これってどうよ?(11)



 恋愛がらみの話を誰にも話せないというのは辛い。
 それが、普通の恋でも辛いのに、ましてや不倫で同性愛なら。
 その辛さももひとしおだ。
 心の不安を誰かに聞いてもらえたならば。
 誰かにそれは考えすぎだと言ってもらえたならば。
 たとえそれが、気休めだとしても一時的には救われる。
 村上とつき合いだしてから半年。
 柴田は自分の感情のアップダウンの激しさに、耐えきれなくなってきていた。
 嬉しくて楽しくて舞い上がる時間。
 切なくて苦しくて胸が痛い時間。
 それが交互にやってくるのだ。
 村上と過ごす時間は舞い上がっている時だから、彼が柴田のこんな気持ちに気付いてはいないだろう。
 それはそれでいい。
 自分も辛いけれど、村上はもっと辛いだろうから。
 柴田が村上の家族に感じている嫉妬心なんかよりも、彼の罪悪感の方がずっと大きいだろうから。
 ましてや、村上が家族に対してだけではなく、柴田に対しても罪悪感を持っているのが感じられるから。
 それは多分、柴田は心も体も全てを自分に与えてくれているのに、村上は柴田に全部を与えることができないとう現状に対して。
 それでなくとも、村上がちょっと無理をしていてくれるのは見て取れるのに、これ以上の我侭なんて言えやしない。
 けれど、誰かに聞いて欲しくて。
 でも、誰にもこんな衝撃の告白なんて出来なくて。
 村上に心配をかけたくはないから、意地でも成績は落とさないと決めているのに、それでさえ、最近は少々危なくて。
 今までに、自分の感情がコントロールできないことなどなかった。
 これが、恋というものなのだと、嫌という程実感させられる。
 このままでは、心が壊れてしまう──
 最近のお前、前とは別の意味でちょっとおかしいぞ、と同室の三田村に指摘されてしまう程。
 柴田は完全に煮詰まりかけていた。

☆   ☆   ☆

 一体、自分はどうすればいいのだろう。
 とある日の放課後。
 村上は間もなくやってくる筈の柴田を、生物準備室で待ちわびながらも、自分の気持ちを持て余していた。
 当初、自分が柴田に夢中になってしまうのは、目新しいからだと分析していた村上は、計算違いの感情にとまどっていた。
 飽きるどころか、逢瀬を重ねれば重ねる程に、自分は柴田にはまってゆく。
 会えば帰したくないと感じるし、抱きしめれば離したくないと思う。
 柴田の口から自分以外の人間の話を聞くのは悔しいし、校内でクラスメートと仲良く談笑する柴田を見かけると、その間に割って入りたくなる。
 自分でもあきれかえる程の独占欲だ。
 いっそ、全てを捨てて柴田とどこかに逃げてしまいたい。そんなことを考えてしまう程だ。
 現実問題として、そんなことができる筈がないと知ってはいても。
 一体、自分のどこに、そんな情熱的な感情が眠っていたのだろう。
 昔から、仕事とプライベートはきっちり分けてきたはずなのに。
 今の自分ときたら、生徒に手を出したあげくに、勤務中にまで柴田に心を奪われている有様だ。
 そろそろ、瑞恵も疑い始めているというのに、それでも柴田に会うのを自粛できない程に。
 いくら自分専用の部屋だとはいえ、校内でいつまでもこんなことを続ければ、いつかは誰かに気付かれるとは思いつつも、それでも柴田を呼び出すのをやめられない程に。
 これは、既にもう浮気ではない、本気だ。
「どうすりゃいいんだよ……」
 今はまだ、村上ひとりしかいない、放課後の生物準備室に、彼のつぶやきが低く響く。
 しかし、村上がこんなことを思い悩むのも、柴田が姿を現すまで。
 トントン──
 控えめなノックの音と共に、準備室のドアが開いて、柴田が顔をのぞかせたなら。
 村上はもう、柴田のことしか考えられなくなってしまうから──

☆   ☆   ☆

「あっ!」
 とある金曜の夜。
 柴田は寮の机の引き出しを整理していて、とある名刺を発見した。
 それは、村上と柴田が結ばれたあの夜、ある意味そのきっかけを作った女性の物だった。
 『気が向いたら連絡頂戴。ご飯くらいは奢るわよ。(高校生を襲う趣味はないから安心して)』と裏書きされたその名刺は、柴田が酔っぱらいきるまえに、前田がこっそりとテーブルの下で手渡してくれた物だ。
 多分、気が向くことなんてないだろうなと、机に放り込んだままで、その存在をすっかり忘れていた。
 見つけてみれば、その名刺が救世主のように思えた。
 今まですっかり忘れていたというのに、捨てなくて良かったとさえ思う。
 だって、柴田と村上の関係を、なんのとまどいもなく受け止めてくれそうなのは、しかも、応援さえしてくれそうなのは彼女しかいないから。
 柴田は名刺と小銭入れを掴むと、急いで1階の公衆電話へと掛けだした。

