DESTINY3 (31)



 スプーンを放り投げた後、やや暫く食卓に肘をついていた智史は、大きくため息をついた。
「これはもう──諦めるしかないか」
 その決心をするために、敢えて声に出して言ってはみたものの、すぐさまそれを実行する気にもなれなくて、智史は再びため息をつく。
 何もそこまでしなくても、あと3つ寝ればお正月──ではなくて、いつもの生活が戻ってくるのは解っている。
 だが、今はその3日が我慢できない。
 智史は頭を抱える。そのままの体勢で再びやや暫く。
 そして──
「もういいよっ。諦めればいいんだろ、諦めればっ!」
 いきなり叫ぶと、智史はガタッと音を立てて椅子から立ち上がり、ずかずかとリビングを横切って寝室のドアを開けた。
 但し、自分の寝室ではなく、弘樹の寝室のドアを──

☆   ☆   ☆

 えーと、こういう時って、やっぱ、最初の印象がどうだったか、という所から順に記憶を追って行くのがいいんだろうか?
 っても、俺らの場合、その最初がどこなのかがすっごく解りにくい訳だけど、まあ、取りあえずあいつの顔を初めて見た時に思ったことは『勘弁してくれよ……』だったことは確かだ。
 もっとも、それが夜中に突然やってきた同居人に対する感想か、その隣に立つ先輩の世にも恐ろしい微笑みに対する感想なのかは、微妙にハッキリしない──というかさせたくないところだけど。
 いや、感想じゃなくて印象ね、印象。
 つーか、印象も何も、弘樹にほとんどしゃべらせる間もなく部屋に引っ込んだしなぁ〜。
 まあ、外見をとってみれば、美形だな、とは思った。
 人によって顔の好き嫌いはあるだろうけど、例え、あの手の彫り深い顔が好きではない女の子だって『まあ、カッコいいんじゃない。私の好みじゃないけど』とコメントするだろうな、と考える程度には。
 ああ、そうだ、ついでに気の毒に思ったんだっけ。
 編入生ってのはどこの学校でもある程度人の興味をひく存在だけど、2〜3年に1人の割合でしか編入してくる者がいないウチの学校の場合は、それが特にすごい。
 野次馬根性旺盛な同級生とか、暇を持てあました上級生のみならず、中等部の生徒まで柵を乗り越え覗きに来る始末だ。
 まさしく幻のホワイトパンダ並(シロクマと何処がどう違うのかは不明)の珍獣扱い。
 8ヶ月程前に同じ経験をしたことのある俺は、その煩わしさを身をもって知っていた。
 まあ、俺の場合、入学して間もなく書記に任命されたせい──おかげとは言いたくない──で、『神岡にちょっかいをかけると、風折さんに睨まれる』という噂が、ありもしない具体例と共に囁かれ始め、ひと月あまりで平穏を取り戻すことが出来た。
 だけど、こいつの場合はそれがない上に、この面だと少なくても半年──下手すりゃ卒業するまで色々な意味でちょっかいを出してくる奴がいるだろうな、と思った訳。
 後日、その予想は思いがけない展開で、思いがけない方向に外れたけどな。
 それよりも何よりも、驚いたのは弘樹が『綾瀬えりか』だと知った時だ。
 そりゃ、ある意味自分の相方みたいなイラストレータが偶然同じ学校に編入してきて、これまた偶然同室になったこと自体も充分驚きだけど、それ以上に、俺の書いた小説をあそこまで理解してくれた人間が、今、目の前にいるということに。
 俺が受賞した講英社の恋愛小説大賞っていうのは、同社のイラスト大賞と連動していて、小説大賞が決まったと同時にイラスト大賞の募集が始まる。
 こっちの事情と編集の思惑が完全に一致して、世間には一切顔を出さないことになった、駆け出し覆面作家の俺だったが、一応イラスト大賞選考に関する僅かな権限はあった。
 最終選考段階で、審査員の票が割れた場合、最終的には俺の意見が決めてになる──程度には。
 あくまでも俺の個人的な意見──というより偏見──ではあるけれど、弘樹のイラストは上手いが、どちらかというと恋愛小説よりはファンタジー向けの絵柄に見えた。
 それに対して、もう1人の方のイラストは『NAVY』でよく見かける少女漫画風の絵柄で、普通だったら票が割れることなくそちらに決まっても良さそうに思えた。
 ぶっちゃけ、よくコレが最終選考まで残ったな、とも思ったぐらいだ。
 だが、程なくその理由は知れた。
 小説にイラストを入れる場合、どうしても印象的な場面を選んでしまうのは当然だ。
 その作品を例に挙げるのならば、男が怒りの余り恋人の顔にグラスの水をかけそうになり、すんでのところで思いとどまり、自分の頭を冷やすために自らがその水を被るところや、女が恋人の浮気現場を目撃してしまい、持っていたスイカ(丸ごと)を落としたあげくその上に尻餅をついてしまうという踏んだり蹴ったりなシーン。そして、最後の最後、雨上がり雲の切れ間から差し込んだ太陽の光の加減で、彼女の背中に羽が生えているように見えるシーン。
 担当編集者にあとから聞いた話だけど、応募作品の殆どにこの場面が描かれていたそうだ。
 だけど、弘樹の書いたイラストは違った。
 文章そのものではなく、完璧に行間を読みとっていなければ描くことの出来ないカットが5点中3点もあった上に、ラストシーンの解釈も完璧だった。
 確かに彼女の背中に羽が生えているシーンというのは印象的だし、何故か羽人間(一般的には天使や悪魔だろうが)というのは絵描きが1度は描いてみるモチーフらしいし、しかもその1行で話が終わっているとなれば、どうしたってその場面が描きたくなるだろうな、と、絵に関しては素人の俺だって思う。
 別にそれはそれで不正解ではないからかまわない。
 だが、完全解答をした人間がいるならば、話は別だ。
 いつの間にかではなく、けれど上がるのを待って居たわけでもなく、偶然雨の上がる瞬間をふたりが同時に目撃する。
 読み手にとってはどうか知らないけれど、話を書いた俺にとって一番大切なシーンはそこだった。
 さりげなく文章を流し、その場面を強調してはいなくとも。
 雨が上がった後に雲の合間から差し込む光だとか、彼女の背中に羽が見えたとかいうのは、あくまでもおまけ。
 絵にしやすい場面ではなく、書き手が一番書きたかった部分を切り取ってあった、そのイラストに俺は心を打たれた。
 そう思って担当編集者に聞けば、やはりその票割れは、読み手のプロである編集者側と絵描きのプロであるイラストレータ側の審査員で起こったものだったらしい。
 結果として、俺は綾瀬えりかのイラストを選択した──運命に導かれるように。
 その運命は、本人とあって失望したくはないという、俺の我侭で対談を断っても変わることはなかった。
 どうでもいい生徒会長の椅子なんかじゃなくて、俺の命──否、敢えて弘樹の命にかけて誓ってやってもいい。
 俺と弘樹は出会うことが決まっていのだと。
 例えその先に──おっと、今日はそれはやめておこう。
 とにかく、俺は──
 低いけれどよく通る弘樹の声が好きだ。
 その声が耳元でささやくのはもっと──
 長身なのにいつでも背筋が真っ直ぐ伸びている背中が好きだ。
 その背中と同様に広い胸の中に抱きしめられるのはもっと──
 煙草をボックスから取りだし、火を点けるまでの流れるような仕草が好きだ。
 その煙草の味がする最初はちょっと苦くて、でもすごく甘いキスはもっと──
 ひとつひとつ上げていったらキリが無いほどに──弘樹が好きでたまらない。
 それはどうよ? と思う部分もすごく沢山あるにもかかわらず。
 それに俺はばかじゃないし、こんなにも好きな相手に嘘はつきたくないから、一生お前以外を好きにならないなんてことを断言したりもしない。
 でも、これだけは言い切ってやるよ。
 弘樹──
 俺がこの先、誰と付き合うことがあろうと、お前以上に好きになれる相手とは絶対に出逢えない──

