これってどうよ?(3)
「何でこういうことになってんだ?」 忘れて寝ることがないようにと、昨日民宿に帰って早々に村上がセットした携帯電話のアラームに起こされた柴田は途方にくれていた。 目覚ましが鳴ったところで止めて二度寝をする、妻に甘えた習慣がついている村上は未だ夢の中だが、柴田は違う。 自分で起きなくては、同室の三田村は絶対に柴田を起こしてなどくれないからだ。 これは別に三田村と柴田が不仲だからではない。互いを必要以上に干渉しない三田村との同居は、お互いの距離がきちんととれていて過ごしやすいというだけだ。 なんでそんな着メロをダウンロードしているんだかと柴田が村上のセンスを大いに疑う本日の目覚めの曲は『○曜サスペンス劇場予告編』という奴で。 朝っぱらからなんでこんな緊迫感のある音楽で起こされなきゃならないのだろう。 ── 最悪じゃん。 と思ったのは、アラームを止めるために、重たい体を起こした時まで。 今、柴田が置かれている状況は、目覚めの悪さなんか、遠くのお山に飛んでいってしまう程に、冷や汗ものの状況だった。 思考がまとまらない頭を振りながら、取りあえずは水だと柴田は周りを見回した。 ☆ ☆ ☆ はっきり言って昨日はものすごく楽しかった。村上が妻と子供を振り切ってまで、試してみたかった『究極の釣り餌(釣り餌と書いてメニューと読む)』(命名:村上。ちなみに、センスねぇ先生。というのが柴田の心の声である)の力は絶大で。 最初に釣り糸を投げ入れてから、ほんの3時間ほどで、制限数をつり上げてしまった村上と柴田はそれを抱えて民宿へと戻った。 釣ってしまったものの、併せて35匹(ニジマス多数、ブラウントラウト少々)という釣果は二人で食いきれるものではない。 自分たちには明日もあることだし、晩飯の足しにでも、と知り合いの民宿オーナーに提供すると、お世辞抜きに喜ばれて、ラッキーなことに宿泊代が只になった。 とはいえ、元々支払いは全部村上持ちということになっており、柴田が得する訳ではないのだが、自分のツレが得をするのは素直に嬉しい、彼はそんな奴なのである。 それに、当然といえば当然なのだろうが、自分たちの釣った魚は民宿の夕食の1品となり、他の泊まり客がそれに舌鼓を打つ様子を眺めるのは、ちょっといい気分だった。 そんなこんなで機嫌が良かったのはなにも柴田だけではない。 村上も、あんな怪しい格好をしたかいがあったぜ、おかあちゃ〜ん、と3年前に他界した母親に向かって心の中でつぶやく程に、どこか遠いところまで行ってしまっていた。 もちろん、草葉の陰から母親が情けなさのあまり涙を流している様子は、敢えて想像しない。 だから、部屋に戻った柴田が、鞄の中から村上が高くて普段は手を出せないスコッチウィスキーを取り出した時にも、彼は教師には戻らなかった。 酒屋の息子をなめんなよ、と自信満々に言い切った柴田に水割りならばという条件で飲酒を許してくれて、自分はそれをロックでなめた。 たとえそれが注がれているのが××ビールと白い文字がプリントされたいかにも安物のコップだとしてもいい酒はいい酒だ。本当に良いものは器を選ばないのだ。 最初こそ、一応目の前に教師がいる手前、パックを入れてまだ30分の麦茶みたいな水割りを飲んでいた柴田だが、杯を重ねるごとにその色はだんだん飲み頃の麦茶の様になってきた。 流石威張るだけあるなぁ〜と、未成年のくせに、自分の妻の100倍くらいは酒に強そうな柴田を眺め、村上はしみじみと呟いた。 そんな柴田につられる様に、村上もグラス──否、コップだが──を空けて、しまいには生徒に向かって語りはじめた。 