これってどうよ?(13)
「で、相談ってなによ」 やって来たはいいが、世間話ばかりをしている村上に業をにやして前田は自分から話を振った。 普段ならば、相手が意を決して話し出すまで、放っておくのが前田の主義ではあるが、今日に限っては、ドアひとつ隔てた部屋に柴田を軟禁している状態なのだ。ここがあまり長引けば、危機的状況──トイレとか(笑)──に陥りかねない。 「ああ、相談っていうかさ…柴田のことなんだけど…」 「なによ、抱いてくれって迫られでもした? それとも、抱かせてくれってたのまれた? 後者はちょっと、あたしの美観が想像したくないって言ってるけど」 「なっ…」 何を想像したんだお前はとか、どっちも想像するなだとか、色々言いたいことはあったが、図星をさされた村上は、動揺のあまり言葉が続かなかった。 「何、鳩が豆鉄砲くらったような顔してんのよ。まあ、鳩がどんな顔するのかは知らないけど、あなたは間抜け面してるわよ」 間抜け面とまで言われてしまっては、いくら動揺しているとはいえ、村上も黙ってはいられない。 ズバリ、その通りの展開で現在に至っている自分たちのことは、この際、急速冷凍可能な冷凍室にでもしまっておくことにする。 開口一番、そんな発想が出てくるこの女は絶対に普通じゃない。はっきり言ってしまえば変だ。 「突差にそっち方面に考えが及ぶお前にあきれてんだよ、お・れ・は!」 「でも、正解でしょ。隠したって駄目駄目、孝久の顔にちゃ〜んと書いてあるわよ。それに、あの時の柴田くん、あからさまに酒の勢い借りて何かしでかしそうだったもの」 「解ってて飲ませたのかよっ、悪魔かお前はっ!」 村上の突っ込みを完全に聞き流して、前田は自分好みの展開をベラベラと話し続ける。 「潤んだ瞳でじっと見つめられて、先生とかって掠れた声で呼ばれて、孝久、その色っぽさにまいっちゃんだ。相手が男とか女だとかそんなことどうでもよくなっちゃんだ。教師のくせに、しかも素面だったくせに」 「お前の頭の中って、一体、どうなってんだよ」 よもや、どこからか覗いてたんじゃあるまいな、と疑いたくなる程、前田の発言は具体的だった。 村上としては、そんなにあっさり柴田に手を出したつもりはないが、あの夜の出来事を100字以内にまとめなさいとでも言われたら──誰に?──前田の言った通りの内容になるのかもしれない。 「う〜ん、いい具合に発酵してきてるって感じ? ごめんごめん。からかうつもりは無かったんだけど、ちょっと妄想が楽しくなっちゃって。でも、あたしがそんな話で退かないって解ったら、話しやすくなったでしょ」 前田の言いぐさに、村上は思わず笑みを漏らした。 確かに、この女は変わっているが、変わっていてくれるからこそ、こんな相談をしようとも思えるのだ。 「淑子……変人でありがとう」 「なにそれ。まさか感謝の言葉のつもり?」 「いや、なんとなく」 「まあ、いいわ。で、君は何を悩んでる訳。勢いで手を出したはいいけど、やっぱり後悔してるとか?」 前田の問われ、村上は考える。 実際どうなのだろうか。一瞬たりとも自分は後悔したことがなかっただろうか、と。 たっぷり1分は黙って自分の心に問いかけた後、村上はゆっくりと口を開いた。 「……後悔をしていないと言えば……嘘になるな」 ☆ ☆ ☆ ──やっぱり、後悔してたんだ、先生。コップこそないものの、寝室のドアに耳をくっつけて、柴田は彼らの会話を盗み聞いていた。 目の前にいなくたって、前田の発言には驚かされてばかりだったが、それ以上にショックだったのは、村上の言葉だ。 『後悔をしていないと言えば、嘘になる』 柴田は、村上とこうなったことを後悔などしていなかった。 子供の頃から自分が無意識に、ずっと欲していた、分かり合える相手と出会えたのだ。 たとえ、相手が男であったとしても、これは奇跡── 心の底から、その出会いに感謝する。 けれど、やはり村上は違ったのだ。 柴田は気付いていた。 時折、ほんの一瞬、村上が複雑な表情を浮かべることがあることに。 たとえて言うなら、仲間内でテンションが上がって下らないことをやっている時に、ふいに我に返って、何やってんだ俺たち? と、そのばからしさ加減に気付いた時みたいな表情。 自分にとっては、ものすごく大切な村上との時間も、彼にとっては、ノリと勢いの一時的なお遊びで、そろそろばからしくなってきているのかもしれない。 週に2〜3度から、1度あるかないかに減った生物準備室での逢瀬。 毎週から1週置きに減った、柴田と過ごす週末。 殆どつけられることのなくなったキスマーク。 その全てが、きっと、村上のとの距離が、少しずつ離れていっている証拠。 やはり、いつか思ったとおり、自分たちに、ふたりで過ごす夏は再び巡ってきてはくれないのだ。 覚悟を決めよう。 柴田は決心する。 いつ、どこで、村上に別れを告げられたとしても。 せめて、笑って別れることができることを。 せめて、楽しい思い出だけは、楽しいままでいつまでも覚えていられるように。 ☆ ☆ ☆ 「あら、意外。してるんだ、後悔」いくら間が空いているとはいえ、学生の頃の友人というのが、一番、その人間の本質を解っているものだ。 社会的立場に左右され、本質と違う仮面をかぶらなくてはならない必要が殆どないからだ。 前田の知る限り、村上は自分の決めたことに後悔はしない人間だった。 