これってどうよ?(6)



 ──ちっ、つまんねーの。
 柴田は1杯だけだぞと、村上にしつこく念を押されオーダーを許可されたビールを片手にそんなことを思っていた。
 しかもジョッキじゃなくて、グラスでときたものだ。
 先日の一件で、自分は余程信用を落としてしまったらしい。
 村上と、どうやら元カノらしい前田とやらは、思い出話に花が咲いている真っ最中。
 もちろん両者共、柴田が会話に入って来られるように、時折話を振ってはくれるが、そんなことをして貰ったって、柴田には『ええ、そうですね』ぐらいしか言うことがない。
 大体、『ほら、あの時さぁ』『ああ、佐々木の長芋事件だろ』で、通じてしまう話に、柴田がついていける筈がないのだ。
 これで酒でも飲めるならばまだしも、ビールの1杯くらい柴田には水と一緒だ。
 その気になれば10秒で空けてしまえるグラスの中身を、もったいぶってちょびちょび飲んでいる自分がかなり切ない。
 だが、そんな不満はおくびにも出さずに、柴田は二人の会話をにこやかに聞いているふりをしていた。
 仮にも酒屋の息子なのだ。腹の中で何を考えていようと顔には出さないというテクニックは商売柄身に付いている。
 それにしたって、村上も前田も、若い頃にはろくなことをしていないらしかった。
 話の内容が、現役高校生の柴田がちょっと退いてしまう程にハジけている。
 退いてしまうといえば、隣の席に陣取っている5人組──多分、村上と同じくらいの年だ──の会話の内容も、ものすごく怪しかった。
 えげつないホラーの話をしていたかと思えば、密室だ、アリバイ崩しだ、時刻表だとミステリの話になり、その話の飛び方に全く持ってまとまりがない。
 この年代の人間ってみんなそうなのか? そんな訳がないと思いつつも、周りを全部そういう人間に囲まれると、そう思いたくもなる。
「……かと思ったわよ。ねえ、柴田くん」
「はいっ?」
 横目で、その怪しい集団を盗み見していた柴田は、前田に突然話を振られ、ちょっとびっくりしてしまう。
「嫌ぁねぇ、ちゃんと聞いててよ。なーんて、昔話ばっかりでごめんね。柴田くんにはつまらないわよね」
 まったくもってその通り。
 その通りではあるが、昔の友人に会うと、どうしてもそうなってしまうというのは、柴田にも解る。
 まだ彼らの半分程の年数しか生きていない柴田でさえも、小学校時代の友人と過ごすと思い出話に花が咲くのだから。
 いくら近所に住んでいるとはいえ、中高生にとって、学校が違うというのは、物理的に離れているのと近しいものがある。
 これは、同級生の中で一人だけ、和泉澤に進学することになった柴田が実感したことだ。
 だから、つまらないとは思うけれど、それを口にして大人達に気を遣わせることはしない。
「いえ、おかげで生物は赤点取っても大丈夫そうです。いつでも過去の悪事をばらすぞって脅せますから」
「脅すのかよっ」
 すかさず村上の突っ込みが入り、3人は揃って声をあげて笑った。
「すいません、話聞いて無くて。実は隣の人たちの会話が気になっちゃって。ネチョネチョでグニョグニョでヌバヌバとかって言ってんですよ。ヌバヌバって一体どういう状態なんだって感じしません?」
 ひとしきり、笑った後、柴田はよそ見をしていたことを前田に向かって詫びた。
 そんな柴田に、前田は気にしないでと笑みを浮かべ、こっそり耳打ちしてくれる。
 彼らは多分推理作家の集団だと。
 そして、彼らの名誉の為に付け加えるが、彼らが使っていた擬音の一つはヌバヌバではなくヌトヌトだ。どっちもどっちという感じだが、ヌバヌバよりはまだそのイメージがつかみやすい。
 雑誌の編集者をしているという前田は、その中の2人ばかりに見覚えがあると言った。
 どちらもデビューして5年以内の新人作家らしく、順調にファンを増やしているらしい。
 江戸時代の捕物帖を得意とする笹村と、SFタッチの近未来物が代表作の倉橋は、そんな舞台設定を選んでいるにも関わらず、本格派のミステリ作家に分類されているとのこと。
 残りの3人は私もよく解らないけど、どっかで顔を見たことがあるような気がするから、やっぱり同類でしょ、と、前田は柴田に向かってウィンクをしてみせた。
「編集者が作家の名前知らなくてやってけるのかよ」
 へぇ〜、あいつらがねぇ、といった表情でその集団を眺めていた村上は、前田の方に向き直ると、にやりと笑っていった。