☆   ☆   ☆

「ええ、いいわよ。どこで」
 タイミング良く校了開けだった前田は、思わぬ電話の相手からの申し出を快諾した。
「何、人に聞かれたくないの? じゃあ、うちに来る? 失礼ね、あなたに手を出すほどせっぱ詰まっちゃいないから。OK決まりね。住所だけでこられる? ……うん、解らなかったら駅前からでも電話頂戴、そこならすぐに迎えにいけるから。じゃあ、明日の3時に。言っておくけど、午後の3時よ。……あはは、そりゃそうね。そっちの方がそんな時間に出られないってね。……うん、待ってるから。気をつけて来るのよ」
 ピッと子機のボタンを押して、通話を終えた後、前田は思わず拳を握りしめた。
 ああ、なんてオイシイ展開なのだろう。
 今は結構市民権を得ているその手の小説の中でならともかく、現実に出くわせる可能性など、ごくまれだ。
 それも、全寮制男子校の教師と生徒だなんて、オイシイ……オイシすぎる。
 投稿小説ならば、あまりに使い古されすぎて、余程の筆力がないかぎり、真っ先にハネられる展開ではあるが、現実なんてそんなもんだ。
 人間、そうそう劇的に生きていけるものではない。
 ああ、あたしの人生、運が向いてきたわ。
 と小躍りする、女編集者の名は前田淑子、年齢34歳。
 果たして、そんなことで運が向いてきたと喜んでいる場合なのだろうか?

☆   ☆   ☆

「なるほどねぇ〜。で、柴田くんはどうしたいの」
「どうしたいって言われても……」
「咄嗟には思いつかない? それは嘘ね。本当はあるでしょ。自分でも我侭だと解っているから口に出せないだけ。孝久に家族の元に帰って欲しくないんでしょ。孝久が寝ている間に結婚指輪なんてトイレに流しちゃいたいんでしょ。どんな時も自分だけの孝久になって欲しいとあなたは願っている。どう、図星でしょ?」
「そっ……それは」
 自分の心を完璧に見透かされて、柴田の声は上擦った。
「それに、心密かに、孝久が奥さんと別れればいいと思っている自分が嫌なんでしょ。自分の幸福のために、他人の不幸を願っている自分が」
「…………」
 続く前田の言葉に、柴田は無言になる。
 何故って、確かにその通りだから。
 そんなことを思う自分がいることを、柴田自身が認めたくなくて、心の奥底にしまっておいたドロドロとした感情を、前田に引っ張りだされてしまったから。
「でもね」
 目を伏せて唇を噛む柴田に、前田はにっこり笑って言った。
「それは、仕方のないことよ」
「えっ?」
「いくら、そんなこと思っちゃいけないと思ったところで、思うものは思うもの。そんな自分を柴田くんが許してあげなくて、他に誰が許してくれるっていうの? 誰も許してくれないでしょ。あなたが自分で許すしかないのよ。だからって、感情にまかせて、何をしてもいいとは言ってるんじゃないわよ。我侭で弱くて他人の不幸を願う自分も、全部自分だと認めてあげなさい。きっと、それだけでずっと楽になるわ」
「そう……でしょうか?」
 本当に、それで楽になれるのだろうか。
 それに、そうすることで、たとえ自分が楽になったとしても、そんな汚い感情を持つ柴田を、村上は好きでいてくれるだろうか。
「あのね、建前っていうのを取っ払えば、人間ってのは、結局自分が一番大切なのよ。あなたに限らず、あたしもそうだし、もちろん孝久だってそうだわ」
「先生も?」
「ええ。ことによると、孝久はあなたよりもずっと、自分勝手かもよ」
「まさか」
「それがまさかじゃないのよねぇ〜」
 信じられないと言わんばかりに首を横に振る柴田に向かって、前田が含みのある笑みを見せた時。
 ピ〜ンポ〜ン。
 前田の部屋のチャイムが鳴った。
「相変わらず時間に正確な奴ね」
 壁掛け時計にチラリと目をやり呟くと、前田はソファから立ち上がった。
「今から証明してあげるから、そこのコーヒーカップ持って寝室、ああ、そこのドアね、あそこに隠れてなさい」
 どうしてそんなことをしなけりゃいけないんだ、と首を傾げる柴田に前田は告げた。
「昨日、あなたから電話もらった後に、孝久もあたしに電話をよこしたのよ。本当にあなた達って気が合うのね。きっと、本人を目の前にしては言えないことも聞ける筈だから、柴田くんはそこで彼の話を聞いてなさい。この先、どうすればいいか。全てを判断するのは、その後よ」

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