たとえ、失敗したとしても、その失敗を明日への糧へとするタイプ。 自分で振っておきながらなんではあるが、そんな村上の口から後悔しているという言葉が出た時、前田は少なからず驚いた。 ましてや、後から悔やむ程度の気持ちで、村上が柴田に手を出すだなんて、あり得ないと思っていた。 が、続く村上の言葉に、それが自分の早とちりだったと知る。 「ああ。いっそ、柴田と出逢わなければ良かったと思うくらいに」 遠い目をする村上に対し、前田はそうこなくっちゃと、会話を誘導し始める。 「それって、なんだか、出逢ったら最後、手を出さずには居られないって言ってるみたいに聞こえるけど」 「ああ、出逢っちまったらもう駄目だ。性別なんて関係なしに、あそこまで考えのシンクロする奴って、そうはいないよ。会えば会うほどに、あいつのいない生活なんて考えられなくなる。下世話な話だけど、男女の区別無く、あんなに体の相性がいい奴もいないと思う。お互いの肌が吸い付くだなんて感覚、本当にあるとは思わなかったよ。あんまりがっつくのもなんだと思って、最近は自粛してるんだけど、本当なら毎日だって抱きたいくらいだ。無意識につけてたキスマークを、つけないように気遣えるようになったのさえ、つい最近。呆れた独占欲だよ」 そこまで解っているなら、もう隠すべきことはなにもないといわんばかりに、村上は語る。 そんな村上に、前田は普段の軽い口調ではなく、静かに告げる。 「そして、出逢っちゃったんだよね。あなたは、柴田くんと」 「ああ、出逢った。瑞恵や達弥には悪いと思うけど──もう、後戻りはできない。時間はかかるかもしれないけど、離婚する」 「そう」 「ずっと考えてはいたんだけど、踏ん切りがつかなかった。多分、誰かに聞いてもらって背中を押してもらいたかったんだと思う。悪かったな、面白くもない話聞かせて」 「別にあたしは背中を押してなんかいないわよ。気持ち口にすることによって、孝久自身が決意を新たにした、それだけでしょ。それに、話は充分面白かったわよ」 村上にウインクを投げて前田は立ち上がり、寝室のドアに手を掛けた。 大人で教師である村上が柴田の前では吐けないであろう弱音の一つでも口にすれば、もうけもんだくらいの気持ちで柴田を寝室に隠しておいたのだが、蓋を開けてみれば、前田も予想外の大収穫。 村上は離婚の二文字さえ口にしたのだ。 前田にとって、会ったこともない村上の妻や子供に対する同情心は薄いし、恋愛に出逢った順番は関係ないとも思っている。 好きなものは仕方ないのだ。 そんな考え方の中には、前田の自分に対する言い訳も少々含まれいるという事実には、敢えて気付かないことにする。 ──ここに、柴田くんがいるって知ったら、孝久の奴、どんな顔するかしら。 と、村上の驚く姿を想像しながら、前田が寝室のドアを開けると。 そこには、肩を震わせて、泣いている柴田の姿があった。 「あれっ? 柴田くん? どうして泣いてるの?」 前田に話しかけられれても、柴田は泣きじゃくるばかりで、そんな彼女の言葉に反応したのは村上の方だった。 「祐介? 祐介ぇ〜! 淑子、なんで祐介がここにいるんだよっ! つーか、なんで泣いてるんだ? しかも、なんで寝室なんだよっ! おっ…お前って女は……少しでも、お前がいてくれて良かったと思った俺がばかだったよ!」 えらい剣幕で、村上に詰め寄られ、前田は寝室のドアに張り付いた。 「ちょ…待ってよ。あたし、別に彼には何もしてないって」 「だったら、何で祐介は泣いてんだよ。お前が変な薬とか飲ませて無理矢理襲ったんだろ。どうだ、図星だろう」 「なに、寝ぼけたこと言ってるのよ。高校生襲う趣味は無いっていったでしょっ! あんたじゃあるまいし。大体、もし仮にそうだとしたら、あたしが自分で寝室のドア開けるわけないじゃないのよっ」 「あっ、そっか」 「そっか、じゃないわよっ。失礼なっ」 「ああ、すまん。でもじゃあ……」 「そうね」 「「なんで、泣いてるんだろう?」」 ☆ ☆ ☆ その後、ようやく感情の高ぶりが収まった柴田が、ボツリボツリと語った内容は、ふたりの会話を途中まで聞いて、村上との別れを覚悟したこと。村上の胸の内を聞いて、感激したこと。 そこまで、思ってくれていたのに、村上の気持ちを疑った自分が許せなかったこと。 でも、今、すごく幸せな気持ちであること。 そんな色々な感情がごちゃ混ぜになって、泣かずには居られなかったという。 この部屋が前田の部屋でさえなければ、村上もすぐに柴田が泣いている理由に気付けたのであろうが、前田というキャラクターが彼を混乱させたのだ。 ありがたいんだが、迷惑なんだか、本当に前田という女は微妙な人間である。 ともかく、今まで相手を思いやるがゆえに、口にだせなかったお互いの思いを話し合って、どんなことがあっても、ふたりで乗り越えてゆこうと、彼らが決意を新たにした時、村上の携帯が鳴った。 指定している着メロで、それが自宅からのコールだと知ると、村上は電話にでるのを躊躇した。 そんな村上に、これからの方が、もっと大変になるのに、今から逃げててどうするのと喝を入れたのは、前田。 彼女の言葉に、その通りだと苦笑して電話に出た村上の耳に、出先なのにごめんね、と前置きして妻が言った言葉は、彼を絶望の淵へと追いやるものだった。 『二人目、出来てた。今、妊娠3ヶ月だって』 |