その話の内容は愚痴なのか、のろけなのか、思い出語りなのか、微妙なところだ。というより、その全て? 細かい口論は絶えないけれど、自分には出来過ぎた相手である妻の唯一の欠点は、酒を殆ど飲めないところ。たまには家でゆっくり飲みたいと思っても、一人で飲むのはむなしいぞ〜、から始まって。 お前も嫁さん貰うなら少しは飲める相手にしておけと、気が早すぎる上、余計なお世話な忠告に。 あげくに、聞かれて彼女はいないと答えた柴田に向かって、俺がお前の年の頃には下級生に大もてだったぞ、と締め殺したくなるような自慢話までしくさった。 ウチの学校で下級生に大もてだったら、恐ろしいことになるだろっ、と酔いが回りかけている割には至極まっとうな反論をした柴田は、自分が和泉澤の下級生に地味もて(なんだよそりゃ)していることを知る由もない。 ともかく、口論やら爆笑やら猥談なんかをしながら、明日の早朝に予定があることを忘れて、調子に乗って二人とも飲み過ぎたのは事実だ。 とはいえ、アルコール消化酵素が人の1.5倍くらいは備わっているらしい柴田は、二日酔いをすることはない。たとえ、飲み過ぎで、起きても酒が抜けきっていないことがあっても、頭が痛くなったり具合が悪くなったりはしないのだ。 どうやら、今の柴田はその酒が抜けきっていない状態だ。まだちょっと、目の前がくらくらする。 酒を飲んでも記憶をなくすということが殆どない自分が、いつ眠ったのか覚えてないところをみると、昨日は明らかに飲み過ぎだ。 そう、飲み過ぎたことは認めるが、この状況は解らない。 なんで自分は何も身につけていないのだろう? しかも、村上がなぜか同じ布団に寝ていて、自分が起き出したことによって晒された彼の上半身も裸なのが恐ろしい。 何をさておき、昨夜水割りに使った水の残りを、柴田は一気に飲み干して、その後、なぜか枕元に落ちていた自分の下着を拾って身につけた。 そうやって、ひと心地ついた後、柴田は世にも恐ろしい事実を確認することにする。 酔いが抜けていないから体は重いが、変な痛みがあるとか、腰が立たないとかという事実はない。 となると、自分がヤられた訳ではないだろうが、自分がヤったかどうかは解らない。 とはいえ、自分より15センチも身長の高い村上を自分が押し倒せたとも思えないし、自分にはそんな趣味はなかった筈だとも思うが、如何せん酔っぱらいのやること。常識は通用しないし、体は重いのに腰は軽い様な気がするのが、ものすごく嫌な感じだ。 ── 神様お願いっ! あからさまに、困った時の神頼み状態で、柴田は村上の下半身を覆っている布団の端をつかみ、目をつぶったまままくりあげた。 ギュッとつぶっていた目をそろそろ開けると、そこにはありがたいことに、かろうじて腰ひもで村上の体にまとわりついているだけの浴衣があった。 更に、奥さんの浮気防止策であろうか? ピ○チュウがプリントされたトランクスもしっかりと村上の身を覆っている。 その村上の姿にすっかり安心した柴田は、大きく息を吐き出すと、変な──否、可愛いけどさ──パンツの生物教師を起こしにかかった。 本当に恐ろしいのは、彼が目覚めた後だとも知らずに── ☆ ☆ ☆ 「酒屋の息子が聞いてあきれるぜ」1.5リットルペットボトルのスポーツ飲料を傍らに置きつつ、湖に釣り糸を垂れながら村上は柴田に向かって毒づいた。 「だから、いつもはそんなこと無いんだってばっ!」 「あんなこと、1回あれば十分だ。まさかお前に脱ぎぐせがあるとはね〜」 「気ィ緩んでただけだろ。みんなと飲む時は絶対そんなことないし」 「ほぅ〜、みんなねぇ〜。