これってどうよ?(9)
「セン…セ」 掠れた声で柴田に呼びかけられ、村上は動きを止めた。 寝言にも聞こえるその声に、村上が視線を上げると声とは対照的にしっかりとした眼差しで柴田が彼を見つめていた。 まずい── 何がまずいのか、自分でもさっぱり解らないが、柴田と目があった瞬間、村上の鼓動は跳ね上がった。 柴田はともかく今日の自分は酔ってはいない、これで何か──何が?──あった日にゃ、言い訳が立たない。 ──言い訳がたたない? 誰に? それは、多分、妻や子供や柴田にではなくて、自分自身に。 だって、まずいと思う理由がさっぱり解らないというのは嘘だから。 解っているからこそ、まずいと思うのだ。 今日、村上は前田と自分自身に対してどれだけの嘘と言い訳を重ねてきたことだろう。 まず、柴田が村上の知らない間に飲んでいたというのが嘘だ。 水面下ならぬ、テーブルの下で行われている柴田と前田のボトルのやりとりを、村上は2杯目の時点で村上は気付いていた。 自分が手洗いに行っている間に、前田が柴田に何かを吹き込んだことも。 伊達にポリシーを曲げてまで柴田と付き合って来た訳ではない。柴田が何かを考え込んでいることくらい、すぐに解った。 柴田が途中で結論を出すのを放り出したことも。 ハイペースなグラスの空き方がそれを証明している。 柴田が酔っていくのを知りつつ、それを放っておいたのは自分。 酔った柴田を自宅に帰したところで、柴田の両親がそれを咎めることなどないと知りつつ、妻子不在のマンションに連れ帰ることにしたのも自分。 本気で叱ればおとなしくなったであろう柴田の暴挙を容認したのも自分。 認めてはいけないと言い聞かせつつも、深層心理ではとっくにその気持ちに気付いていた自分。 うんざりできたことにほっとした振りをしながら、頭の片隅で想像していた展開にならなかったことを残念に思っていた自分。 自分、自分、自分── その全てが自分の意志だというのに。 そのくせ、自分からはなにもせず、年下の柴田に先に自分の気持ちを露わにする役目を押しつけたのだ。 自分に対する言い訳を成立させるためだけに。 どうしても後で言い訳が出来ないと嫌だと言うならば── ──その言い訳ってやつが、立つようにしてやるさ。 と、村上はどうしても言い訳にこだわる、もう一人の自分に対して吐き捨てた。 改めて、しっかりと柴田の視線を受け止めた後、彼の手からペットボトルを奪い取り、村上は立ち上がった。 ☆ ☆ ☆ そのままキッチンへと消える村上の背中を見つめ、柴田はがっくりと目を閉じた。一瞬、自分の気持ちが伝わったと思ったのは気のせいだったのだろうか。 あの真剣な眼差しは、自分のわがままに本気腹を立てた村上の怒りによるものだったのだろうか。 真夏で、酒が入っているにも関わらず、柴田は自分の全身がすーっと冷たくなっていく感覚を味わっていた。 こういう結果ならば、いっそ芦ノ湖で醜態を曝した夜のように、今日の記憶もなくなってしまえばいいと、柴田が意識を手放そうとした、その時。 ガゴンっと、テーブルに何かがぶつかる音がして、柴田は思わず目を開けた。 その目に映った光景は、こんな状況ながらも、柴田が、先生それは一升瓶でやったほうが絵になるんじゃないの? とか思ってしまう村上の姿だった。 今、柴田の目の前には、ローテーブルに半分程中身の残ったブランデーのボトルを置き、右手でその首の部分を掴んで肘をつく村上の姿があった。 その上、あぐらをくずした状態で片膝まで立てている。更に、座った目。 ちょっとしたきっかけがあったならば、今にもちゃぶ台をひっくり返しそうな勢いだ。ただ、ちゃぶ台なんてここにはないけれど。 違う、そうじゃなくって── 自分が生まれる20年近くも前に放送されていたにも関わらず、何故かそのシーンだけは良く知っている野球アニメの一場面を想像してしまった柴田は、慌てて意識を現実に戻した。 おずおずと視線を合わせ、村上の様子を伺って見るが、彼はなにも言わなかった。 そして、無言のまま、一生の内でもあまりお目に掛かることはないであろう行動に出たのだ。 ブランデーの栓を開けたかと思うと、それをそのまま床に放り投げ、ボトルを掴んでのラッパ飲み。 ──せっ、先生、何事? 現状を把握できないまま、彼の行動を呆然と見つめ続けていた柴田だが、気付くと村上の左手が自分の右手首を握り締めている。 その左手に強い力で引き寄せられるままに、柴田は村上の胸へと倒れ込んだ。 次の瞬間── 村上の両手が頬を掴み、荒っぽい口付けと共に柴田の口内へとブランデーを流し込んだ。 ☆ ☆ ☆ ──熱い……スプリングの利いたダブルベッドの上で、一糸纏わぬ姿の柴田は耐えようのない熱に翻弄されていた。 暑いのではなく、熱いのだ。 この熱さが、この寝室に移動するまで村上に口移しで飲まされ続けたブランデーによるものなのか、現在彼に与え続けられている愛撫によるものなのか、柴田には判断できなかった。 先程失い掛けた体温を補って余りあるほどのこの熱さ。 耳朶をくすぐる吐息。 鎖骨をなぞる指先。 首筋をきつく吸い上げる唇。 決定的な刺激を与えられないままに、ゆるゆる柴田自身をなぶり続ける手。 息をするのを忘れてしまう程に情熱的な口付け。 その全てが柴田を煽り立てる。 それはきっと、テクニック的なものではなくて、相手が村上だから。 近づけば近づくほど、もっとより近づきたいと願ってしまう相手との行為だから。 「っ──」 胸の突起を甘がみされて、思わず声が漏れ、びくんとのけぞってしまう。 村上は、そんな柴田の仕草を思う存分楽しんだ後、既に涙を流して天井を向いている彼自身を口に含んだ。 男と寝た経験など皆無だったし、柴田と出会うまで寝たいと思うことも無かった村上だが、同じ男だからこそ、どうすれば相手が感じるか知り尽くしている。 自分の経験を元に柴田をじっくり追いつめて、欲望を吐き出させることに集中した。 片手でシーツを握り締め、何かに耐えるように村上の髪の間をうごめいていた柴田の指先に力が籠もり、限界が近いことを知らせる。 飲み込めなくて吐き出してしまうくらいならばと、村上はその部分から口を離し、作業を右手へと切り替えた。 右手の動きはそのままで、村上は体勢を変え、柴田に深く口づけた。 おまけに左手で胸の飾りを刺激してやると、それがきっかけで柴田は、欲望を村上の右手へと吐き出し、同時に上がった声は、村上の口内へと飲み込まれる。 「いいか?」 自分が吐き出したもので濡れた指先で、村上が柴田の後孔に軽く触れた。 解放で得られた快感にぐったりしながらも、柴田は首を縦に振り、自分の望みを告げる。 「先生とひとつになりたい」 すごく感じはしたけれど、でもまだ足りないから。 もっと、村上に近づきたいから── ☆ ☆ ☆ 「辛かったら言えよ」最初は指1本でさえきつかった柴田の後ろは、村上によって根気強くほぐされ、前立腺の位置を探り出してからは順調に3本の指を飲み込めるところまで開かれた。 もういけるとも思えたし、村上としてもここまでが我慢の限界だった。 抜く時に柴田の腸壁が逃すまいとするように、指に絡んできたのも良い兆候だ。 村上は入口に自身をあてがい、柴田の右足を肩の上まで抱え上げた。 「力抜いてろよ」 言ってはみたものの、それは無理な注文というものだろう。 下手に躊躇すればお互いが辛いだけだと判断し、村上は大きく息を吐いた後、一気に押し進んだ。 が、思ったほどの抵抗もなく、柴田は村上を半分まで飲み込んでくれる。 「半分まで入った。大丈夫そうか?」 村上の問いかけに柴田は頷いた。 「ん、だ…いじょうぶ。大丈夫だからもっと──」 もっと奥まで。 消えた柴田の言葉の続きは、それでも村上に伝わった。 寄せられた柴田の眉がそんなに大丈夫ではなさそうなことを物語ってはいたけれど、村上は彼の意志と自分の欲望を尊重した。 少しでも気がそれればと、左手で柴田自身を刺激しながら、侵入を再開する。 熱く絡みつく腸壁に、それだけ達しそうになりつつも、村上は腰を進めた。 やさしい、しかし少々辛そうな声で、村上に自分が彼の全てを飲み込めたことを告げられた時。 柴田は本当に嬉しそうに微笑んだ。 それは、村上が自分はこの微笑みを一生忘れることはないだろうと確信できる程のものだった。 だが、その直後に忘れられないのはその笑顔だけではないことを村上は知る。 最初こそ苦しそうだったものの、徐々に快感を得ることに成功したらしい柴田が上げる嬌声、潤んだ瞳、反らされた首筋、村上をしっかりとくわえ込む体内、そして幾度と無く自分を呼ぶ甘えた声。 その全てが村上を魅了してやまない。 自分だけが知る柴田の姿。 前田も言っていた通り、それは村上にものすごい優越感を与える。 更に、その優越感は独占欲をも呼び寄せる。 こんな柴田を、自分以外の誰にも見せてはなるものかと。 柴田の全ては自分のものだと。 狂おしい程の独占欲に背中を押されるように、村上は動きを早めた。 同時に柴田の前も手を伸ばし、再び追いつめてゆく。 柴田が村上の手に二度目の白濁を放った瞬間、収縮した内壁に刺激され、村上も達した。 この瞬間、確かに彼らは幸せだった。 お互いのことだけを考えていれば良かったから── |