真を見せられて嫌な気分はするものの、白取清花に対して一個も嫉妬心を抱いていない自分がこの事態を引き起こしていることに、未だ気付いていない。
「っていうか、君、ショックでそこまでは気が回らないだろうと思って、もう、僕がお仕置き内容決めてあげたんだけどさ」
「決めてあげたって……」
「いや、感謝なんかしてくれなくてもいいよ。誰でもない君のためだもの」
「俺のためですか……」
「そう、君のため」
 ──よくもまあ、そんないけずうずうしい台詞を……
 だなんて智史が考えていることは露知らず──いや、知っていても同じことだが──風折は笑顔と共に、後輩にそのお仕置き内容を告げた。
「これから合同演劇発表会までの間、彼から君を取り上げる」

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