☆   ☆   ☆

 下手に弘樹を思わせるものや、匂いのするものが近くにあると、どうしても彼を思いだしてしまうからと、灰皿やら煙草の買い置きやら、洗濯かごに突っ込まれていた洗濯待ちのシャツなどの全てを、本人の寝室に突っ込んで封印していた智史だが、本日その封印は破られた。
 何をどうしたって考えてしまうならば、いっそ思う存分弘樹のことだけ考えてやるっ、と諦めて開き直ったからだ。
 弘樹のベッドで、弘樹の匂いがする枕を抱きしめ、弘樹の名前を呟きながら、弘樹のことだけを嫌になる程考えてやれば、これ以上弘樹のことを考えなくてもすむから──
 ってな訳で、どんな公式を使って導き出したものやら不明な上に意味まで不明な理論の元に、智史は弘樹の部屋で、お香代わりに弘樹の煙草に火を点け、弘樹のベッドで、弘樹の枕を抱きしめ、弘樹の匂いを感じながら、弘樹のことを考えていた。
 それはもう、常に涼のこととか涼のこととか涼のこととかを考えている風折さえも自分の負けを認めるかもしれない程に、弘樹のこととか弘樹のそれとか弘樹のことあれとか弘樹のどことかを(再び意味不明)。
 ちなみに智史の明日の予定は(さしもの風折もこれだけのためにクラス替えまではしなかったので)、今までは見ないようにしていた弘樹の姿を、授業中に穴が空く程じぃ〜っと見つめてやることと、自分の彼氏に近づく人間を背筋が凍り付くような冷たい視線で睨みつけてやることと、なんとかして白取清花の写真を手に入れ、シラトリスト達の前で五寸釘を突き刺してやることだ。
 なにやら、オーロラ姫というよりは、どちらかというと雪の女王な雰囲気を身に纏っている智史ではあるが、まあ、それはそれで風折の思惑どおりに彼の役作りが成功したと言えるだろう。
 なぜなら、本気で腹を立てれば立てるほど、智史は醸し出す雰囲気は絶対零度に近づくからだ。
 斯くして、翌日の放課後、和泉澤生徒会の恐ろしいものリスト(だから、何だよそれは)に新たな1行が付け加えられることとなる。
 『満面の笑みで微笑む風折迅樹』の次に書かれたその項目は──『無口な神岡智史』

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