これってどうよ?(2)



 当直と言ったって、そもそも生徒が居ない校内ですることは殆ど無い。
 休み中の当直制度は、不測の事態に備えて確実に連絡の取れる教員を確保するのがその目的である。
 その不測の事態でさえ、2〜3年に1度あるかないかなので、毎朝、理事長が趣味で校内の池に放している錦鯉に餌をやるのが、当直教員の唯一の仕事かもしれない。
 あまり変なものを食べさせると、鯉の色が悪くなると言うが、もともと素人が管理している錦鯉には下がるべき価値もないし、普段生徒が気の赴くままに、散々っぱら変な物──お菓子のくずだとか、賞味期限の切れたプリンだとか、凶器になりそうなくらいカチカチに乾いたフランスパン丸ごとなんか──を与えているのだ、今更気にする必要もない。
 そんな理由から、本日村上が池の鯉に与えているのは食パンと、昨日あまりのまずさに食うのを断念したインスタントスパゲッティの残飯だ。
 パンパンと手を鳴らすまでもなく、池の端に人間の影が映ると寄ってきて、パクパクと口を開け閉めする鯉たちは、よそ見をした隙に陸に上がって来そうな勢いで、ちょっと空恐ろしいものがある。
「せんせーっ、村上先生っ」
 食べない訳ではないが、食パンに比べて鯉たちにも不評なスパゲッティに、こいつら魚のくせに味が分かるのかと、鯉に対して大層失礼な感想を抱いていると、背後から自分を呼ぶ声がして、村上は振り返った。
「おお、柴田。どうした?」
 見ると、柴田が肩で息をしながら、池の傍らに植えられたハナミズキを指差していた。
「………どうしたじゃ……ねぇって、アレ……見ろよ」
「見ろってあの木をか?」
「違うっ、いいから来いよっ」
 若いというのは大したものだ。ほんの1分あまりで息を整えると、柴田は村上を学校の敷地と道路を隔てる塀の近くまで近くまで引っ張ってゆく。
「アレだよアレ」
 柴田が指差す方を見ると、緑の葉の間に、薄茶と濃茶のマーブル模様の球状オブジェが見てとれた。
 専門は昆虫ではないが、村上とて生物教師のはしくれだ、目にした瞬間それが蜂の巣だと解る。
「……しかも、スズメバチときたもんか……」
 しばらく眺め続けて、出入りする蜂の形状から、スズメバチの中でも攻撃性の低いコガタスズメバチだとは解ったが、それはあくまでもスズメバチの中ではという話だ。危険なことには変わりない。
「どーすんの?」
「どーするってほっとく訳にはいかんだろ。お前、良く気付いたな」
「俺の部屋からこの木、良く見えるんだよ。何か変な物が見えるなって思って……」
「まさか蜂が出入りするのまで見えたってか。お前視力5.0位あるんじゃないか?」
「視力は0.8だけど、変だと思って学校に来る途中に頭の上飛んでく蜂が見えたの。先生、俺のこと何だと思ってんだよっ」
「そうか、視力大事にしないと、裸眼で運転免許取れないぞ」
「余計なお世話だよっ」
 柴田と会話を続けながらも、村上の視線は蜂の巣にいったままだ。
 もっと初期の段階で発見したのならば、駆除は簡単に出来ただろう。しかし、この巣は既に結構な大きさになってしまっている。素人が手を出していいかどうか微妙なところだ。
 しかも、この先9月くらいまでにかけて、蜂の巣は爆発的に成長する。
 今まで、生徒が蜂の被害に遭わなかったのは運が良かったに過ぎない。
 業者に頼むのが一番の方法だろうが、校長に連絡して許可を取り、更に業者を捜して駆除を依頼するという手順を踏んでいる間に、確実に村上の当直期間は終了してしまうだろう。なぜなら、村上の当直は今夜で終わりだからだ。
 蜂の巣を目にした以上、村上にはどうしても欲しい物があった。
 しかも、例え当直期間中であったとしても、業者がそれをくれるとは限らない。というか、多分くれないだろう。
「柴田」
「何だよ」
「お前んち、タマネギ5キロ単位で買ったりしてる?」
「はぁ〜っ?」