まあ、それは聞かなかったことにしてやるさ。でも、そのみんなが面白がってお前に黙ってたってこともあるだろ」 「だから〜、いつも最後まで生き残るのは俺なの。証拠隠滅してそれから寝るんだから、そんなことある筈ねーだろっ。あっ、ほら引いてるって」 柴田の言葉に村上は慌てて意識をそちらに戻し、幾分竿を立てる。 「畜生っ〜、バレたっ(魚に逃げられること)。ったく、これで3匹目だよ。調子悪いな〜。やれやれ、男のストリップなんて見せられたせいだぜ、きっと」 「自分の腕の悪さを俺のせいにすんなよ。二日酔いの中年が。帰りの運転大丈夫なのかよ」 「柴田、中年ってのはちょっと言い過ぎだぞ。湖に放り込んでニジマスの餌にするぞ」 いい年をした男がしたところで、決して可愛くはないふくれっ面をしながら、釣り針に新たな餌をつけつつ村上は言った。 そんな村上の言葉に柴田が反撃を開始する。 「あんまり変なもの食わせると、ニジマスが腹を上に向けて湖に浮かぶだろうが。どっかの錦鯉みたいにな」 「お前……内緒にするって約束したくせに、今更それを言うか」 「先生の方がしつこいんだろ。こっちは充分ダメージ受けてるのに、ネチネチといたぶりやがって」 「ダメージ受けたのはこっちだよ。突然、目つきが変わったかと思ったら、お前は暑い〜って言って脱ぎ出すし。止めたって聞かないし、大声でいや〜脱ぐ〜って叫ぶし、その叫び声になにごとかと様子見にきたオーナーにはあらぬ誤解を受けるし。あげくに、俺と一緒に寝るってしがみついて離れないし。仕方ないからこのくそ暑い中、お前抱えて寝たんじゃないか。俺は昨日一晩で絶対に3キロくらい痩せたぞ」 自分が言った台詞で水分不足を思い出しでもしたのか、村上はペットボトルのままスポーツ飲料を補給する。 1.5リットルのペットボトルをラッパ飲みするというのは、あまりみっともいいものではないが、別に取り繕うべき相手もいないので問題はない。 「だから、悪かったって何度も謝っただろ。それによかったじゃん、ビールっ腹が引っ込んで。おっ、来たっ」 「バレてしまえっ! 言っとくが、その不安があるというだけで、俺の腹はまだ出てないぞ。ああ、それはしがみついて寝てたお前の方が良く知ってるか」 「誰がバラすかっ。……よーし、誰かさんと違って腕がいいから釣れた釣れた」 「ちっ、感じの悪い奴だな」 「感じが悪いのはそっちだろうよ。大体抱きつかなくても先生の腹が出てないのは知ってるよ。一緒に風呂入ったんだから。先生、早くも痴呆症じゃねぇの」 柴田の悪態に村上は苦笑した。 今まで散々いじめたが、若い頃に酒を飲んで醜態を晒すのは、それほど恥ずかしいことではない。 それよりも、この年になっても酒と雰囲気に飲まれて流されてしまう自分の方がよっぽど問題がある。 幸い、柴田は全く覚えていない様だが、この話題はこの辺りで切り上げた方が良さそうだ。 なにがきっかけで、柴田がそれを思い出さないとも限らないのだから。 村上はちょっと無理して意地悪そうな笑みを浮かべると、柴田に向かってこう告げた。 「その方がお前にとっても都合がいいんじゃないか? 俺が忘れんぼさんで良かったな柴田」 「……先生。前言撤回っ! 先生ってやっぱイイ奴だよ〜。絶対、秘密にしてくれよ」 「秘密もなにも、忘れたって言っただろう──」 今にも飛びつきそうな柴田を押しのけながら、村上は自嘲の笑みを漏らす。 まるで、柴田のために忘れてやるような言いぐさだと── 昨日起こったことを無かったことにしてしまいたいのは、柴田ではなく、きっと自分の方なのに── |