これってどうよ?(7)



「ねぇ〜せんせー、早く帰ろうよぉ」
 半分意識が朦朧としながらも、流石にここが人目のある場所だということが解っているのだろう。
 現在の柴田は村上にしがみつきながらも、脱ぐことまではしていなかった。
 その代わり、とにかく帰りたいの一点張りだ。
「帰るったって……」
 5分程無駄な攻防をしたあげく、前回同様柴田を引きはがすことを断念した村上はほとほと弱った口調で呟いた。
 いくら柴田が酒屋の息子であって、仮に彼の親が飲酒に関して息子に寛大な態度をとる家庭であったとしても、流石にこんな状態で帰せるわけがない。
 今回は別に村上が飲ませた訳ではないが、例え悪いのが前田であっても、親から柴田を預かった責任というものが彼にはあるのだ。
「なぁ〜、せんせー帰ろー」
「ああ、はいはい。ったくどーすっかなぁ〜」
 しつこく帰ろうと言う柴田の背中をポンポンと叩いてなだめながら、村上は大きくため息をついた。
 そのリズムに気持ちよさげに目を閉じて、間もなく寝息を立て始めた柴田を見て、それまで面白そうに事の成り行きを傍観していた前田が口を開いた。
「孝久、懐かれちゃってるわねぇ〜」
「しみじみ呟くな、しみじみ! 大体、お前、柴田に何、飲ませんだよっ!」
「ウィスキー♪」
「だから〜、そーじゃなくて」
「失礼。だって、本人ボトル半分までは平気だって言ってたし、実際普段は平気なんだと思うわよ」
「高校生の言うことそのまま信じるなよ。見栄張ってるに決まってるだろ。実際平気なのは1/3強ってところだろうよ。それなのに、ああ、それなのにそれなのに。お嬢さんこのボトルの残りはいかほどでしょうかねぇ」
 右手で柴田の背中を叩きつつき、村上は空いた左手で、嫌みったらしくウィスキーのボトルを振って前田に見せる。
 そんな村上の嫌味をものともせずに、前田はしゃあしゃあと応える。
「なら、許容量は超えてないじゃない。半分以上はあたしが飲んだんだもの」
「そーゆー問題じゃねぇよ。仮にも教師が生徒をべろべろに酔っぱらわせて親元に返すわけにはいかんだろうが」
「なら、孝久のところに泊めてあげればいいじゃない。仮にも教師なんだから親には信用あるでしょう」
「いや…それは」
 確かに、前田の意見が最善策ではあるというのは、村上にも解る。解るどころが、自分でもそうするしかないと思っている。
 しかし、先日の一件で、村上はそれに躊躇せざるを得なかった。
 悲しいかな、村上が今一番信用できないのは、自分自身なのである。
 これで瑞恵と達弥がいるならまだしも、よりによって帰省中ときたもんだ。
「それは何なのよ? まあ、いいわ。どうしても孝久が泊めたくないっていうなら、あたしが預かってもいいのよ」
 にやり。
 前田の世にも恐ろしい微笑みに、村上は思わず空いていた左手も使って柴田を抱きしめた。
「そんな、恐ろしいこと出来るわけねぇだろ。狼の群れに子羊を放り込むようなもんだろーがっ」
「なによそれ。凄まじく失礼な態度じゃないのよ」
 不満顔で文句を言う前田に、村上は先程の考えを撤回した。
 世の中で一番信用できないのは、自分ではなく、この女だ。
 確かに前田の言うように、失礼だとも思うが、そう思うものはそう思う。
「まあ、冗談はともかく。確かに飲ませたあたしも悪いけど、コレ、多分孝久にも原因があるわよ」
 ── えっ? 冗談だったのか?
 どう考えても、冗談以外のなにものでもないだろうに、前田の発言をちょっと──というかかなり──本気にしていた村上は一気に拍子抜けした。
 それと同時に、前田が聞き捨てならないことを言っていたのにも気付く。
「ちょっと待て、何で俺に責任があるんだよ。まあ、監督不行届だったのは認めるけど、それ、お前が言っていいことじゃないぞ。この場において、悪いのは全部お前だ」
「ふーん、まあ、ほいほいとそそのかされた柴田くんは、この際悪く無かったことにしてあげるわよ。確かにお酒を勧めたあたしが一番悪いことも認める。でも、柴田くんがここまで酔っぱらったのって、確実に孝久、あなたのせいよ」
「だから、なんで俺のせいなんだよ。生徒ほったらかして、昔話に花を咲かせてたのが悪いっていうのかよ」
「確かにそれもあるけど、それならあたしも共犯でしょ。そうじゃなくて、この子、孝久が傍にいるから酔っぱらうのよ?」
「はぁ〜? 何言ってんのお前?」
「別にあんたの身体から、酔っぱらい光線(何だよそりゃ)が出てるってんじゃないから、安心して。先刻も言ったでしょ、ボトル半分飲んでも平気だっていうのは多分本当だって」
「その根拠は?」
 前田の自信ありげな発言に、村上は眉を寄せた。
 たった1度、しかも高々3時間ばかり一緒に過ごした柴田のことを前田が自信ありげに断言する理由が解らなかったからだ。
「簡単よ。あなた、職場の人間と飲んで潰れたことある?」
 突然変わった前田の質問の意図は解らなかったものの、村上は目を左右に数回動かして過去を回想する。
「職場の人間に限らず、そんなことは殆どないな。それがどーしたよ?」
「でも、学生時代、あたしが居る時は割と潰れてたでしょ」
「そりゃ、お前が強すぎんだよ」
「はい、そこ。あたしが居ないときに潰れたことは?」
「………言われてみりゃないな? 大体、周りの人間が全部潰れてるのに俺が…あっ!」
「はい、ご名算。そーゆーこと。高校生でなくてもこれだけ飲めれば強い方よ。仲間内では一番強いんでしょうよ。学生時代のあなたにとってあたしが居る時は潰れてもいい時だったんでしょ。つまり、柴田くんにとって、あなたといる時は潰れてもいい時ってことなのよ。例え、それが無意識だったとしてもね。良かったじゃない、信頼されてるってことなんだから」
「……そんな信頼のされかたは、あんまり歓迎したくないけどな」
 と言いつつも、村上は柴田に信頼されたことが、教師としてだけではなく、人間として素直に嬉しかった。
 村上は、あぐらをかいた自分の膝に頭を乗っけて寝息を立てている柴田を見て、無意識に微笑んでいた。
 そんな村上の様子を見て、前田も笑みを漏らす。
 但し、その性質は全く違っていたが。
「そう? 結構嬉しくない? あたしは嬉しかったわよ。自分だけが知ってる誰かの姿って、ものすごく優越感を感じるもの」
 秘かに、こんな柴田を知ってるのが俺だけ──通りすがりの前田は勘定にいれないことにした──なんだよなぁ〜とか考えていた村上は、自分の心を見透かしたような前田の発言に肝を冷やした。
「そっ、そりゃ、お前が俺に惚れてたからだろ」
 前田をやりこめるつもりで言った台詞は、声が上擦ってちっとも成功していないことを村上も自覚はしていた。
 本人が自覚できるくらいなのだ、それに前田が気付かない筈がない。
 学生時代、彼女を本性を知らない男共が、『天使の微笑み』と表現した綺麗な笑顔を添えて前田は言った。
「まあね♪」
「……」
 ウィンクとともに、恥ずかし気もなく前田に肯定されて、村上は言葉が出なかった。
 ここで彼女にそれを認められてしまうと、自分も認めてはいけない何かを自覚してしまいそうだったから──