☆   ☆   ☆

 そして、その日の夜──。
 村上は異様な恰好で問題のハナミズキの前に立っていた。
 傍らには脚立を携えた柴田も一緒だ。
 基本的に2人暮らしの柴田宅がタマネギをキロ単位で買っているはずもなく、村上の質問の意味を知った柴田が近所を回って、タマネギを詰める赤いネットを調達してきた。
 現在の村上の恰好は、厚手の雨合羽に身を包み、ゴム手、ゴム長を装着して、更には頭からタマネギネットを被ったという、お前は何星人だといった有様で。
 言うまでもなく、これは対スズメバチ装備である。
 蜂が巣に戻る夜間を待って、村上は自力でそれを駆除することにしたのだ。
「いいか柴田、危ないと思ったら頼むからすぐに逃げてくれ、私利私欲で生徒に怪我させたとあっちゃ、俺の教師生命が危うくなる」
「先生がへましなきゃ大丈夫だよ。それに俺、逃げ足速いし」
「プレッシャーかけるなよ」
 いつもの村上なら、足が速いのではなく、逃げ足限定で速いのかよと突っ込むところであるが、今の彼にそんな余裕はない。
 片手にキンチ○ール、片手に丸めたティッシュを持って臨戦態勢に入っているからだ。
 脚立をハナミズキに立てかけると、赤いセロファンを貼った懐中電灯で柴田に蜂の巣を照らさせる。
 赤いセロファンを貼るのは写真を現像する部屋の明かりが赤いのと同じ理由で、蜂にそれが明かりだと認識させない為だ。
 振動を与えないようにゆっくりと脚立を昇り、一箇所しかない巣の出入り口から殺虫剤を30秒ほど噴射して、丸めたティッシュでその口を塞ぐ。
 ありがたいことに、蜂の反撃に遭うことなく、駆除作業は終了を見た。
 捻るようにして、その巣を木からもぎ取ると下で待つ柴田に手渡して村上は脚立を降りた。
「うまくいったじゃん」
「たまたまな。運が良かったんだ。お前は絶対真似するなよ」
「いくら俺だって、先生ほど自分の欲望に忠実じゃねーよ」
「便乗しといて、今更そんなこと言うかよ」
「いや〜、個人的には好きだけどね、目的を達成する為には、そんな恰好するのも厭(いと)わない辺りが」
「……我ながらそう思うよ。でもな、恥を捨てたおかげでまんまと蜂の巣ゲットだぜっ」
「ゲットだぜって……先生、テンション上がり過ぎ。それより、もうその網脱いだら? 顔に跡付かない?」
 ついつい息子の見ているアニメの主人公の決め台詞(?)を口走ってしまったことに村上は赤面した。
 まあ、暗い上に赤い網を被っているのだから、それが柴田にバレる心配もないだろうが。
「網タイツ被ってる訳じゃないんだ、跡なんてつくかよ。それに、まだ脱げない理由もあるしな」
 言うと、村上は用意していたバケツに新聞紙を放り込み火を放つ。
 警備員には蜂の巣を駆除する旨伝えてあるから、心配無用だ。
 準備が出来たところで村上は和紙の様な手触りの蜂の巣の外側をはがしてゆく。
 この中に階層状に積み重なっているのがスズメバチの巣本体で、マーブル模様の外側は単なる外壁に過ぎない。
 外壁をはがすと同時にバラバラとスズメバチの死骸も一緒に落ちてくる。
 殺虫剤に弱い蜂の殆どは死んでいたが、念には念を入れてそれを次々と火の中に放り込む。
 パチパチという音と共に、タンパク質が焼ける臭いが漂ってきて、村上は顔をしかめた。
 その理由は悪臭の為ではない。いくら危険とはいえ、自分が大量の命を奪ってしまったことを心苦しく思ったからだ。
 もちろん、それが単なる自己満足の感傷でしかないことを知ってはいるが──
「柴田もういいぞ。見てみろ、大量だ」
 タマネギネットを脱ぎながら、村上が指差したものは、六角形の小部屋に別れた巣の中にびっしりとつまった蜂の子だった(作者註:想像しない方が身のためです)。
 そう、村上がどうしても欲しかったのはこの蜂の子である。
 といっても、別に村上はこれをバター炒めにしたり、炊き込みご飯にしたりして食べようというのではない。
 そのつもりなら、最初から殺虫剤など使わない。
 秘かにではなく、大っぴらに釣りバカな村上は、釣りの餌としてこの蜂の子が欲しかったのだ。
 滅多に口に入ることがないからだろうか、これを使うと魚の食いつきがものすごく良い。
 これは、幼い頃遊びにいった田舎の祖父に教えてもらったことだ。
「うげ〜、こんだけ詰まってると、ちょっと鳥肌もんだな〜」
「確かに……、柴田、お前どれくらいいる?」
 そして、柴田が張り切ってタマネギネットを探し出してきた上に、この場にいる理由も村上と同じである。
 沢山いるようで、案外いない釣り仲間は意気投合すると、驚異の結束力を発揮する。
「欲張ったところで日持ちしねぇしな〜。どうせ試すならちゃんとしたところ行きたいし……う〜ん、悩みどころだぜ。これって冷凍きく?」
「知るかよ。たとえきいたとして、こんなもの冷凍庫にしまったら家族に嫌がられるぞ。ともかく、瓶出せよ」
「……確かに」
「まあ、こんなもん持って帰ったら嫌がられるのは俺も同じだけどな……」
 柴田が差し出したジャムの空き瓶(大瓶)に蜂の子を詰めながら、村上は呟いた。
「だろうね」
 村上と柴田は揃って大きなため息をついた。
 それは、釣ってきた魚は喜んで食べるくせに、その餌には理解を示さない家族に対するものだ。
「………柴田」
「何? 散々協力させといて、今更分けてやるのが惜しくなったとか言うなよ」
「ばか、そうじゃなくて。お前、明日と明後日は暇か?」
 この問いかけの意味を柴田は一瞬にして察知したらしい。
 目を輝かせて断言する。
「暇っ、暇じゃなくても暇になるっ!」