「残念でした。私の担当は少女小説なんです。推理作家の名前なんて、そっちに異動されてから覚えればいいのよ」
 とはいうものの、本当に来年あたりには、どこか別の雑誌に異動させされそうな気配を前田は感じていた。
 もし、その雑誌がミステリ誌ならば、今、自分が担当している講英社の看板作家を引っ張っていってやるだなんて、恐ろしいことを彼女は密かに企んでいた。
 彼女がメインで担当する若い少女小説家は、世間に自分のプロフィールを一切開かしていないし、公の場にも出てこないので、謎の覆面作家扱いをされているが、その実体は柴田の先輩で村上の教え子である。
 つまり、覆面少女小説家の正体は、現役男子大学生で、デビュー当時は高校生ときたもんだ。
 男子高校生がどの面下げてこんな小説書いたのよ、と本人に会うまでは彼に否定的な感情を抱いていた前田が、彼をひと目みた瞬間、そんな気持ちはどこかに飛んでいった。
 目の保養が出来る上に、決して締め切りを破らない彼は、前田が担当する作家の中で最もつきあいやすい人物のひとりだ。
 村上が和泉澤にいるというのも、彼との会話の中でひょんなことから知り得た事実だ。
 以前に前田が押しつけた無理な要求を、驚くべき手際と手段で解決して見せ、何でも器用にこなす彼は、絶対に推理小説も書けると彼女は信じている。
 それも、ミステリが話のおまけについているようなものではなくて、結構本格的な物を。
 和泉澤学園の生徒を、彼女はその少女小説家と、彼の相方で同居人でもあるイラストレータの2人しか知らなかったから、彼らが標準なのかと思もっていたが、どうやらそうではないらしい。
 今、前田の目の前にいる少年は、気の利いた話し方をするものの、彼らのように食えない雰囲気はない。
 これを言ってしまうと、自分も仲間入りをしているようで嫌なのだが、柴田というのは、素直でやんちゃで可愛くて、いかにもおばさま受けしそうな雰囲気を持っている。
 それに、これは前田の勘──というより、偏見……否、邪推……否、目と頭が腐っている?──なのだが、どうやら自分の元カレにも好かれているようだ。
 村上は昔から、仕事とプライベートを完全に分ける主義だった。
 まあ、前田が知っているのは村上が大学生の頃のみだが、一時期彼と同じバイト先で働いていた前田は、その変わり身に驚愕したものだ。
 バイト先に入った途端、前田に対しても職場の同僚という立場を崩さなかったし、バイト仲間とも馴れ合わなかった。
 バイト先なんて新たな友人を作る恰好の場所なのに、職場は職場で金を得るためだけの場所だからと言い切る村上に、当時前田は案外と融通のきかない男だな、という感想を抱いた。
 今でも、それでよく教員なんて勤まっているなと思う。
 が、柴田の話を聞く限り、村上の校内での評判は良いらしい。
 もしかすると、その切り替えがうまさが、煮詰まらずに教員を続けられるコツなのかもしれない。
 ともかく、そんな村上が、いくら釣り仲間とはいえ、自分の生徒を連れ歩いていること自体が驚きだ。しかも、夏休みに。
 これはもう、何かあるとしか思えない。
 というか、思わないのは損だ。
 いくら自分の目と頭が腐っているとはいえ、邪推をできればそれでいいというものではない。
 やはり、ヴィジュアル的にも美しいのがオイシイ邪推というものだ。
 その点、村上と柴田は実際に絡んでいたとしても嫌悪感を感じる容姿ではないし、教師と生徒という設定も、女心をそそる。
 と、こっそりとテーブルの下で拳を握りしめる前田にとって、ゲイの世界というのは、あくまでもファンタジーの域を出ない。
 だから、夏休みまで教師と時間を共にするだなんて、高校生の頃の自分が絶対にしたくなかったことを、平気でしている柴田に、村上が手洗いに立った隙を狙って興味津々で話しかけた。
「さて、小うるさい奴がいなくなった処で、飲もうか柴田くん。男の子だから細かいことは気にしないわよね」
 まずは、酒で口の滑りを滑らかにすることを狙って、自分がボトルで頼んでいたワインを、既に空になっていた柴田のビアグラスにドボドボと注ぎ込む。
 それを見て、ええ、気にしませんともと言わんばかりに柴田の目が輝いた。
 酒飲みの前田がオーダーしていた白ワインは、リーズナブルな値段の割に、それなりの味のものだ。
 一口飲んでうまいと呟き、村上が戻って来る前にと、一気にそれを飲み干す柴田を見て、前田は満足げに微笑んだ。
「OK、いける口ね。もう1杯いっとく?」
「是非っ!」