☆   ☆   ☆

「ほらっ、水だ、柴田」
 帰り際。いやぁ〜、いい夢見られそう。ありがとね、孝久。と、前田に意味不明の礼を言われ、コイツ、どんな夢を見る気なんだとゾッとはしたものの、村上はそんなことに気を取られている場合ではなかった。
 お望み通り帰るぞと、柴田を起こしにかかったものの、起きてるよと言うばかりでちっとも起きない彼を、結局は肩に担ぎ上げて居酒屋を後にした。
 そのくせ、リアシートに放り込もうとすると、柴田は助手席に乗ると頑としてそれを拒否するのだ。
 仕方なく、くたっとした柴田を助手席にようやっとで座らせて、シートベルトを付けさせる。
 軟体動物みたいに身体に力が入らない状態になっているくせに、移動させられたことによって、目が覚めたらしい柴田に、村上は今起きるくらいならいっそ一生寝ていて欲しいという感想抱く。
 脈絡無く、思いついたことを思いついたままにベラベラと話し続ける柴田に、車内で電話をかけることを断念した村上は、一端座った運転席からわざわざ降りて、彼の両親に電話を掛けた。
 道が混んでいて遅くなってしまうので、柴田くんは今夜はうちに泊めますと言った村上に、彼の両親はご迷惑かけてすみませんといたく恐縮してくれた。
 そんな反応をされてしまうと、村上の方が心苦しくなる。
 こちらこそすみませんだ。
 しかし、元カノが暴走してお宅のご子息に酒をガンガン飲ませましただなんて、村上が教師でなくても言えたものではない。
 そんな後ろめたい思いをしながら、やっと電話を終えて車内に戻ったかと思うと、途端、柴田にどこ行ってたんだよと絡まれて。
 更には車を走り出させてからも、シートベルトをしたまま服を脱ごうとする柴田に、脱げないからやめろと数分おきに突っ込みを入れて。
 ならば、とシートベルトを外そうとする柴田を押しとどめたりして。
 よくもまあ、事故らずに帰って来られたものだと自分でも感心するくらいだ。
 あげくに、自宅マンションの駐車場に着き、シートベルトを外した途端、柴田はやったとばかりにTシャツを脱いで、無意味にぶんぶんと振り回す。
 そして、最悪なことに、それをエレベーター待ちをしていた若い女性に目撃されるときたもんだ。
 まったくもって、近年まれに見るほどの踏んだり蹴ったりぶりである。
 そんなこんなで、現在の村上は柴田にミネラルウォーターのペットボトルを与え、お疲れさんと自分を労いビール片手に、取りあえず柴田を放り投げたソファの向かいに座り込んだ。
 車を運転して帰らなくてはならないし、同乗者もいるからと居酒屋では一滴も飲まなかった上に、目の前にはご機嫌に出来上がった人間がいるのだ。
 これが飲まずにいられるか。
 柴田と村上が二人で酔っぱらうと、悪夢を見るのは重々承知しているが、ビールの1本くらいなら、何の問題も無い筈だ。
 渡された水を半分くらい一気のみして、器用にもそれを持ったまま再び眠りについた柴田を眺め、彼をベッドに運んできちんと寝かせる──預かった手前、流石に自分がベッドで柴田がソファという訳にはいくまい──という、もうひと仕事があるのを思い出して村上はうんざりした。
 そして、それにうんざりすることのできた自分に、ちょっと安心した。

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