☆   ☆   ☆

「柴田、絶対に内緒だからな」
「誰がバラすよ。俺だって共犯なんだからっ」
 翌日、村上の運転するRV車の車内で、釣り人二人はより強く結束していた。
 昨夜、釣りには充分すぎるくらいの量を瓶に詰め込んだ後にも、巣の中には全体量の8割の蜂の子が残っていた。
 考えた末、村上はそのお裾分けを鯉にもしてやることにして、水で殺虫剤を洗い流した後、その全てを池の中に放り込んだ。
 懐中電灯で池を照らしてみると、思わぬご馳走のお出ましにバシャバシャと音を立てて、鯉たちは食事にいそしんでいた。
 とはいえ、ご馳走を腹一杯食べられたのは体長の大きな鯉だけで、小さな鯉は彼らに圧倒されてそのおこぼれにあずかる程度だ。
 美味いものを目の前にすると、食い意地が張ってしまうのはどうやら人間ばかりではないらしい。
 そんなことを考えながら、鯉の様子を眺めていた村上が顔色を無くしたのは今朝のことだ。
 夜中にご馳走をあげたから大丈夫というわけにもいかず、村上が池の鯉に餌をやりに行くと、昨日食い意地を発揮してばくばくと蜂の子を食っていた、大きな鯉ばかりが3匹ほど、腹を上にして池に浮かんでいたのだ。
 多分、蜂の子を腹一杯食ったので体内にガスが溜まってしまったのだろう。
 ヤバい──と思ったものの、事実を伝えたところで死んでしまった鯉は生き返らない。
 素知らぬ顔で、暑さのせいですかねぇ〜池の鯉が数匹死んでいますと、警備員に伝えて、後処理を頼んだ。
 いたたまれない思いで、村上はそそくさと引継を終えると、学校を後にした。
 1週間も留守にしておいて、またすぐに出掛けるのかという妻と子供の冷たい視線を振り切って、釣り道具を車に積み込んだ後、村上は柴田を拾いに戻る。
 今すぐにでも最高の餌の威力を試してみたいが、釣りをするならやはり早朝に限る。
 そんな理由で、昨夜話が決まった時点で、村上は芦ノ湖近くの顔なじみの民宿に電話を掛けて予約を入れた。
 責任を持ってお預かりしますからと、柴田の両親に教師面して──いや、教師なのだが──挨拶し、一路芦ノ湖に向かってひた走る。
 テンションが上がってしまって、釣っても居ないニジマスの食い方に悩む柴田に、村上は池に浮かんだ鯉についての口止めをした。
 ありゃりゃ、と変な感嘆詞を使って、柴田はその驚きを表現した。
 更に、共犯という言葉を口にして、秘密を守ることを承諾する。
 そして──
 これは、彼らが共有した最初の秘密であると同時に、最も些細なものだった──

※注:この話はフィクションです。スズメバチの駆除方法等については信用しないで下さい。


<<BACK    NEXT>>

●和泉澤TOP●


Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!