 2度目に注がれたワインも、1杯目と同じくあっという間に空になる。
「なんだ柴田くん、飲めるんじゃない。孝久のやつ、なんであんなに止めるかな。もしかして君、自分の限界解らない?」
 首を傾げた前田に、柴田は苦笑した。
「いやぁ、解ってるつもりなんですけど、この間、ちょっとばかり飲み過ぎたもんで警戒されてるみたいです。少なくともウィスキーボトル半分までは平気ですよ」
「そっかー、飲める人間が居酒屋で飲めないのは、話しに入れないよりキツいよね。折角、保護者付きで補導される心配もないっていうのに。あっ、いいこと考えた。私がウィスキーのボトルオーダーするから、柴田くんはジンジャーエールオーダーするといいわ。あとは孝久の隙みて、うまくやるのよ」
「了解しました。前田さんって話解りますね」
「まあね、私は通りすがりの人間だし。で、通りすがりの人間だからこそ、こんな聞きにくいことも聞けちゃうんだけど、柴田くんって、孝久とデキてるの?」
 突然の前田の問いかけに柴田は『はぁ〜?』と口を開けた。
「だって、小学生ならともかく、高校生にもなって休み中に先生といたって面白くないのが普通じゃない? それが一緒にいるんだから、何か特別な感情があるのかなって思って」
「いえ、単なる釣り仲間ってだけです………多分」
「多分──か。まあ、いいわ。ごめんね、変なこと聞いちゃって。あの孝久がプライベートで生徒と一緒にいるっていうのが珍しかったもんだから、邪推しちゃった。年齢が離れていても気の合う友人っていうのはいるものね。っていうか、全寮制男子高って響きが邪推を誘うのかしら。なんてったってギムナジウムなんですもの」
 あははと笑う前田を見て、柴田は結核療養所がどうしたっていうんだと眉を寄せる。
 男子高校生がその単語を知らないのはいたしかたないが、柴田よ、結核療養所はギムナジウムではなく、サナトリウムの間違いだ。
 どうやら話が通じていないらしいと判断した前田が、ギムナジウムの説明をしようとした処で、居酒屋の店員が傍を通り、彼女はそれを呼びとめて、先程のオーダーを告げる。
「お前、まだ飲むのかよ」
 店員がオーダーを復唱して席を離れた時、丁度手洗いから戻ってきた村上が、呆れた口調で前田に話しかたので、柴田の誤解は正される機会を失った。
「酔ってないんだから、いくら飲んだって問題ないでしょ」
「お前、学生時代から言うことひとつも変わってないじゃないか。少しは進歩しろよ」
 という流れで再び始まった、彼らの学生時代の思い出話を右から左へと流しながら、柴田は考えていた。
 確かにこの夏休み、自分の行動はちょっとおかしいかもしれない。
 言われて見れば、村上以外の教員と、夏休みにまで顔を合わせるかと思うと、柴田はぞっとしてしまう。
 それが村上となら苦もなくできて、あまつさえ楽しく感じるのは何故なのか。
 前田の言う通りに、村上が生徒をプライベートで付き合わない主義だとしたら、何故自分を誘ってくれるのか。
 前田の問いかけに、どうして『多分』など付けずに、単なる釣り仲間ですと断言出来なかったのか。
 時折、村上の妻に対して、先生のこと解ってねぇな、という感想を抱くのは何故なのか。
 具体的なことは何もないのに、達弥のことを傷つけたくないと思うのは何故なのか。
 その謎の全てが、前田の言った特別な感情──いわゆる恋愛感情という奴だ──の存在を認めてしまえば、いとも簡単に解明されるような気もする。
 この際、村上の気持ちは一端横に置いておくとして、自分の気持ちはどうなのだろうと、柴田は自分の心と向き合うが、明確な答えは出ない。
 前田の爆弾発言に惑わされてそんな気になっているだけといえば、それだけな気もするし、奥さんに嫉妬してしまうくらい、村上のことが好きなのかもしれないという気もする。
 なんど考えても出口がなく、思考はぐるぐると回り続けるだけだ。
 自問自答を繰り返しながら、柴田はいつしか傍目には単なるジンジャーエール、実はウィスキー入りといった飲み物のグラスを重ねてしまっていた。
 昔話に夢中になっていた村上が、死角になるテーブルの下で、柴田のジンジャーエールに前田のウィスキーが足されている事実に気付いた時──
 既にそのボトルは、残り1/4を残すのみとなっており、柴田の目は、すっかり座ってしまっていた。

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